徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

福田美術館の虎展を見学してから、京都市響の広上淳一ファイナル公演へ

翌朝はゆったりと迎える

 翌朝は目覚ましをセットした7時よりも前に自動的に目が覚める。昨晩疲労で早めに就寝したためか、明らかに何度か中途覚醒をしていたはずにも関わらず、意外に熟睡感がある(久しぶりである)。起き抜けはとにかく体温が上がらないので、まずは入浴して体を温める。

 朝食はバイキング。コロナ感染対策のためにビニル手袋の着用が義務付けられている。内容的にはさして珍しくはないものの、よく眠れたためかとにかく食が進む。これも最近はあまりなかったことだ。例によって和洋両用でガッツリと頂くことにする。

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バイキング朝食

 レストランからの帰りに展望室があるという8階に立ち寄る。ここからは正面に東寺の五重塔が見える。京都らしい風景ではある。

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東寺が見えている

 朝食を済ませるとチェックアウト時刻の10時までこの原稿執筆などの作業。昨日、ほとんど原稿を書けていないのでそれをザクッとまとめる。キチンと睡眠できたおかげか、昨日と違って考えがまとまりやすい。

 

 

ホテルをチェックアウトすると嵐山へ

 10時前に慌てて荷物をまとめるとチェックアウト。ホテル自体は贅沢さは皆無だが、駐車場完備で大浴場もあり、朝食もまずまず悪くない。そして宿泊費は以前に使用したホテルエルシェントよりもかなり安いし、「使えるな」という印象。これからしばらくはまだ京都遠征も車での移動を余儀なくされるだろうから、定宿になる可能性がある。もっとも宿泊費に関してはコロナが下火になってインバウンドが復活したら、高騰する可能性はなきにしもあらずだが。

 ホテルを後にするとまずは京都の美術館巡り。と言っても実は当初に考えていた京セラ美術館はどうやら展覧会の会期を私が勘違いしていたようでまだ開催前。結局は嵐山の福田美術館しか立ち寄るところがない。そういうわけでホテルでチェックアウト時間まで粘っていた次第。とりあえず嵐山周辺にakippaで駐車場を押さえているのでそこに向かう。

 駐車場はJR嵯峨嵐山駅よりもさらに北だから嵐山には結構遠い。まあ車遠征のせいで何かと費用がかさむので、少しでも抑えるべく駐車場代をケチってるんだが、経済性と利便性はとにかく相反する要素である。アベノミクスが国民を豊かにしたのなら、私も普通に嵐山の観光駐車場にサクッと車を止められるが、あれは自分達が税金を懐に入れるためのインチキ政策だったので、その間に国民も貧困化、私も金欠で喘いでいるので観光駐車場になんて車を停める余裕はない。結局は疲れた身体にむち打ってトボトボと歩くことに。嵐山周辺は明らかにピーク時よりは遥かに少ないが、それでも結構観光客が出てきている。

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嵐山周辺はそれなりに観光客はいる

 

 

「トラ時々ネコ 干支セトラ」福田美術館で4/10まで

 今年は寅年ということにちなんで、虎もしくは猫を描いた日本画を中心に、それ以外の干支動物なども含めて動物画の展覧会である。

 虎で猫と言えば一番最初に思いつくの円山応挙であるのだが、残念ながら応挙の虎猫の作品はなく、出展されていたのは同じテイストの犬の絵。コロコロした子犬を描いた絵は今でも大人気だが、当時から人気があって注文が殺到したとか。

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応挙の「竹に狗子図」

 応挙でないなら、虎と言えば竹内栖鳳だろうかと思っていたら、こちらは予想通り出展されている。獣の質感がいかにも栖鳳らしい。ただ意外と猛々しさは感じない。

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竹内栖鳳「猛虎」

 虎と言えばやはり本命はこの人だろうということで、虎の専門家とも言われている大橋翠石の作品が数点登場。さすがにこの人の虎の絵は力強さが違うし、生命力を感じさせる。伊達に虎にこだわり虎の画家とも言われていない。

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大橋翠石「猛虎之図」

 さらに翠石の兄だという大橋万峰の虎の絵も登場。堂々たる金屏風だが、さすがにこの人も弟に負けず劣らず虎の絵を得意としているとのことで、迫力満点の虎の姿を描いている。また絵のタッチも翠石と似たところがある。

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大橋万峰「猛虎図屏風」右隻

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左隻

 

 

 個性的なのは岸駒の虎図。猛虎とあるのだが、どうも宗は見えず愛嬌がある。応挙の虎ほどコロコロしていないが、どことなく猫っぽさがある。

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岸駒「猛虎図」

 さらにやや変化球的に独得の味わいのあるのが与謝蕪村の虎。忍び寄っているような構図である。

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与謝蕪村「猛虎飛瀑図」

 で、橋下関雪は干支つながりでお得意の猿が登場。彼はテナガザルの絵を多く描いているが、そのうちの一点が出典。

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橋下関雪「玄猿図」

 最後は同じく猿を大橋翠石で。やはりこの人は毛並みの描き方が半端なく上手いのが良く分かる。

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大橋翠石「渓山双猿図」

 と言うわけでなかなかに楽しめる展覧会であった。同じ虎でも画家によって捉え方が全く異なるところが興味深いところである。

 

 

京都コンサートホールに移動してから昼食

 展覧会の見学を終えると嵐山界隈をプラプラと駐車場まで歩く。もう昼時にさしかかっているのでどこかで昼食をとも思ったが、嵐山界隈は観光客相手の店ばかりでやけに相場が高いので魅力を感じない。結局スルーしているうちに駐車場の近くまで来てしまったので、もうホールに移動してホール近辺で昼食を取ることにする。

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渡月橋には観光客の姿も

 それにしても暑い。ついつい今までの習慣でダウンジャケットを持ってきてしまったのが馬鹿に思えるほど。当然上着は車の中に置いたままで歩いたのだが、それでも汗ばんでしまった。

 京都コンサートホールの方の駐車場もまたakippaで押さえているが、これもホールから結構距離があるのでまた歩く羽目になる。なお途中で「東洋亭」を覗いたが、店の回りは人影が多く、裏手の駐車場も車で満車なのでとても待っている時間がないと諦めた。それにしても毎度のことながら、この店は異常に人気が高い。

 昼食を摂る店だが、選ぶのも面倒なので目についた「そば料理よしむら北山楼」で摂ることにする。正直なところあまりそばの気分でもなかったのだが、選んでいる余裕があるほどこの界隈は店が多くはない。ロイヤルホストに行くよりは良いだろう。

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趣ある店構え

 メニューをザッと眺めて天丼のセット(1650円)を注文する。天丼にそばと変わりそばとしてとろろそば(おろしそばも可)に小鉢などがついてくる。味は普通に美味しく、京都だけにCPが高いとは感じないが、味に関しては文句ない。なお天丼がただのご飯でなくて、どうやら蕎麦の実が入っているようであるところは、さすがにそば料理を名乗っているだけのことはあるか。

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天丼のセット

 

 

 昼食を終えると京都コンサートホールへ。何かかなり久しぶりの気がする。前回来たのは昨年の11月のアクセルロッドか。それが丸1年ぶりだったから、ここのところなかなか京都に来れていないのは間違いない。

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久しぶりの京都コンサートホール

 いつも1階の席のことが多いのだが、今回はチケットを取ったのがギリギリだったこともあり、1階は端の方しかなかったから3階席を購入している。高さが気になるところだが、このホールの設計はフェスティバルホールと違って高さの恐怖があまりない。さらに今回の席は正面からステージが見えるなかなかの席。これは1階の端なんかよりも絶対良い席。なお会場の入りは1階席の端の方に空席がややあり、8割程度と言うところか。

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席は意外と良い

 

 

京都市交響楽団 第665回定期演奏会

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今回が広上ファイナル

広上淳一 指揮
藤村 実穂子(メゾ・ソプラノ)
京響コーラス(女声)

尾高惇忠:女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」「子守唄」
マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲
マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」

 今回は広上のファイナルということで、NHKのカメラが収録に入っている。ただしいつどういう形で放送されるかは不明らしい。

 さて一曲目であるが、女声合唱による美しい歌。ちなみに尾高惇忠と言えば、どうしても「青天を衝け」に登場した栄一の馬鹿兄貴を思い浮かべてしまうが、当然そちらではなくて尾高忠明の兄貴で作曲家の方である。時代的には完全に現代に当たるのだが、曲自体はいわゆる現代音楽とは違って、もっと伝統的な普通の合唱曲である。

 京響コーラスがなかなかに美しい。マスク歌唱のせいでやや明瞭さが欠けるのであるが、それでもハーモニーの美しさは十二分に伝わってくる。

 リュッケルトについては藤村の表現力に尽きるだろう。深い、なかなかにして聞かせる歌唱である。歌唱に様々なニュアンスが込められていてそれがこちらにビンビンと伝わってくるのが見事。この辺りは流石と言うべきか。

 そして後半が京都市響の巨人。広上の指揮はドッシリと構えつつもなかなかに動きの激しい熱いもの。相変わらずタコ踊り絶好調である。一方の音楽の方もそのタコ踊りに連動して変化自在なところがあるが、それに関して全く乱れないところに、広上の楽器としての京都市響の完成度の高さが窺われる。

 音楽自体はかなり色彩的で明瞭、さらに陽性でかなり美しくてロマンティック。またこんなオッサンのどこからこんな音楽がと驚くぐらい音色に色気がある。ところどころ広上が思いっきり謳わせてくるのだが、そういうところでのゾクッとくるぐらいの色気のある音色には驚かされる。

 最終楽章なども、指揮者によっては勢いに任せて突っ走る者もいるのだが、広上はそういう単純な音楽にはしない。ドンと盛り上げたかと思うと、いきなりストンと落としてゆったり謳わせるなど見事なほどにメリハリと変化に富んでおり、息をつかせないというところがある。

 14年に及ぶ広上と京都市響の関係性の深さを感じさせる内容の濃い演奏であった。場内はかなり興奮状態となったのだが、最後はそれを沈静化するかのように合唱団が再入場して「子守歌」をアンコール。こうしてグランドフィナーレを迎えたのである。

 

 

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