翌朝は8時に起床。朝食を摂ると9時半頃までゆっくりしてからチェックアウトする。今日は京都と大阪の美術館を回る予定。
まず最初に立ち寄るのは京都国立博物館。この博物館は最近まで工事中だったが、新しい建物が建っている。とりあえず特別展の方から。
「桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち」京都国立博物館で5/17まで
狩野派の大巨星・永徳が没した後、長谷川等伯の台頭などもあり、それまで権力者と密接な関係を持つことで繁栄してきた狩野派は存亡の危機を迎えることになる。徳川、豊臣、朝廷と複雑な権力が交差するこの時代に、それでも狩野派はしたたかな戦略で生き残りを行い、江戸時代に御用絵師としてさらに繁栄を遂げるのであるが、そのような時代を生き抜いた永徳の後継者に当たる画家の作品を紹介した展覧会。
狩野派の生き残り戦略とは、各々の権力者にそれぞれ分派が取り入るという方法であった。永徳の長男の光信は繊細な画風を特徴とし、豊臣秀頼の依頼作品を手がけるなど豊臣家との関係を続けていく。また永徳の影武者とも言われた永徳の弟・宗秀の作品なども展示されている。永徳に似た豪放な画風を特徴としているが、永徳よりも少々荒いと言われている。
京都の朝廷に接近したのが京狩野。永徳の弟子である山楽がその祖である。唐獅子図が展示されているが、永徳とはまた違った力強さを感じる作品である。
光信が没した後に狩野派を組織として支えたのが永徳の次男の孝信。彼はどちらか言えば自身の作品よりも探幽などを育てたマネージャー的な側面の方がよく知られている。
そして幕府御用絵師としての狩野派の地位を不動のものにした早熟の天才が探幽である。永徳の再来とまで言われたという画力の持ち主だが、永徳の時代と違うのは単に豪放な作品を描くのではなく、そこに洗練された美を持ち込んだこと。この「粋」な作品は江戸文化の特徴ともなっていく。
巨星・永徳のその後にスポットを当てた展覧会。狩野派と一括りにしても、基本の様式には共通項がありながらも作家ごとの特徴が諸々あることが分かって面白い。
特別展の見学を終えると新装なった平成知新館の方を見学する。内部は陶器や書に絵画など様々な展示が。ただ展示スペースの巨大さに比べると展示点数がやや少な目に感じられ、どことなく閑散としたイメージがある。一番の見所は一階の仏像展示か。仏像を美術品として展示してある。
展示品の中には天国の仏が率いる軍勢が、人々を救うために地獄に攻め込んで地獄の獄卒達を駆逐しているにような絵巻もあったが、これなんかは鬼灯様が見たら「我々は仕事として亡者の罪を呵責しているのであって、天国から攻め込まれる筋合いはありません。」と怒りそうだ。もっともその直後、「ただ我々も天国のヌルい軍勢に簡単にやられるほど甘くはありませんが。」と言い放つだろう。
京都で昼食にする
国立博物館の見学を終えた頃にはもう昼時。それにしても疲れた。とりあえず大阪に移動する前に昼食を摂っておきたい。すぐそこにある「七條甘春堂」の茶寮で「お昼の御膳(1296円)」を頂くことにする。
落ち着いた普通の座敷に上品なお膳が。味はなかなかだが、さすがにボリュームはないので女性向きか。当たり前のことであるが菓子がうまい。
昼食を終えると馬鹿混みの新快速で大阪まで移動する。それにしてもやけに疲れている。風邪でもひいたのだろうかと考えるが、思い当たる節はない。どうも昨日辺りから急に暑くなったので体が順応できずにおかしくなっているようだ。
大阪に到着すると地下鉄で長居に向かう。次の目的地は長居運動公園内にある大阪自然史博物館。この博物館を訪問するのはかなり久しぶりである。
「スペイン奇跡の恐竜たち」大阪市立自然史博物館で5/31まで
スペイン中部のカスティーリャ=ラ・マンチャ州には恐竜化石の大発掘地帯があるという。そこで極めて良好な状態で発見された恐竜を中心とする白亜紀の動植物の化石を一堂に展示。
大型恐竜の化石から昆虫の化石などまで大小様々な展示品があるが、いずれも非常に状態が良いために私のような素人にも非常に分かりやすいのが良い。また恐竜の復元模型なども多数展示されているので、これらの生き物のかつての姿をイメージして太古の世界に思いを馳せることも出来る。
また学問的な観点では、現在の動物と恐竜を比較することで、これらの生き物の進化がどのようにつながっていったかを実感しながら学習できるようになっている。例えばステゴザウルスの背中の鱗は今までその用途が不明であったが、最近の研究結果では血液の冷却に使用されていたということが明らかになっており、同様の機能は現存の鳥類であるオオオニハシの嘴に存在するなど、恐竜と鳥類のつながりのようなものも見えてくる。こういった点が非常に面白かった。
新今宮のホテルに入る
キャリーを引きずったまま長居公園を移動したので非常に疲れた。とりあえずホテルに荷物を置いてしまいたい。今日の宿泊先は新今宮のホテル来山。あの地域にある格安ホテルの一つである。最近はあの地域で宿泊することはほとんどなくなっていたのだが、場所的に近いことと、とにかくライブの連チャンで経済的にかなり疲弊していることから選択した宿である。
街の雰囲気は相変わらずだ。ある意味でもっとも大阪臭さが強いところ。じゃりン子チエの世界である。ホテルにチェックインすると部屋に荷物を置いて出かけようと思ったのだが、体が異様なだるさに襲われていて動けない。仕方ないのでしばし部屋で休憩する。
しかし明日の日程を考えるとやはり美術館もう一カ所は訪問しておきたい。それにどのみち夕食のために出かけることは必要。鉛のように重い体を気力で奮い起こして天王寺まで出向くことにする。
「川喜田半泥子物語 その芸術的生涯」あべのハルカス美術館で5/10まで
津の木綿問屋に生まれた川喜田半泥子は、陶芸を中心とした世界で高く評価されているが、その半泥子の陶芸や書画など生涯を通じての作品を中心に展示。
半泥子はいわゆる作り込みを嫌い、特別な意図を持たない無に近い状態の心理の方が良いものが作れるという類いのことを言っていたらしいが、確かにその陶芸作品は素朴でストレートでありながらそれでいて迫ってくるものを感じさせる。しかも彼は特定の型にこだわるわけではなく、多種多様な陶器を作っており、そのバリエーションがなかなかに面白い。また彼の弟子・同士に当たる作家たちの作品も併せて展示してあったが、それらも特に共通の様式があるわけでなくかなり自由である。
書画になるとさらに自由軽妙さが増す。この辺りの自由さがこの人物の面白味か。
やはり陶器に対して以前と違ってかなり興味を感じるようになっている自分を改めて発見。年と共に嗜好も変わってきたか。
天王寺で夕食を摂る
これでとりあえず今日中に回るべき美術館は回りきった。夕食を摂って帰ることにする。場所柄、新世界辺りでバリバリの大阪飯をという手もあるのだが、正直なところ店を探して散策する気力と体力が全くない。結局はハルカスの向かいの商業ビルMIOの4階の飲食店街にある牛タンの店「青葉苑」に入店する。注文したのはコースメニューの「青葉セット(3024円)」。
内容は前菜小鉢に牛タンの塩焼きと和牛のタレ焼き、これにタンシチューに麦飯とろろが付いてくるというオーソドックスな仙台式牛タンコース。味的にはまあ普通にうまい。ただやはり場所柄CP的に少々キツい。なおバイトの女の子が不慣れなのか、前菜の中身について質問したらフリーズするし、輸送用のトレイごとテーブルの上に料理を置いていったりなんてのはまあご愛敬。
夕食を終えるとコンビニに立ち寄ってからホテルに戻る。部屋に戻った途端に布団の上に横になると、そのまま2時間ほど完全に意識を失ってしまった。目が覚めると体が異様に重いだけでなく、体中がカッカと火照っている感覚。これはいよいよ熱が出てきたかと思ったが、どうも様子が少々違う。ここでようやく体調不良の原因に思い当たる。脱水症状だ・・・。今日は暑い中をウロウロと歩き回ったのに、朝から腹の具合が今ひとつだったためにあまり水分を摂っていなかった。考えてみるといつも持ち歩いている伊右衛門を今日は持参していない。そのために明らかに体が脱水状態になってしまったのだろう。さらに言うと、今日は昼食が明らかに軽すぎたこともあって体がガス欠になっていたきらいもある。
とりあえず慌てて水分補給。といっても慌てて取り過ぎても胃腸が受け付けずに腹を壊すのがオチなので用心してチビチビと。ようやく立ち上がるぐらいの気力が回復するととりあえず大浴場に入浴に行く。
風呂から上がると、さっきコンビニでクジで当たってもらった栄養ドリンクを飲んでおく。わびしいオッサン一人旅でこんなもの貰ってもどうすりゃいいんだと思っていたが、こんな形で「ファイト一発!」が役に立とうとは・・・。