徒然草枕

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「豊臣兄弟!」第9話「竹中半兵衛という男」

久しぶりに大河復帰

 今年の「豊臣兄弟!」であるが、私としては久しぶりに「見る気になった作品」というところか。もう既にいわゆる三英傑ネタは大河としてはやり過ぎでネタ切れ感があるので、何らかの工夫が必要なところだが、本作では地味な補佐役とされた弟の秀長を主人公に持って行くことで変化をつけている。秀吉の弟の秀長は意外と資料が少ないことで永らく注目を浴びることは少なかった。私の記憶では歴史番組などで本格的に扱われるようになったのは、1985年に堺屋太一氏が「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」を発行して、組織に不可欠な補佐役として秀長の存在にスポットを当ててからである。

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 秀長は兄の秀吉のような派手さがなかったため、その陰に隠れる地味人物としての認識しか一般にはなかったのだが(実際に「殿といっしょ」などの漫画では、あまりの存在感のなさに周囲の者達の目には見えない人物という扱いをされている)、堺屋氏はこういう人物こそ組織の運営には不可欠という組織論的観点を秀長を捉えている。ここで初めて秀長は、単に兄が天下人になったから血縁だけで取り立てられた凡将というイメージから脱却したと言える。その後の秀長は堺屋史観的方向から再評価が進み、今では「もし秀長がもう少し長生きしていたら、豊臣政権が傾く原因となった関白秀次切腹、朝鮮出兵などの秀吉の晩年の愚行も抑止され、豊臣政権がその後続く可能性もあったのでは」との評価まで巷ではある。もっともこの件に関しては私はいささか疑問で、本ドラマと対照的に歴史的事実で示されている秀吉の身内に対する異様な淡白さから見て、秀長には秀吉の暴走の抑止は難しく、最悪は秀長自身が粛清される危険さえあったと考えているが。

 

 

 なおここで私の大河視聴経験を語っておくと、そもそも私の大河視聴歴はバラバラで、子供のころに「草燃える」辺りから見始めて「春の波涛」の途中ぐらいで脱落(ネタ的に興味が持てないうえに、やはり松阪慶子の演技がひどかった)、現代劇の「いのち」はパスして「独眼竜政宗」で復帰、「春日局」の途中で脱落、それから永らく日曜のこの時間帯に毎週視聴の時間の確保が難しくなって離脱時期が長く続く。「江」を数話見たがあまりのひどさに脱落、「真田丸」も10話ほど見たがこれも内容のひどさに脱落する。その後もしばし興味が持てず本格復帰は「麒麟が来る」になる(明智光秀を大河の主人公にというのは、そもそも私が大昔から言い続けていたことである)。「青天を衝け」は最後まで付き合ったものの「鎌倉殿」は三谷幸喜らしい悪ふざけが癇に障って1話で脱落。「どうする家康」は数話見たが、時代考証が滅茶苦茶、あからさまに安作り過ぎるセットにわざとらしい主役の演技、あり得ないファンタジーシナリオと言った辺りで見ていられなくなって脱落した。「光る君へ」はもう最初から100%創作になることが明確だったうえに、やはり内容がもろに「平安ラブストーリー」だったために1話の途中で見切りをつけた。「べらぼう」は1話を見てドラマとしては面白そうと感じたが、ネタ的に興味が持てなくて、大河としてはどうなんだという疑問もあって結局はその後は見ていない(大河ドラマで初めて田沼意次を否定的なニュアンスなしで描いているのは評価していたが)。というわけで、今回は4年ぶりの大河復帰ということになるか。

 

 

歴史ドラマとしては無難な作り

 さて本作であるが、先に述べた身内に対して酷薄な人物という私の秀吉に対する印象とは対照的に、秀吉と秀長の兄弟をかなり結びつきの強い兄弟として描いている。第6話ではこの兄弟の打算のない強い結びつきが、弟の信勝と対立して最終的には殺害せざるを得なくなった信長の心の奥底にある悲しさまでを引き出すという、歴史的にはどうなんだというところがあるがドラマ的には上手い展開につなげている。このようにあくまでドキュメントではなくドラマであるが故の脚色や創作はあるが、「江」のように完全に歴史を歪めてしまってファンタジーになるという愚は犯しておらず、現在のところはドラマを盛り上げるための演出としての許容範囲内に収まっている。

 特にそもそも秀吉自体の経歴がほぼ記録に残っていない美濃でのエピソードになると、やはり創作の範囲が広くなるのは必然である。特に主人公である秀長の活躍をかなり拡張する形になっている。美濃時代の秀吉に関しては記録がない分、軍記物などで追加された伝説が多々あるのだが、それらの秀吉の賢明さを持ち上げるネタのほとんどを秀長の発案という形に持って行って、行動力はあって人タラシだが無鉄砲で軽い(端的に言えばアホ)な秀吉を裏から支える知将という性格を強めている(もっとも稲葉山城攻略で秀長が竹中半兵衛を出し抜くのはいささか持ち上げ過ぎの感はあるが)。

 

 

話を膨らませた直の存在

 そこで若き日の秀長(小一郎)の存在を膨らませるために起用されたオリジナルキャラが、直という小一郎の幼馴染で初恋の相手であった女性である。彼女には当初は永野芽衣が起用される予定であったが、彼女のスキャンダルで降板となり急遽白石聖の起用となったが、結果としてこれは明らかに幸いであったといえる。彼女は小一郎のことを心配するがあまりに逆に距離を置こうとするという葛藤などを抱える複雑な立場であるが、この辺りの心の揺れを白石は無難に演じていたと感じた。ここで演技力では低評のある永野芽衣だと、この辺りの細かいニュアンスを演じることが出来ず、単に小一郎を振り回すワガママ女という印象になってしまった可能性が高い。

 直については歴史に存在しないオリジナルキャラだけに、いつかは何らかの形で作品から離脱する必然性があったのだが、ああいう突然死は流石に私も意表を突かれた。今から思えば小一郎との婚約は「俺、この戦いが終わったら故郷に帰って結婚するんだ」という死亡フラグだったのかと驚いた次第。あのパターンで女性の方が亡くなるパターンは盲点であった。ちなみに私は直は戦国の動乱の中で流転の運命に巻き込まれ、その後何らかのたびに小一郎に再会しては、陰ながら小一郎に指針を与える役になるではと考えていたが、流石にそれではドラマとしても作りすぎであったか。まああっさりと殺してしまって、そのことが小一郎に今後の人生の方向性を定めさせるという今回の展開は、ドラマとしては非常に無難な設計である。

 

 

今後の不安要素がないわけではない

 このように万事無難に進めているドラマだけに安心感はあるのだが、正直なところ気になる点がないわけではない。やはり一番気になるのは、これは本作に限らず昨今のドラマでは仕方のない部分があるのだが、やはり本作も時代劇ではなくあくまで現代劇的な描き方になっていることだろうか。出演者の設定に限らずセリフ回しその他も完全に現代劇のものになっており、この辺りは長年時代劇を見続けてきた私のような人間には気になるところ。もっともこれは所詮ジジイのぼやきであり、今時のある程度以下の若年層だと時代劇の空気そのものを知らないので、それを意識すると彼らが違和感を抱くだろう。それにそもそも作り手側にその空気を知っている者がもうほとんどいないであろう。とは言え、主人公たち、特に寧々の浜辺美波が完全に現代の女の子なのは、今後大丈夫だろうかといささかの不安は感じる。

 それと今後の「資料がきちんと残っている時代」のストーリー展開である。ここまでは歴史の大枠はあれど結構自由にストーリー展開をできたが、ここからは歴史の事実でかなりストーリーを縛られることになる。歴史に対する解釈の仕方の自由はあっても、歴史事実を完全に無視は出来なくなるので、描き方に制約が出てくる。特にこれから秀吉が権力の階段を駆け上がるにつれ、権力者特有の冷酷さのようなものが出てくるようになる。秀長が秀吉より先に亡くなったことで、秀長と秀吉が衝突するというような事件は発生してはいないが、秀長がその秀吉から滲み出る酷薄さに対してどう感じて対応するかという辺りの描写が難しいだろう。ここまでで確立したキャラクターのイメージを壊さずにいかにドラマを膨らませるか。この辺りで本作の評価は定まると思われる。

 

 

第10話で明智光秀が登場

 さて第9話で豊臣兄弟の影での活躍もあって見事に織田信長は美濃を制圧した。なお斎藤竜興があまりに無能でついには部下の西美濃三人衆に裏切られるという展開になっていたが、これについては斎藤竜興があまり不憫なので彼のために釈明をしておく。父の斉藤義龍の死で彼が家督を継がされた時はまだ十代前半(それも数え年である)という若輩であり、国内を安定して運営していくには明らかに経験不足であった。しかも美濃はそもそも国人衆の独立心が強く、実際に彼らは主君である道三を裏切って義龍を立てて道三を殺害するに及んでしまっている。こんな統治が困難で、誰が信用できるかが分からない地を若輩の竜興に統治しろというのは最初から無理ゲーだったのである。その結果として竜興が側近のいいなりになってしまって、結果として美濃の国内が乱れたのは仕方なかった部分がある(これで竜興がバリバリと領国を強化できたら、完全に転生ファンタジーの世界である)。彼の滅亡に関しては「逃げようのない世襲封建制の悲劇」とでも見るのが良いだろう。

 ここでの活躍で栄達の第一歩を固める豊臣兄弟であるが、この前に現れるのが明智光秀とのこと。光秀と秀吉は最終的に天下を巡って戦うことになるので、光秀の描き方が注目である。ちなみに「麒麟が来る」で光秀の側から描いた秀吉は、調子の良い軽い人物であるが、その奥底に油断できない底意地の悪さのようなものを感じさせる人物というもので、このクセの強い人物をアクの強い役者である佐々木蔵之介が見事に演じていた。本作での光秀は要潤が演じるということからも、知的な人物という側面を強く出してくるだろうと思われるが、その奥に何やら野心を秘めているという描き方をするか、それとも本能寺の変は暴走する信長のせいで光秀はやむなく追い込まれたという方向に持っていくか。秀吉が裏で光秀を焚き付けたようにして、秀長に「兄者は怖いお人じゃ・・・」と呟かせるという展開もありだが、ここまでの秀吉の描き方だとそれはないだろうな。

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