徒然草枕

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ベルリンフィルデジタルコンサートで新進若手の演奏を聞く

 コロナがきっかけでベルリンフィルデジタルコンサートホールに加入したのだが、何だかんだと多忙に追われて、この1ヶ月以上全く聞いていなかった。毎月2000円弱の大金を支払っているというのに、これでは全くの金の無駄である。どうやらベルリンフィルでは今年のシーズンももう開始になった模様だし、アーカイブの中から最近のコンサートをビックアップして聴いてみることにする。

 今回聴いたのは9/26のコンサート。ステージ上の奏者は閑散配置となっており、ステージ上には12編成の2管のオケが乗っている。ホール内の観客数も定員の1/5程度か。まだまだ完全に正常な状態でのコンサートはベルリンでも困難なようだ。

 指揮・ピアノ共にベルリンフィル初登場の若手とのこと。指揮者のラハフ・シャニはズービン・メータの後任としてイスラエル・フィルの音楽監督に就任した今後に期待の新進気鋭。一方、ピアニストのフランチェスコ・ピエモンテージはイタリア系スイス人でモーツァルトを得意とするとのこと。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.9.26)

指揮:ラハフ・シャニ
ピアノ:フランチェスコ・ピエモンテージ

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調
モーツァルト ピアノソナタ第12番ヘ長調よりアダージョ
シューマン 交響曲第1番変ロ長調《春》

 初っ端からやけにネッチョリネッチョリしたモーツァルトだなという印象。いきなり合奏が始まった途端に、いつになく糸を引くようなネットリしたサウンドなので、これが指揮者のラハフ・シャニの持ち味かと思っていたら、フランチェスコ・ピエモンテージのピアノ演奏が始まったら、それは指揮に輪をかけてネットリした演奏だった。細かい変拍子やところどころ装飾音などが加わる変化の激しい演奏でかなり濃い味付け。正直なところモーツァルトについてはやや軽快な演奏が好きな私には少々胃がもたれる感のある演奏。ショパンなどならこれでも良いのかもしれないが、モーツァルトの場合はもう少し爽快感が欲しい。ましてやバックのオケを意識する必要のないカデンツァとなればその傾向にさらに拍車がかかる。情感がこもった演奏とも言えなくもないが、私の耳にはいささか大仰で表現過剰に聞こえる。いちいちいささかオーバーに持たせる間が過剰演出として気になるところ。

 そして続く第二楽章は溜乱発のかなりネチコイ演奏。正直なところ私の趣味ではない。モーツァルトが得意と言うだけあって曲自体はよく把握しており、それ故に自分の表現を前面に出すのだろうが、やはりあまりに変化が過剰で音楽の流れがぶつ切れになっている。

 第三楽章は軽快な曲調のおかげで溜はいささかマシになるが、それでも装飾過剰の傾向は見られる。正直なところ若さ故の漲る表現意欲は感じるのであるが、それがいささか暴走しているのではないかという印象。つまりは一言で言えば「悪趣味に過ぎる」。それに尽きるのである。

 ピアノソナタ第12番ヘ長調はアンコールのようだが、さらにピエモンテージ節が全開である。所々で登場するまるで指がつかえたように聞こえる変則テンポの取り方がやはりどうも私の好みとは合わない。とにかくいちいち表現が大仰なのである。モーツァルトの音楽は浮き立つ心がステップを踏むようなところがあるのだが、ステップを踏もうとすると途端に蹴躓く印象で、危なくて歩けない。

 後半はラハフ・シャニによるシューマンである。この交響曲は若きシューマンのまさに浮き立つような心の現れた爽快な曲である。なのだが、シャニの指揮はやはりどこかネットリと糸を引くところがあるのが気になるところ。冒頭からいきなり実に仕掛けの多い指揮である。ただリズムを刻んでいくような独特のメリハリの付け方はいささか耳障りでもある。もっと単純かつ素直に曲を前進させていった方がこの曲の場合は全体がスムーズになる気がする。もっと陽性な音色でグイグイ行く方が私好みである。どことなく最後までつかえつかえの勢いの悪い演奏のような印象を受けてしまった。

 総じて若さ故の溢れる表現意欲が空回っていたという印象を受ける演奏であった。その溢れる表現意欲をあのような直截的な形でなく、もっと奥に潜めた上で深い表現が出来るようになれば、彼らもいずれ「巨匠」と呼ばれる時が来ると私は感じるのだが。