徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

飯守の代演でのコバケンの「わが祖国」は、まさに「炎のコバケン」を彷彿とさせる名演だった

1ヶ月ぶりのコンサート遠征

 今月は冒頭からプライベートで洒落にならないことが起こったせいでコンサートどころでなく、多くのコンサートをパスすることになってしまった。最近になってようやく事態が小康状態になったことから、今日はかなり久しぶりのコンサートになる。

 今回出かけたのは関西フィルの定期演奏会。年次予定では飯守泰次郎指揮によるブルックナーの5番の予定だったのだが、昨年飯守が急逝したことにより、代演はこれもベテランのコバケンが登板と相成った次第。プログラムは十八番の「わが祖国」とのこと。そう言えばコバケンは大阪フィルや読響では何度か聞いている(「わが祖国」も読響で聞いたことがある)が、関西フィルでコバケンというのは記憶にない。恐らくこぶしの回ったねちこい「わが祖国」が展開されることと予想できる。

 金曜日の仕事を終えると大阪に移動。移動にはJRを使用する。大阪でははしかが大流行とのことなので要注意ではある。久しぶりに大阪駅に降り立つと夕食はエキマルシェで摂ることにする。立ち寄ったのは「出汁茶漬け えん」「鯛出汁茶漬け(1050円)」を頂く。

エキマルシェ内の「えん」

 アホノミクスの影響で価格が上がっている上に、魚の量もかなり減ったという印象がある。濃厚なごまだれを出汁で割って食べるのがここ流。まあ濃厚なれど比較的あっさりしているメニューである。ただあっさりしすぎのせいもあって、やや食い足りない感はある。

全体的にCPが低下した感がある

 時間に余裕があるので新装なったエキマルシェを一回りするが、とにかくどの店も異常に価格が高いという印象。やはり所場代が高いんだろう。これだと使える店はかなり限定されてしまいそう。まあエキナカで食事を摂る奴なんて、現地民に言わせるとお登りさんなんだろうが。

 

 

 夕食を終えるとホールまでプラプラと歩く。考えてみるとここを歩くのはかなり久しぶりである。コロナの影響で最近まではもっぱら車での移動だったし、この前の日本センチュリーの公演では駅から送迎バスを利用した。久しぶりに歩いてみると思いの外遠い。特に今は足にトラブル(足裏にマメが出来て皮がめくれてしまった)を抱えているのでなかなかキツい。しかしそれ以前に恐ろしいほどの体力の低下を痛感する。これぞコロナお籠もりの副作用。この調子だと山城を走り回るなんてとても無理。またこれ以上老化してきたら、いよいよこの行程もしんどすぎるだろう。チャーターバスを走らせているセンチュリーは確かに賢い。

疲れ切ってホールに到着

 ホールには開場の直前に到着する。入場するとやはり喫茶でマッタリ。毎度の事ながら老化とともに堕落が著しい。お茶漬けだけだと腹が少し不足を訴えているので、グリルチキンサンドイッチをアイスコーヒーにつける。CPは悪いがサンド自体はまずまず。

アイスコーヒーにサンドイッチを付けて

 時間になると会場に入るが、会場内はまずまずの入り。ザッと見て9割というところか。コバケン人気マズマズか。

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 第344回定期演奏会

今日は14型拡大編成

[指揮]小林研一郎
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

グリーグ:オーゼの死(「ペール・ギュント」第1組曲より)
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」全曲

 冒頭は亡き飯守を偲んでの追悼演奏。弦楽陣のみでしっとりとしめやかに演奏される楽曲である。同じ旋律を繰り返すだけの単調な曲であるのだが、そこに万感の思いが籠もっていることを感じさせる。明らかに指揮をしているコバケンにも、演奏している楽団員にもそれぞれ過ぎるものがあることを感じさせる深い演奏。しっとりとした演奏には定評のある関西フィル弦楽陣がなかなかに聴かせる。同時に今日のコバケンはいつにもなく気合いが入っていることも感じさせる。

 まさにしめやかに一曲目が演奏された後に、今日の本題の方に突入する。ここでやはり今日のコバケンの気合いの乗りっぷりはややいつもと違うことを感じさせれられる。彼の演奏はメリハリ強めなのは毎度のことであるのだが、常ならコバケン演歌とも揶揄されるところの一種のぬるさを内在している。それが状況によっては独自の味になるのであるが、下手をするとひたすらぬるいだけの演奏となる。しかし今回はそういうぬるさが感じられない。強音ではピンと張りつめた緊張感があるし、弱音の時はテンポを抑え目であるにもかかわらずぬるさではなく美しさが前面に出る。

 これはコバケンの指揮だけでなく、演奏する関西フィルの方の気力の充実度が関係しているのだろう。良くも悪くもコバケンの指揮のパターンに慣れているオケの場合には、適度に流すというような妥協が見られることがあるのであるが、どうも関西フィルは真っ正面からコバケンの意図に基づいての演奏をしているような印象を受ける。

 関西フィルでは限界に近いレベルの爆音の部分も存在したのであるが、それが腰砕けにならずにピンと筋が通る。弱音でもグチャグチャせずにアンサンブルがパシッと揃う。ある意味での極めて整然とした演奏であるのだが、それでいて無味乾燥にならないという絶妙のバランスで音楽を奏でたというように感じられた。その結果としてコバケンの悪い意味でのぬるさが正面に出てこずに、まさに「炎のコバケン」と言うべき激しく情熱的な音楽が顕現したというべきだろうか。

 結果として非常に聴き応えのある会心の演奏となったように感じられた。演奏後にコバケンが「関西フィルの最高の演奏」と自画自賛していたが、まあ冗談抜きにそう言いたくなるようなパフォーマンスではあったとは感じられた。実際に私も同じくコバケンと読響で聴いた同曲の時とはかなり違った印象を受けたのである。