徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

アンコール都響でフルシャ指揮の「巨人」を

 ちょうど昨日、フルシャ指揮のバンベルクによるブルックナーの9番を聴いたところであるが、今日はアンコール都響でフルシャによる「巨人」の放送があったのでそれを聴くことにする。例によってエムキャスによる配信である。

アンコール都響(第821回 定期演奏会Bシリーズ@サントリーホール '16.12.14)

指揮:ヤクブ・フルシャ

マーラー 交響曲第1番ニ長調「巨人」

 冒頭から弱音に非常に気を使ったゆったりとした美しい音楽で始まる。その後は優美というのが前面に立つ音楽である。そのためか若者の歌と言っても、かなり繊細で神経質な若者のイメージが浮かぶ。美しくはあるのだが、いささか神経質すぎてあふれ出る若さというものに今ひとつ欠ける印象もある。

 第二楽章も基本的にドッシリ構えてゆったり歌うという印象。この楽章特有の前進力はいささか影を潜めた感もある。そして続く第三楽章はさらに静かに歌う。やや哀愁を帯びた楽章なのであるが、フルシャの演奏にはその暗さはない。あるのは静けさである。元々ゆったりしたテンポの楽章であるが、フルシャはそこをさらにもう一段ストンと落としてくることがあるので、聞いていて「そこまで落とすか」という局面もいくつかある。

 その調子であるので最終楽章も怒濤の狂乱ではない。確かに爆音は出るものの節度のかかった抑制の効いた爆発という印象。さらにここで弱音部をこれでもかとばかりに音量テンポ共に絞ってくる。そのために非常に音楽のダイナミックレンジは広い。とは言え、演奏自体は陽性ではあるがどことなく突き放したクールな響きがある。表情はむしろ過多気味であるにもかかわらず、どことなく冷めているのである。そのために聞いている側としては「ノレない、燃えない」という中途半端な気持ちも抱かされる。マーラーのこの交響曲に関しては、さすがのマーラーも「若気の至り」と感じる部分もあるので、もっと単純にぶっ放してもいいのではというのが私の感想。

 どうもここのところフルシャの演奏を聞いていて感じる違和感はこの「どことなくノレない」なのである。音楽があっさりしているわけではなく、むしろ表情付けは濃厚と言っても良いにかかわらずである。ライブで聞いたらまた印象が変わるのか、それとも何か根本的に私の感性がズレているのか。その辺りは謎なのであるが。それを解明するためにコロナ禍沈静後に是非一度彼のライブを聴いてみたいところである。