遠征2日目は雨の中の美術館巡り
昨晩があまりに早く寝付いたせいで5時過ぎに目が覚めてしまった。これではどうにもならないのでそのまま無理やりに目を閉じて、寝てるとも起きてるともつかない状態で7時過ぎまで布団で粘る。
7時過ぎにゴソゴソ起きだすと、とりあえずはシャワーで体を温めてから、身支度をして出かけることにする。まずは朝食であるが、テナントだった居酒屋が撤退したので、今は向かいのドトールの割引券を配布しているようである。とりあえずミラノサンドとブレンドコーヒーのセットを頂く(650円)。
さて今日の予定であるが、京都の美術館を回る。明日との振り分けの関係で、この後はまずは本遠征の最大の目的とも言える国立博物館の「雪舟展」を見学、その次は一番遠くの福田美術館を見学して、その後は出たとこ勝負というざっくりした計画。Google先生にお伺いを立てたところ、博物館までは四条烏丸からバスで行けるようなのでそれを利用することにする。
外は生憎と小雨がぱらつく悪天候である。GWだけに道路が混雑してバスが動かないという事態を懸念していたが、まだ時間が早いためか、それとも今日はそもそも平日であるためか、そこまで道路も混雑していない。ほぼ予定通りに博物館最寄りの七条のバス停に到着する。そこから博物館まで数分。博物館が見えてきたら入口に行列が見えるので、まさか雪舟展大混雑かとビビったのだが、どうやら普通の開館待ち行列らしく、開館したらすぐに捌ける。あのモネ展での異常な混雑が頭にあったことから一瞬ビビってしまったが、流石に画聖雪舟も、一般人に対するインパクトはモネよりは大分劣るか。会場内もまあ普通の入りなので見学には余裕がある。
「雪舟伝説-画聖の誕生-」京都国立博物館で5/26まで
後の日本絵画に大きな影響を与え、「画聖」とも呼ばれた雪舟の作品及び、彼の影響を受けた後継者達の作品を集めた展覧会。
雪舟が高く評価されるようになったのは主に江戸時代以降だという。多くの画家にとって雪舟の作品は一種のお手本のようになり、それだけに模写なども多く、雪舟の真筆であるかどうかが定かでないという作品も少なくないという。
本展の最初に登場するのは、そんな中でまあ雪舟の真筆と考えて間違いないだろうと思われる作品が登場する。有名な国宝の「秋冬山水図」や同じく国宝の「四季山水図絵巻」、さらにまた国宝の「天橋立図」などが登場する。秋冬山水図はまさに雪舟を代表する作品で、そのいかにもゴツゴツとした岩の描き方がいかにも雪舟式。またその画面構成の独得さに謎もある。「天橋立図」は壮大な風景を写生した作品だが、現存している本作は実は下絵であるという。しかしこの時点で雪舟の卓越した表現力に圧倒される。
また重文の「四季花鳥図屏風」は山水画の雪舟にしては珍しい花鳥画。なお無款であるらしいが、雪舟筆であろうと判断されている作品とか。確かに岩や木のゴツゴツした表現はいかにも雪舟式である。鶴の表現も雪舟らしい結構アクの強い画調である。
その後のコーナーは雪舟の後継者になる。直接の後継を名乗っているのは雲谷等顔らの雲谷派。いかにも雪舟そのものを再現するかのような作品が多く、そのまんまに模写作品などもある。一方、同時代に雪舟の後継を自称していたのが長谷川等伯だという。ただ等伯の場合は、確かに雪舟の影響はあるのだろうが、自己の個性もいささか強い。
江戸時代になると狩野探幽などの狩野派が雪舟の作品を積極的に教材として活用することで、雪舟自身が神格化されていくことにつながったという。探幽は雪舟の型を参考にした作品も製作しているが、雪舟ほどの無骨さはなくもっと滑らかであるのは探幽の個性のようだ。
その後は雪舟の富士三保清見寺図をリスペクトした様々な絵師による作品。狩野派からは狩野山雪。自分流でありながらも雪舟に対するリスペクトは感じられる。曽我蕭白になるとさすがに自分流のアレンジや個性がかなり強いものを感じさせる。さらに写実の原在中(円山応挙の弟子)に果ては西洋画信奉者である司馬江漢(日本画はダメでも雪舟は別だそうな)まで登場する。また変化球としては雪舟の四季花鳥図屏風から鶴だけを取り出したと推測出来る伊藤若冲の竹梅双鶴図など実に多彩な作品が登場。皆、多かれ少なかれ雪舟から学んだようである。
雪舟は現存の真筆作品自体が多いとは言えないので、雪舟とその後の展開に光を当てた展覧会であった。しかし雪舟が後世に与えた影響は、私が思っていたよりも随分と大きいということが分かって実に興味深かった。
バスの乗り間違いで急遽の予定変更
雪舟展の見学を終えると一旦ホテルに戻ることにする。とりあえずメインの目的を果たして一息つきたかったのと、どうやらICOCAを部屋に忘れてきたようであることから、これからバスや地下鉄で移動することを考えると、いちいち現金払いが面倒だからである。そこで往路と同じバスに乗って・・・のつもりだったのだが、なぜかバスが四条河原町方面に曲がらず直進する。どうも間違って別の路線のバスに乗ってしまった模様(系統を確認して乗ったつもりだったんだが・・・)。東山に到着してしまったので、慌てて飛び降りて予定の全面変更をすることにする。まあ一人旅ではこういうアクシデントに伴う予定変更はしょっちゅうで、たまにはそこから思いがけない発見につながることもあるのだが。
日時指定制の「金曜ロードショーとジブリ展」のチケットを明日の昼で確保しているのと、国立近代美術館が今日は休館であることから、東山は明日に訪問するつもりだった。しかしこうなった以上、行きがかりの駄賃でとりあえずジブリ展と近代美術館の鉄斎展以外の予定を今日済ませてしまうことにする。
まずは京セラ美術館に立ち寄る。現在「村上隆展」と「キュビズム展」が開催されていることから、この両展を見学することにする。それにしても共に入場料は2000円超え。アホノミクスの悪影響で、昨今は展覧会の入場料まで高騰している。
会場内はいきなり村上隆流仁王像のお迎えで独得の世界。
「村上隆もののけ京都」京セラ美術館で9/1まで
現代美術家である村上隆の大規模個展とのこと。現代芸術系は様々な系統があるが、彼の場合はかなりポップカルチャー系であることが特徴で、いわゆるオタとの親和性が相当に高いようである。
会場入口ではいきなり京都とのコラボとのことで、洛中洛外図のパロディ的作品や、リンパをリスペクトした作品などが登場。確かにこうして見てみると、琳派って意外にポップだったのかもしれない。
次のコーナーは村上隆流四神図。朱雀、青龍、白虎、玄武が彼流の派手派手な出で立ちで登場する。
次はまあサブカル的というか、アニメ的というかなキャラクターを使用した作品。なんかプリキュアやまどマギに見えるような作品まである。
独特の世界であるが、その中に本展の表題作になっている大作「金色の空の夏のお花畑」や明らかに曽我蕭白の「雲龍図」からインスパイアされている「雲龍赤変図」などが登場する。
「風神雷神図」や「釈迦来迎図」をモチーフにしていたりなど、何やら適当に伝統作品からインスパイアされている作品が多いのであるが、最後には十三代目市川團十郎襲名披露記念興行用の祝幕の原図が登場して華々しく終了である。何か頭がぶっ飛びそうな感覚。
屋外には巨大で金ピカな「お花の親子」像が立っている。やっぱりこの金ピカ感覚が琳派とかと相性が良いんだろうな・・・。もっとも彼の場合は金ピカをわびさびに使用するのでなく、そのまま単純に金ピカとして使っているように感じられるが。
なかなかに頭がぶっ飛びそうな展覧会であった。まあ好きか嫌いかは人によって分かれるだろう。私的には好きとは言わないが、まあそれなりに面白いとは感じる。
頭がぶっ飛んだ後は、また別の方向で頭をぶっ飛ばしに行く。隣で開催されているキュビズム展に入場。
「キュビズム展 美の革命」京セラ美術館で7/7まで
現代アートの殿堂であるパリのポンピドゥーセンターからキュビズム作品が多数来日とのこと。キュビズムとは様々な視点を二次元に描き落とした独得の絵画表現で、ピカソとブラックが創始者とされるが、その着想の元はセザンヌから来ているとされる。
20世紀初頭、ピカソとブラックは最初はプリミティヴィズムという、アフリカなどの原始的文化に感化された作品を描いていた。
そんな中、1906年~1910年にかけてセザンヌも滞在したレスタックに滞在したブラックが、セザンヌ的な作風から幾何学的形態に進化する展開を見せ、これが「形態をキューブに還元している」という意味でキュビズムと呼ばれるようになったという。その頃、ピカソも同様にキュビズムへと展開をしていたらしい。
そしてこの両者は1908年ぐらいから交流を深めて「ザイルで結ばれた登山者」のような運命共同体になっていったという。1909年夏が断片を組み合わせたような「分析的キュビズム」の時代となり、その後1912年からはコラージュなどを用いた「総合的キュビズム」の時代になるのだとか。
彼らのキュビズムは若い芸術家たちに大きな影響を与え、サロンにおいて一大旋風を巻き起こしたようである。そんな中からレジェとグリスが登場する。
またドローネーは「同時主義」という独自の概念を打ち出し、色彩の追求から時空を超えたような作品にまで至るようになったとのこと。
さらにデュシャン兄弟らサロン・キュビスムの芸術達が科学理論をキュビズムと結びつけようという方向性も示すようになる。
そしてキュビズムの影響も受けながらさらに発展していった外来の芸術家として、シャガール、アーキペンコ、モディリアーニなどを挙げている。
さらにロシアや東欧から、先のアーキペンコに加えてシュルヴァージュ、エッティンゲン、フェラなどが加わったという。
ロシア国内ではキュビズムと伝統芸術が結びついて「ネオ・プリミティヴィズム」という運動が発生し、それの中心がラリオノーフ、ゴンチャローワなどだという。
第一次大戦は芸術家たちにも影響を与え、グレーズはそれに影響された作品を描き、ピカソは新古典主義の時代に移行する。
大戦以降はキュビズムは前衛性が抑えられより平易な方向へ向かい、ピカソなどの作品もより写実性が入ってくるようになったという。
以上、キュビズム絵画を概観したんだが、結局のところキュビズムって何だったんだろうというイメージは今ひとつつかめなかった。ただ分かったのは、ピカソやブラックを中心として、極めて短期間に爆発的に芸術界を席巻したが、当の両人は最終的にはそこから少し距離を置いた位置に行ってしまったという感覚である。前衛的な改革を仕掛けた当事者が、改革が暴走気味になってくると気がつけば蚊帳の外という状況に近いものを感じないでもなかった。結局のところはかなり突飛なアイディアであったキュビズムであるが、今日ではある種の芸術の常套手段の一つに収まっているような気はする。
昼食をとってから嵐山へ
これで明日に残ったのはジブリ展と鉄斎展だけである。次はここから地下鉄東西線と嵐電を乗り継いで福田美術館を訪問することにする。ただそのまえにもう昼時であることからここで昼食を摂っていくことにする。どうせ嵐山周辺はインバウンド観光客ターゲットのぼったくり店ばかりなのは分かっているから。立ち寄ったのは今まで何度か利用したことのある「御食事処 明日香」。注文したのはやはり京都は鱧の天ぷらの定食。
あっさりと淡泊なハモの天ぷららが心地よい。ただ結構身体に疲労が強い現状では、もう少し滋味に富む料理でも良かったかと言う気も。
昼食を終えると地下鉄と嵐電を乗り継いで嵐山へ。相変わらず嵐山はインバウンドを中心に大混雑である。目的の福田美術館はその喧騒から離れた別天地となっている。
「君があまりにも綺麗すぎて」福田美術館で7/1まで
タイトルから分かるように、いわゆる美人画展である。となると当然のようにまずメインは西の上村松園と東の鏑木清方となる。松園、清方いずれも劣らぬ名作揃いだが、残念ながら清方の方は著作権絡みか撮影禁止である。
なお両者以外にも振袖火事の事件の元になった妖艶な小姓を描いた山川秀峰の作品は、妖しいまでのインパクトがあるし、池田蕉園の品の良い作品、菊池契月が浦島太郎をアール・ヌーヴォー風に描いたという異色の作品などが登場する。
2階展示室では松園・清方に次ぐ画家たちの作品。ここでは伊東深水なども登場だが、なぜか撮影は可だがSNS不可とのこと(遺族の意向とかだろうか?)。以前より私は深水は今ひとつ好みではないのだが、それでも大正モダンガールを描いた「酣春」、普段といささかタッチの違う「夕映」など面白い感じる作品あり。なおこれ以外でも伊藤小坡の作品などはやはり好ましいし、松村梅叟の作品なども美しい。また梥本一洋の「朝凪」はフェリーの船上でくつろぐ女性といういかにもモガを描いていて当時の空気が感じられる。
そんな中、おどろおどろしい絵画で知られる岡本神草や甲斐庄楠音の、比較的オーソドックスな作品なども印象に残る。
さらには北野恒富、島成園、木谷千種といった大阪画壇の画家たちの秀作も登場。
予想していたよりもなかなか面白い作品を見ることが出来た。なお嵯峨嵐山文華館も第二会場ということでセット券を購入しているのでそちらも見学に行く。
こちらは江戸時代の作品と言うことで浮世絵になる。歌川広重、勝川春章、さらには葛飾北斎などの作品があるが、その中では「どことなく変」な祇園井特の作品がとにかくインパクトは強い。
2階展示場にはその浮世絵の流れを汲む美人画とのいうことで、伊東深水、北野恒富、上村松園の作品などが再登場。
以上で福田美術館の見学は終了。正直なところ嵐山は遠いし、今更美人画もいいかという気もあったんだが、時間と金をかけて来たら来ただけの面白味は十分にあったというところである。
嵐山の茶店で一服して帰る
これで今日予定していた展覧会は押さえたので、ホテルに戻ることにする。ただその前にやはり少しお茶ぐらいしたい。「琴きき茶屋」に立ち寄って「桜餅とおうすのセット(730円)」でまったり。桜餅の爽やかさと餡の甘さ、おうすの風味が相まって絶品。
ようやく人心地ついたところで、嵐電と地下鉄を乗り継いでホテルに戻る。今日はずっと雨がぱらつく悪天候だったが、四条駅に戻ってきた時には雨は豪雨に変わっていた。ホテルに戻るととりあえずシャワーで汗を流すと共に、部屋に備え付けてあるズボンプレッサーでズボンを乾かしておく(このホテルの部屋は異常に狭いクセに、なぜかスボンブッサーと洗濯機は部屋に標準装備されているというおかしな構造)。
しばし休憩と原稿執筆などで時間をつぶし、気がついたら夕食時になっていたので夕食に繰り出すことにする。かなり足にダメージもきており、わざわざ遠くまで食事に出る気も起こらない。こんな時には以前は2階に居酒屋があったから便利だったのだが・・・。仕方ないので出かけると、立ち寄ったのは四条駅の近くのビルの地下にある「めん坊」。讃岐うどんの店のようである。
注文したのはチキンカツの定食。カツもうどんも普通に美味いというところ。ことさらに讃岐うどんをアピールするような麺の硬さはないが、しっかりと腰はあってマズマズ。これで900円は妥当な内容。場所柄を考えるとこういう「普通」の店はなかなか使える。
夕食を終えるとホテルに戻って再び原稿入力。しかしやはり完全に疲れてしまう前に入浴しておく必要がある。今日は何だかんだで昨日以上の1万8千歩も歩いているから身体がガタガタである。
大浴場に入ると体をしっかりと伸ばす。やっぱりこれができるのとできないのとで翌日の体調に雲泥の差が出る。
風呂から戻ってくるとやはり疲労が強い。いくらかデスク作業は行ったもののやはり能率が上がらず、ある程度のところで諦めて寝てしまう。
この遠征の翌日の記事
この遠征の前日の記事