翌日は7時に起床するとまずはバイキング朝食。オーソドックスなルートイン朝食だが悪くはない。
さて今日の予定だが、島原に移動して島原城などを見学の後に島原温泉で宿泊する予定・・・なのだが、シャワーを浴びていたら足に痛みが走る。よく見ると足に靴擦れが出来ている。昨日の無理のツケが早速体に出てしまったようである。情けない話だが、今日はあまりウロウロ歩き回るのはしんどいだろう。
当初予定では8時55分の特急かもめと島原鉄道を乗り継いで島原に12時に到着、ホテルのチェックインが15時なのでそれまで島原市内を散策という予定だった。しかし島原で3時間も散策するかが疑問だし、ホテルにそんなに早々とチェックインしてしまっても仕方ないし、それになりより今朝はかなり体が重いしということで、1時間予定をずらすことにする。実は昨日、今日の特急の指定席を確保しようとしたが予約が一杯だったために自由席を取っている。今になるとそれが幸いしたことになる。
特急かもめで諫早へ移動
9時過ぎまで部屋でウダウダと過ごすと、チェックアウトを済ませて博多駅に向かう。一応自由席だということで発車の30分ほど前に駅に到着したのだが、その時点では自由席待ちの客はほとんどおらず、ゾロゾロと客が並びだしたのは発車10分前ぐらいから。その全員が問題なく座席確保できそう。さすがにジモティはその辺りの状況が分かっているからあえて急がないようである。
博多駅にはカラフルな列車が次々とやって来るので、鉄道マニア度の決して高くはない私でもなかなか楽しい。見ているうちにも青ソニックにオレンジのハウステンボスが到着する。九州の特急はこれ以外にも赤い九州横断特急、緑のゆふいんの風なんかもあるので、鉄道で戦隊を組めそうである。そう考えている内に白いかもめが到着。ゾロゾロと乗車。この車両はシートの模様といい、障子を思わせる室内ドアといい、明らかに和のテイストを意識していることを感じる。ただシートは悪くはないのだが、背当てが微妙な位置にあるのはどういことか。座高が高い私の場合、頭当てが背中に当たって不快。なんてことを考えていたら、となりの線路に黒い特急みどりが入線(黒いのにみどりとはこれ如何に)。この車両には見覚えがあるが、九州新幹線開通前にリレー特急として使用されていた車両である。どうやら今ではロートル特急に回された模様。
車内ではこの原稿を入力している(笑)が、車両が結構揺れる。JR北海道と同じで保線が間に合っていないのではないか。あまりに揺れるので気をつけないと酔いそうだ。
特急がしばし田んぼの中を突っ走るようになったら佐賀に到着。ここでの乗降がかなり多い。ここまで博多から40分ほど。確かにあまり遠くない。これは佐賀県民が「長崎新幹線なんていらない」と言うのもよく分かる。新幹線が開通したところで所要時間はそう劇的には短縮されないのに対し、巨額の財政負担が要求され、その挙げ句に並行在来線が切り捨てられることになれば佐賀県民にとってはマイナスばかりで何のメリットもない。いっそのこと熊本から海底トンネルで島原につないでそこから長崎に到着すれば。それなら長崎県内だけだし、現在交通の便が良いと言い難い島原は喜びそう(もっとも島原鉄道にとってはとどめになりそうだが)。
佐賀を抜けると列車は海沿いを走るようになる。こうなると特急かもめという名前の意味が感じられるところ。
しばし海沿いを走行するとやがて対岸に雲仙普賢岳が見えるようになってくると、間もなく諫早に到着である。
第3セクターの島原鉄道で島原を目指す
ここからは第3セクターのローカル線である島原鉄道に乗り換えることになる。駅はJRの高架駅からエスカレーターで降りるだけだが、私は最初に間違った方に降りてしまって慌てて引き返すことに。
島原鉄道では単両のディーゼル車両を運行している。乗車したのは10人ほど。次の本諫早が諫早市の中心街であり、ここで結構大勢が乗り込んでくる。諫早市街を走行していた車両は、やがて干拓地に沿って走行するようになる。ここはかつては海岸だったんだろう。右手は住宅が密集する裏手なのだが、左手は広大な畑である。
干拓地を抜けると左手には有明海を望むようになる。右手は常に雲仙普賢岳が見えている状況。武家屋敷街がある神代を抜けると隣の多比良は国見高校の地元ということでか駅にはサッカーボールをかたどった石像が。
有明海を臨む海のギリギリの駅である大見東を過ぎると島原は間もなく。島原は普賢岳はすぐそこに迫って見えるような印象の町である。
とりあえずここの駅で重たいキャリーは預けることにする。最初はコインロッカーを考えたが、100円玉がきれていたので駅で両替してもらおうかと思ったら、荷物預かりもしている模様。どうせすぐに戻ってくるんだから、こちらの方が安いのでここで預けてしまうことにする。
島原を散策して名物の具雑煮を頂く
観光案内所でマップをもらうと島原城に向かって歩く。島原城はかなり立派な城で思わず感動するが、これだけ立派であるが故に島原の乱の原因となってしまったという曰く付きの城でもある。4万石の石高には明らかに過剰なこの城を火山灰土の難工事の挙句に建てた松倉重政は、完成した城を見てひとり悦に入ったことであろう。しかしこの労役のみならず、さらに過大な年貢を火山灰土で生産力の低い領民から搾り取ったわけであるから、無能の極みといえよう。この身上の大名まで出世したのだから武将としての才覚はあったのだろうが、統治者としての能力が皆無であるといえる。大名に必要とされる能力も、戦国期から江戸時代に移るにつれて変化したのだが、それに対応できなかったといえる。
島原城の見学の前に、昼食を摂っておきたい。どうせだから島原の名物という具雑煮を食べたいところ。島原城の近くの「姫松屋」に立ち寄る。
具雑煮はその名の通りの具だくさんの雑煮。蒲鉾やら鶏肉、椎茸にゴボウなどが具に見られる。おかげで出汁はなかなかに美味。餅は小さく刻んだ丸餅が数個。腹持ちも良さそうなメニューである。
武家屋敷街を散策
腹ごしらえを済ませると、島原城の見学前に城下町の武家屋敷街を見学。実は島原に結ってきた一番の目的はこれ。以前に島原を訪問した際には島原城は見学しているのだが、この武家屋敷街を見学していない。
武家屋敷街では400メートルほどの通りを保存してある。道の真ん中に水路が通っているのが特徴だが、この水は排水ではなくて上水である。かつてはこの水を飲料水に使用していたらしい。水の町でもある島原ならではである。今でも現地の住民と思われる方々が水路の掃除を行っているようだ。
両脇には武家屋敷街らしく石垣が並んでいるが、玉砂利を乗せた石垣は九州の武家屋敷街でよく見かけるタイプ。賊が石垣を乗り越えようとしたとき崩れた玉砂利の音で分かるし、いざという時はこれを石礫としても使用できるという仕掛け。
保存されている武家屋敷が三軒ほどあるのでそれを見学する。やはり下級藩士の屋敷と中級藩士の屋敷では根本的に作りが違うようだ。
一回りしたところで武家屋敷茶屋で一服。島原の名物という「寒ざらし」を頂く。冷やし飴に白玉団子を入れたような菓子であり私好み。懐かしいホッとする味である。水に恵まれた島原らしい名物。
島原城を見学する
武家屋敷街の見学を終えると島原城に向かう。現在は島原城の西側から車も入れる道路が通じているが、これは明らかに後付けのもの。本来の島原城の本丸アクセスルートは二の丸から橋(廊下橋がかかっていたらしい)からしかなく、いざという時はこの橋を落とすと外からのアクセスルートは全くない状態にできたようである。鉄壁の防御であるが、逆に何かの時には雪隠詰めになって逃げ道がないということになるので、この構造の城郭ではどこかに秘密の抜け穴を作っておくものだが、この城ではそういうものは見つかっていないのだろうか?
本丸には層塔式の巨大天守がそびえている。この城は明治の廃城後に建物はすべて破却されているので、これは比較的最近になっての外観復元である。内部は以前に見学している(ごく普通の博物館)ので今回は入場はしない。
それにしても本丸に立つと感じるのは石垣の高さと堀の深さ。廊下橋を落として完全に孤立化に置かれたこの本丸に攻め上るのは容易なことではなかろう。実際に島原の乱の時には一揆勢の攻撃を食らっているがこの城は落ちていない。そもそもこれだけ巨大な城を築いたのが乱の原因となっているのに、その巨大で堅固な城のために落城しなかったわけだからかなり皮肉である。
二の丸のほうに向かっては本丸虎口になっている。廊下橋を渡ってきても簡単には内部には入れないわけである。もし二の丸が落ちてしまったら攻撃はその方向から来ることが予想されるので、そちら側を固めているのだろう。
二の丸は公的機関などが並んでおり、かなり改変されているようである。二の丸の虎口まで回り込んでみたが、改変されていて面影はなさそうである。
久しぶりの訪問だが、私の記憶のイメージにあるよりもさらに高い石垣だった。何となくこれを作らされた領民たちの怨嗟の声が聞こえてくるような気もする。
島原温泉で宿泊する
島原城の見学を終えると島原駅に戻ってくる。預けていたキャリーを回収すると16時ごろの列車で島原港に向かうことにする。結局はなんだかんだで島原で3時間を過ごしていた。当初の予想に反して想像以上に見るべき場所があったということになる。
列車は島原市街を抜けて10分弱で終点の島原港駅に到着する。終点と言ってもそもそも中間駅だったのでターミナルとしての設備はない(ターミナルは一駅手前の車庫のある島原船津駅である)。7人ほどがゾロゾロと降りるが、2人は駅から出ずにプラプラしているところを見ると、いわゆる鉄オタなのだろう。
ここから今日の宿泊ホテルであるホテルシーサイド島原までキャリーをゴロゴロ引きながら歩く。途中でファミマに立ち寄ったが、ざっと20分程度ということか。
ホテルに到着するとチェックイン手続き。私の部屋は本館の3階のシングルルームだが、明らかにいわゆる添乗員部屋。全部屋オーシャンビューが売りのこのホテルで、このシングルルームだけが山側向きで眺望は皆無。いわゆる訳ありシングル。訳あり独身者のための訳あり部屋か。まあこういう部屋には慣れている(笑)。
部屋に荷物を置くと入浴に行く。このホテルには島原温泉の湯治処が併設されているのでそこに出向く。
島原温泉は海のそばだけにナトリウム塩化物泉かと思っていたが、どうやら炭酸泉の模様。ただ湧出温度が26度とかなり低いので、温泉というよりは冷泉である。浴場内には源泉浴槽と加温浴槽がある。加温浴槽のほうは当然のように炭酸ガスは抜けてしまっているわけで、このあたりが炭酸泉の難しさである。それだけに神戸の六甲おとめ塚温泉のように40度の炭酸泉が湧いているなんてのは奇跡の湯なんだが。
源泉風呂は冷たいという温度だが、浸かってしばらくすると体がポカポカするという炭酸泉の効果を味わうことができる。しかしさすがにこの季節にこの温度は浸かっているのにつらさがある。しばしここに浸かってから加温浴槽で体を温める。
入浴を終えると部屋に戻ってくるが正直なところかなり体に疲れがある。原稿入力作業をしようとしたが、考えが全くまとまらないのでしばしベッドにひっくり返ってウトウトする。
その内に夕食の時間となったのでレストランに出向く。島原温泉に飲食店がない場合を想定して夕食付きのプランにしていたのだが、それが正解だった模様。
夕食は数種類のメニューから選べるようになっているが、私はエビ天丼を選択。ゴロゴロとエビ天が入っていてなかなか豪華。香ばしく上がっているエビ天は殻まで食べられる状態で美味。
夕食を終えると部屋に戻る。かなり疲れがあるがとりあえず仕上げるべき原稿を仕上げていくつかはアップ。それからさっさと寝てしまう。