徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

京都の美術館で洋画と日本画の展覧会、その後は大阪で「鳥」展

京都方面美術館巡り

 翌朝は目が覚めたら9時半だった。どうやら今日が金曜日であることを失念して、目覚ましを週末設定で合わせていたために鳴らなかった模様。しかも相当疲れていたのか、長年のサラリーマン生活で培われた自動起床スキルも発動せず。結局はひたすら爆睡してしまっていたようである。まあおかげで頭はいささかスッキリしているが。

 チェックアウト時刻は10時なのでそれに遅れると延長料金である。慌ててバタバタと荷物をまとめてチェックアウトする。朝食を摂れなかったので空腹を抱えているが仕方ない。この近くで朝食を摂れる店の心当たりもないし、とりあえず今日の予定をこなすことにする。

 今日の予定はまず東山の京セラ美術館。ここで富士美術館コレクションによる「西洋絵画」展が開催されているのでそれを見に行く。なお富士美術館はいわゆる創価学会の美術館であり、教団所蔵の美術品ということだろう。まあ「美術品には罪はない」というやつである。とはいっても流石に統一教会所蔵品とかならやばすぎてパスするだろうが。

京セラ美術館へ

 

 

「西洋絵画400年の旅―珠玉の東京富士美術館コレクション」京セラ美術館で5/24まで

 東京富士美術館のコレクションで西洋絵画の歴史をたどる。

 まずは西洋美術の王道ともいえる宗教画・歴史画から始まる。ヨーロッパでは15世紀は既に歴史画こそが至高の絵画とされていた。その流れは19世紀半ばまで続くという。この時期の絵画はキリストが現れ天使が飛び交うような場面を美麗な色調で描いたり、キリスト教神話に基づく歴史の画面を絵画で再現するなどがされている。

17世紀オランダのライレッセによる「天使たちを迎えるアブラハム」

18世紀フランスのコワペルによる「ヴィーナスの誕生」

18世紀イタリアのボーモンによる「ハンニバルの生涯」より

嘘絵画で有名(実際にはこんなシーンはない)なダヴィッドによるナポレオン

 次に登場するのが肖像画。肖像画も古来より宗教画に次いで重要な絵画とされていたが、これは写真が存在しない時代の実用の意味も兼ねていたと考えれる。もっとも当然のように依頼者が満足するように美化が加わるものである。ここに描かれた肖像は、依頼主が「自分をそのように見せたい」と考えている姿でもある。あまりにも現実からかけ離れ過ぎず、かと言って立派で美しく見せるという匙加減が画家に求められるところになる。

チビ・デブ・ハゲのナポレオンを最大限美化して描いたルフェーブルによる肖像

ヴァン・ダイクによる「ベッドフォード伯爵夫人」

ティントレット「蒐集家の肖像」

ゴヤのこの王子像はやけに稚拙な絵画に見える

 

 

 一方で日常生活を描いた風俗画と呼ばれるジャンルも登場する。特に17世紀の市民社会が成立したオランダで、風景画や静物画などの作品が自宅を飾る装飾として好まれるようになる。もっともこの時期の風景画には理想化が入っているし、静物画には教訓や風刺が含まれることもある。この辺りを廃して、現実をリアルに移すことが志向されるようになるのはもう少し時代が下ってからである。

19世紀アカデミズム派の画家ブーグローによる「漁師の娘」

19世紀イタリアのアカデミズム派のゴルディジャーニの「シルクのソファ」

19世紀フランスのルージュロン(ルノワールと生年が同じ)による「鏡の前の装い」

ロイスダール「宿の前での休息」

ロベール「スフィンクス橋の眺め」

カナレット「ヴェネチア、サン・マルコ広場」

ファンタン=ラトゥール「葡萄と桃のある静物」

 19世紀のフランスでは、今までの王道であったアカデミスムに反逆して、自然をありのままに描く、この世の真実を絵画に映すなどの流れが登場する。またチューブ入り絵の具が開発されたことで、屋外で制作をする外光派と呼ばれる画家が増えた時期でもある。

コロー「ユディト」

ドラクロワ「手綱を持つチェルケス人」

トロワイヨン「家畜の群れ」

ミレー「鵞鳥番の少女」

クールベ「水平線上のスコール」

 

 

 そして絵画が神話の世界から日常世界に降りてくる中で、印象派などの新たな潮流が生まれていく。誰もが技巧的で画一的な表現だったアカデミズムから解放されて、画家の個性がかなり際立ってきた時代である。

ルノワール「赤い服の女」

ゴッホ「畑仕事をする農婦のいる家」

ボナール「若い女」

ローランサン「二人の女」

モディリアーニ「ポール・アレクサンドル博士」

マグリット「再開」

 さらに光の表現手法を極めた印象派がかなり広がりを見せていくようになる。この辺りがいわゆる今でも一般的に西洋絵画と言った時にイメージされる近代絵画の登場となるわけである。本展でもモネなどの定番どころも展示されている。

ピサロ「秋、朝、曇り、エラニー」

シスレー「牧草地の牛、ルーヴシエンヌ」

シダネル「黄昏の古路」

ゴーガン「水辺の柳、ポン=タヴェン」

セザンヌ「オーヴェルの曲がり道」

キスリング「花」

ユトリロ「モンマルトル、ノルヴァン通り」

モネ「睡蓮」

 かなりコレクションの幅が広く、いわゆる西洋絵画の歴史を概観できるだけの網羅性はあった。もっとも超有名画家の作品になると「いや、これではないだろう」というような「らしくない作品」(例えばゴッホ)も多々あり、その辺りは後発のコレクションかなという印象は受けた。印象派が世界的に高く評価をされる直前から目をつけて積極的に収集した大原美術館コレクションなどは、その点でやはり内容に優位性が出る。

 

 西洋絵画の歴史を概観するという趣旨の展覧会が、最近にもここであったはずだとバックナンバーを繰ってみたら、昨年の夏の「どこ見る?どう見る?西洋絵画!」だった。あちらも年代的にはほとんど被るが、向こうは古典的絵画の歴史にかなり力を割いていたのに対し、こちらはもう少し一般受けする近代に近い絵画に重点を置いていたのが特徴。向こうはかなりマニアックだったが、こちらはもっと一般向けと言えるだろう。

www.ksagi.work

 今回京セラ美術館に出向いた一番の目的はこれで終了だが、ついでだから隣の会場で開催される展覧会も覗いていくことにする。

 

 

「日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」京セラ美術館で5/6まで

 アバンギャルドと銘打って思い切りどうでも良い作品を表題作にしていたので、私はパスしようかと思ってそもそも前売り券さえ購入していなかったのが本展。それが入場すると展示されている作品がいきなり上村松篁だったからズッコケル。

最初に登場するのは上村松篁「山鹿」(1936年)

 上村松篁らは戦後に日本画亡国論まで巻き起こる中、それまでの日本画の様々な制約を乗り越えて新たな日本画を模索した創造美術の一人だったから、戦後最初のアバンギャルドであったということだろう。

上村松篁「池」(1954年)

 メンバーは京都画壇から上村松篁、菊池隆志、向井久万、広田多津、沢宏靭、秋野不矩、奥村厚一の7人、東京画壇から山本丘人、吉岡賢二、福田豊四郎、高橋周桑、加藤栄三、橋本明治の6人とのこと。

秋野不矩「ガンジス河畔の少女」(1964年)

菊池隆志「爽夏」(1929年)が戦後になると

菊池隆志「思索」(1950年) このように変わる

向井久万「黄昏」(1954年)

広田多津「母子」(1945年)は

広田多津「裸婦」(1951年) こうなった

 

 

 それまでの約束事や権威を否定して、全く新しい日本画を目指すという若手芸術家たちの運動であるが、やはりまだ時代的に戦後すぐであることもあってか、確かに当時としてはアバンギャルドだったのかもしれないが、今日の我々の目から見るとその言葉から感じるほどの先鋭さは感じず、大括りで伝統的な日本画の流れの延長上に見えてしまうところがある。

奥村厚一「松蔭雨日」(1934年)は

奥村厚一「赤松の林」(1955年) こんな感じ

山本丘人「残雪」(1948年)

 実は新しい日本画を目指す流れは戦前から存在した。ヨーロッパで流行しつつあったシュルレアリスムの影響を受けた前衛表現を追究する新日本画研究会が、1934年に吉岡堅二、福田豊四郎を中心に結成されている。その後、メンバーの一部が離脱して新団体を設立などがあり、その中から1938年により前衛的な歴程美術協会が発足、それが1949年のパンリアル美術協会結成につながる。

吉岡堅二「湿原」(1949年)

山岡良文「蒼空」(1939年)

山崎隆「象」(1935~1965年)

田口壮「季節の停止」(1938年)

 

 

 パンリアル美術協会は山崎隆、三上誠が中心となって結成した団体であり、上村松篁らによる創造美術よりは年代的に若い芸術家が集まった団体である。それだけにかなり尖っていて、創造美術が大枠では日本画の枠内に収まっているように感じられるのに対し、こちらは「画材を日本画のものを用いているという以外では、既に洋画との差がない」という領域に差し掛かっている。さらに表題作にもなっている大野俶嵩の作品となると、最早日本(画)という範疇さえはみ出しており、この辺りまで来ると流石に私の目には、若い表現意欲が暴走して迷走しているという感を受ける。新しい芸術を追究した結果煮詰まって最後には便器をひっくり返したデュシャンと同じ空気を感じる。

三上誠「F市曼荼羅」(1950年)

三上誠「触手の大気」(1957年)

星野眞吾「三猿C」(1956年)

不動茂弥「机上の対話」(1950年)

大野俶嵩「影」(1955年)

ここまで行ったら迷走としか言えない大野俶嵩「緋No.24」

下村良之助「池畔」(1957年)

 パンリアルの10年後の1959年にはさらに先鋭化したケラ美術協会が結成される。旧体制への反抗を謳っているいかにもの団体だけに、表現が尖りすぎてもはや絵画でさえなくなっており、日本画という原点さえ見失った完全な迷走にしか私の目には映らない。若手芸術家にありがちな表現意欲や野心や自己顕示欲が入り混じった暴走であり、ここまで来ると私も一気に興味を失って、最早どうでも良くなるのが本音。

かなり逝っちゃってる野村久之「混沌」(1961年)

とうとう「画」てさえなくなった野村久之「Domine Quo Vadis」(1962年)

楠田信吾「WORK」(1963年) ここまで来ると心底どうでもよくなる

 

 

 最後のコーナーは戦後に大流行した抽象画のブームに乗っかって、それに取り組んでみた大家達の作品。堂本印象や児玉希望らの名が並ぶ。この辺りはそもそもまともな絵を描ける人達の作品なので、私の目には逆に説得力があるように感じられる。

徳岡神泉「流れ」(1954年)

堂本印象「無礙」(1958年)

児玉希望「踊」(1962年)

杉山寧「條」(1962年)

 以上、思っていたよりはなかなか興味深く、戦後日本画の迷走と混乱を感じられ、今まで「なんでこの人がこんな作品を描いてるんだ?」という漠然と抱いていた疑問に回答が与えられた感がある。結果としては食わず嫌いでパスしないで正解だった模様。まあ知識というものは幅広く仕入れることに意味があるということだろう。実際に最近は「これは絶対に私は興味を持たないな」と感じて入場料を無駄にしたような経験の点と点が、線としてつながって来て意味を持ってきたような感じがしている。

 

 

 これで東山方面美術館の予定は終了。次の目的地を目指すことにする。京セラ美術館の向かいの近代美術館は次の出し物の準備中で休館の模様。次の展示は竹久夢二か・・・。私は以前からどことなく媚びの感じられる夢二の美人画は嫌いなので考えどころ。もっとも私は夢二のデザイナーとしての才能は評価しているので、そちらに力点を置くという内容であるなら考える余地ありではある。

近代美術館は次は「夢二」の模様

 もう昼時だし、そもそも今日は朝食を摂っていないしでかなり空腹である。東山駅まで戻る課程で昼食を摂れる店を物色するが、やはり観光地である東山地区の飲食店は圧倒的にボッタクリ店が多い。そのボッタクリ店に観光客が行列を作るという地獄絵図が展開されており、私が昼食を摂るために入店する余地など全くない。諦めてとりあえず移動をすることにする。

 これからの予定であるが、福田美術館の後期も考えていたのであるが、もう既に足が痛くなっている(この時点で5000歩程度は歩いている)状況を踏まえて、これはパスすることにする。となると次の目的地は大阪まで飛んで自然史博物館。JR一本で長居まで行くのが簡単だが、交通費を節約して阪急を利用することを考える。となると乗換駅は四条である。

 四条で降りたところで昼食をここで摂ることにする。観光地よりはまだ繁華街の方がまともな飯があるのが常識。結局近くのビル地下の「めん坊」チキンカツ定食(990円)という味も素っ気も風情も微塵もないがCPは妥当な昼食を摂る。

四条駅近くのビル地下の「めん坊」

チキンカツ定食を頂く

 昼食を終えると阪急と地下鉄を乗り継いで長居へ。目的は自然史博物館で開催されている「鳥」展。なんか宮崎名物の鶏天みたいだ・・・。以前東京の国立科学博物館で開催されていたネタである。

 休日の長居公園は結構混雑している。その奥にある博物館もかなりの入り。しかしキャリーをゴロゴロ引きずりながら開場に到着した私は、どこにもロッカーなどがないので会場内にキャリー(小型のものではあるが)を連れて入場しないといけないことに絶句する。しかしよく見ていたらヘビーカーなんかもそのまま大混雑の会場内に入場していた。

自然史博物館に到着

 

 

「鳥 ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統」大阪市立自然史博物館で6/14まで

 生物の中で独自の進化を遂げ、多くの種を派生された鳥類の歴史と分類について紹介。最新のゲノム解析に基づいて分類された44の目に属する標本などを展示している。

 最初のコーナーは鳥の発生について。爬虫類から進化して飛行能力を獲得するに至った鳥類の進化の歴史、体のシステムなど化石標本などで紹介。巨大鳥類であるペラゴルニス・チレンシスの復元などは圧巻。

鳥の骨格についての解説

生態によって変化する翼の形

復元された怪鳥ペラゴルニス・サンデルシ

その骨格の化石

様々な玉子

 

 

 ただこれはあくまで序章であって、本展の主眼は以降になる。ここでは44の目に属する鳥類を大量の剥製標本で紹介してある。鳥類に限定してここまで詳細に分類している展示というのは私も初めて目にするものであって興味深い。

走鳥類のダチョウ目のダチョウ

こちらはヒクイドリ目のヒクイドリ

キーウィ目のコマダラキーウィ

 地面を走って生活する走鳥類の次はキジ類など。

キジ目のキジ

ツルの仲間たち

ハト目のオウギバト

 

 

 水鳥も登場する。

チドリ目のエトピリカとツノメドリ

コウノトリ目コウノトリ

ペリカン目ハシビロコウ

ペンギン大集合

 空の王者たる猛禽類。

猛禽大集合

フクロウの仲間

 身近な小鳥類となる。

スズメの仲間

そして最後はインコ目

 もっとも標本自体は珍しいものもあれば今更の代物(カラスとかハクショクレグホンとか)もあって玉石混交。また大量の剥製標本自体は科博に行けば見ることが出来るのだが、ここまで系統的に分類して分かりやすく解説しているというのが価値があるところ。生物分類学の学習には最適と言えよう。もっとも世の中にはそんなにお勉強をしたい者ばかりでない(というよりも大抵の奴は勉強なんてする気がない)ので、そういうライトな層でも理解できやすいように、漫画でもろもろ説明が入っていたのは工夫だろう。まあこれに興味を感じて食いついてくるような子供なら将来有望かも。

この手の漫画解説が多い

 これで今回の遠征は終了、帰宅の途につくこととする。

 

 

本遠征の前日の記事

www.ksagi.work