徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

佐和山城を見学して帰宅

 昨日も早めに就寝したのだが、今朝は完全に7時過ぎまで爆睡していて目覚ましで初めて気がついた。相当に疲労が溜まっているようで、起き上がった時にあからさまに体が重い。

 とりあえずシャワーを浴びて目を覚ますと、朝食バイキングのためにホテルのレストランに出向く。朝食バイキングは品数としてはそう多いものではないが、味はまずまずであった。和洋両様でガッツリ食えるのは良い。朝食後はとにかく体が重いので、ホテルのチェックアウト時刻の10時ギリギリまでベッドでゴロゴロしながら過ごす。

f:id:ksagi:20190630185620j:plain

朝食バイキング

 ホテルをチェックアウトすれば今日は帰るだけ・・・なのだが、実のところはその前にもう一カ所だけ立ち寄るところがある。彦根と言えば井伊直政・・・でなくて、その影に追いやられている石田三成である。この彦根にはその三成ゆかりの城である佐和山城がある。やはりここに立ち寄っておかないといけないだろう。

佐和山城 三成に過ぎたるものと言われた堅固な居城

 佐和山城への登山道は龍潭寺の奥にあり、龍潭寺の前には駐車場もあり、佐和山城ボランティアガイドの詰め所なんかもあるようである。龍潭寺の奥の墓地の方に進んでいくと佐和山城登山口の案内があり、「野猿の群れが出没するので注意」との看板が。ハイキングコースになっているような山だからと唐辛子スプレーは持ってこなかったのだが、持参した方が良かったか?

f:id:ksagi:20190630184228j:plain

佐和山城遠景
f:id:ksagi:20190630184246j:plain
f:id:ksagi:20190630184252j:plain
警告看板を過ぎて山道を登っていく

 山道に入るが、ハイキングコースとして整備されているので道は悪くない。これは楽勝・・・と言いたいところなのだが、足が全く前に出ない。私自身が感じていた以上に足腰がヘロヘロになっていた。太ももは上がらないし、ふくらはぎは痙攣しそうな状態。山道にさしかかった途端にいきなりリタイヤという情けない状態になりかけたが、さすがにここまで来てそんな情けないことにはなりたくない。必死で気合いを入れて途中で普段の3倍は休憩を取りながらヨタヨタと登っていくことに。

f:id:ksagi:20190630184405j:plain

大洞弁財天との分岐

 大洞弁財天との分岐を過ぎて少し登ると大穴のある曲輪に出る。ここが西の丸の端で、この曲輪は煙硝櫓跡(なぜか表記は塩硝櫓となっている)とのこと。どこの城でもとにかく煙硝倉は万一の爆発に備えて、城から外れたところに半地下にするか土塁で囲うかして設置するものである。現地の看板には「この土抗の用途は不明」とあるのだが、普通に考えると火薬を蓄えていたのでは?

f:id:ksagi:20190630184435j:plain

煙硝櫓

 この辺りの周辺は鬱蒼としているが平坦地であり、西の丸の曲輪であることが分かる。ここを奥まで進むと堀切らしき跡があってそこから険しい登りになる。これを登り切ると本丸。足はもうガタガタだが、ここまで来ると好奇心が体を支える状態。

f:id:ksagi:20190630184512j:plain

西の丸

f:id:ksagi:20190630184526j:plain

西の丸の端

f:id:ksagi:20190630184559j:plain

堀切がある
f:id:ksagi:20190630185923j:plain
f:id:ksagi:20190630184620j:plain
ここからさらに登るとようやく本丸

 ようやく本丸に登ると視界が開ける。本丸跡はなかなか広いスペースがあり、西の丸から登ってきたところには虎口構造らしきものが見られるように思われるが、佐和山城は大規模に破城されているために往時の構造はほとんど残っていないとのこと。

f:id:ksagi:20190630184644j:plain

本丸

f:id:ksagi:20190630184659j:plain

風景が良い

f:id:ksagi:20190630184713j:plain

彦根城が見えている

 ここで一息ついてようやく生き返ると、本丸奥の南の方に降りてみる。こちらは元々大手口の方向のはずである。随所にかつての構造の片鱗のようなものが覗える。また二段の巨石が残っているが、これがかつての隅石垣だとか。佐和山城の石材はほとんどが彦根城に持って行かれたとのことなので、かつてはこの山上に立派な石垣が存在したのだろう。それはさぞかし壮観だったろうと思われる。何しろ佐和山城は「三成に過ぎたるものが二つあり」と言われた内の一つなのだから。なお西軍の中心だった三成の居城だけにさぞかし溜め込んであるだろうと勇んで佐和山城に乗り込んだ東軍の諸将は、財宝の類いが一切なかったことに唖然としたらしいが。関ヶ原での準備のために資金を費やしたということも考えられるが、元々三成は個人的に蓄財をする類いの人物ではなかったのだろう(実際にかなり潔癖な人物だったようだ)。今時の政治家とえらい違いだ。

f:id:ksagi:20190630184802j:plain
f:id:ksagi:20190630184804j:plain
本丸の南を降りていく

f:id:ksagi:20190630184835j:plain

これはかつての隅石垣だとか

 南側に降りたところには千貫井戸があり、ここは今でも水が湧いている。水の手の確保もしっかりなされていたということで、この辺りは全く抜かりがない。

f:id:ksagi:20190630184856j:plain

さらに降りた先にある千貫井戸

f:id:ksagi:20190630184915j:plain

今でも水を湛える

 佐和山城を一回りしたところでヨタヨタと山を下りてくる。なかなかに見応えのある山城であった。徳川によって徹底的に破壊されているが、それでも地形などは残っており、往時の姿を垣間見ることは可能である。これもやはり私撰100名城Bクラスだろう。

f:id:ksagi:20190630184945j:plain

麓の龍潭寺にある佐和山城主の像

 もう限界まで疲れ切っているが家まで帰る必要がある。高速に乗るとすぐに多賀SAに入るが、車を停めるところに困るぐらい大勢でごった返している。そんな中「近江多賀牛」で昼食。これもしばし待たされてからの入店となる。

f:id:ksagi:20190630185206j:plain

多賀SAの近江多賀牛で昼食にする

 注文したのは近江牛ハンバーグとサイコロステーキの膳。味はまずまずだが、やはり場所柄CPは激烈に悪いのは仕方ないところ。

f:id:ksagi:20190630185244j:plain

味はマズマズだが場所柄CPは悪い

 昼食を終えた後は、途切れそうになる意識を無理矢理つなぎながら、何とか無事に家まで帰り着いたのである。それにしても新名神の高槻-神戸間が開通したのはかなり大きい。今までは西宮辺りで慢性的な渋滞で苦労させられたのだが、それをバイパス出来るようなったことは非常に助かる。

 結局、GWを北陸の温泉でゆったり・・・のはずが、北陸の山城を駆けずり回ってグッタリといういつものパターンになってしまったのである。全くもって学習能力がないというか、懲りないというか、業が深いというべきか・・・。