徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

山形響大阪公演中止のお知らせ&ベルリンフィルでスークの交響曲を

山形交響楽団大阪公演も中止です

 今日になって6/22の山形交響楽団の大阪公演が中止と払い戻しを連絡するの案内葉書が到着した。政府は検査数を絞って無理矢理にコロナの終息宣言に持っていこうとしているのが明らかであるが、それに反して現実の状況は混沌としている。何しろ日本ではコロナの感染者数は非常に少ないことになっているのに対し、謎の肺炎死が例年の数倍に増加しているとか。これらの患者はすべて検査していると安倍は口から出任せを言っていたが、それがあからさまな嘘であることはすでにばれている(にも関わらず、この嘘を何度も繰り返しているようだ)。

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 こういう状況ではコンサート再開もままならないだろう。またソーシャルディスタンスを守れなんて言われたら、ホール内はガラガラで採算は全く合わないことは確実。かといって入場料を5倍、10倍にしたら、ほとんどの客は(私を含め)チケットを買うことも不可能になる。結局は完全に回復するのにはかなりかかりそう。と言うか、下手すると永久に元のようには戻らない危険もある。

 さて先行きの不安に対するストレスで押しつぶされそうになるところだが、そこは気分転換でベルリンフィルデジタルコンサートホールを楽しむことにする。今回聞くのは比較的最近の演奏で、ペトレンコとバレンボイムの組み合わせである。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(2020.1.11)

指揮:キリル・ペトレンコ
ピアノ:ダニエル・バレンボイム

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調
スーク 交響曲第2番ハ短調《アスラエル》

 ベテランピアニスト・バレンボイムによるベートーヴェンのピアノ協奏曲は、彼らしく大らかで豪放とも言えるような演奏。正直なところテクニック的には所々つかえて聞こえるような箇所もないではないが、そういう細かい技術的な問題を越えた「味」と言うべきものが現れている。バレンボイムの演奏はそもそもカッチリと精緻にと言うタイプではないが、晩年になってそれがさらに進化したかという印象。これに対してバックのペトレンコは極めて明快な伴奏で巨匠を盛り立てている。

 巨匠の名演に場内は総立ち状態で大盛り上がり。バレンボイムは何度も出たり入ったりした挙げ句に、最後はコンマスを引き連れて楽団員と退場したのだが、その後に再び楽団員勢揃いの前でシューベルトの即興曲第2番変イ長調を演奏しているということは、もしかして収まりがつかなくなってもう一度引っ張り出されたんだろうか? あの場内の盛り上がりだったらあり得る話である。この演奏もテクニック云々という細かい次元を越えた味のある演奏である。後の楽団員が恍惚とした表情で聞き入っているのが印象的。

 後半は日本では決して知名度が高いとは言い難い、チェコのヨゼフ・スークの交響曲。むしろ孫で同名の名ヴァイオリニストの方が日本では知名度が高いかもしれない。この曲は彼が敬愛するドヴォルザークの死に衝撃を受け、彼に捧げるために書いた交響曲であるという。そのためか第一楽章などは非常に沈痛なほどに重苦しい。彼の作品はブラームスとドヴォルザークの影響が見られるとのことだが、そもそもドヴォルザーク自身が濃厚にブラームスの影響を受けているので、要はドヴォルザークの影響と考えて良いだろう。もっとも一流のメロディメーカーであり、常にメロディラインを前面に出していたドヴォルザークとは時代の違いもあってか、スークの曲はもっと複雑な構造になっている。

 息絶えるかのように終わった第一楽章に続く第二楽章は静かを通り越して不気味にも聞こえるような曲。第三楽章はスケルッツオだが、重苦しく悲しげな曲で始まる。それが中盤には急に雰囲気が変わって楽園的な音楽が現れるのだが、それをかき消すように怒濤の第一楽章の主題が戻ってきてこの楽章を終える。第四楽章は静かな音楽で、怒濤のように始まる第五楽章はところどころ第一楽章と通じる雰囲気や共通の主題を持ちつつ、徐々に静かで穏やかな世界へと到達していく。そして最後には天界が垣間見えてついに昇天かというところ。

 この難解な曲に対してペトレンコの表現はかなり明快。またこの曲はピアニッシモが非常に多いところから、そういう弱音部分での微妙な表現にかなり意識を割いているように感じられる。この手の曲は緊張感が切れてしまったらそこで終わってしまうのであるが、最後の瞬間までそれを保ち続けたのは流石というところか。