ホテルで朝食を摂ってから出発
昨晩早く寝過ぎたせいで今朝は5時過ぎに目が覚めてしまった。そこから無理矢理ゴロゴロと半覚醒状態で7時まで過ごす。
7時になるとシャワーで目を覚ましてから朝食。朝食は和洋両用のバイキング。レベルとしてはルートイン相当というところか。くれたけインは初めてのホテルだが、いろいろな点でルートイン互換ホテルと位置づけることが出来そうだ。
チェックアウトは8時半頃。まず最初に向かうのはつい最近に重伝建に指定された焼津市花沢地区。日本坂峠への旧街道が通る集落で、谷間の平地がほとんどない地域だけに傾斜地に石垣を組んで居住スペースを確保した独特の町並みを形成した。この山間の集落の町並みが残存しているとのことである。
花沢地区を訪問する
日本坂トンネルの手前で国道をはずれ、北に向かって進んだところが花沢地区の入り口。集落内は道路幅が狭いため、観光客の車は手前の駐車場に置くようにとの看板がある。そこで観光用の駐車場に車を置くと集落までプラプラと散策。私と同様の姿で同じ方向に向かう者は少なくない。
花沢の町並みはまさに山村のそのものである。観光客を相手に商売している家もあるようだが、商業化が進んでいるという気配はない。それよりは車を使うと意外と焼津中心地にアクセスの良い土地なので、普通の住宅街として居住している者がいるように思われた。のどかな落ち着いた雰囲気の漂うよい所だが、昨今のように集中豪雨の多いご時世にはいささか危険も感じる地形ではある。
集落の外れの高所に法華寺があって、集落を見下ろす形になっている
住宅街を一回りすると観光駐車場に戻ってくる。なお南の山上に花沢城なる城跡があるとの情報もあったが、見上げると結構高い山の上に、遺構は対して残っていないという情報もあったので今回はパスする(2021年時点での注:どうやらその後、城跡が整備されてかなりアクセスしやすくなった模様)。
丸子城を攻略する
次に向かう先が実は本遠征の主目的の一つ。丸子城の訪問である。丸子城は築城年代は明らかではないが、駿府を防衛するための拠点に当たるためにその歴史はかなり古いだろうと推測される。1568年には武田軍の駿河侵攻によって武田氏の勢力下に入り、山県昌景等の武将が在城して今川方に備えたが、その際に武田流に大規模に改造が行われ、それが今日の姿であるという。後に武田氏の撤退で徳川氏の有するところとなるが、徳川氏の関東移封で廃城となったと考えられる。
丸子城の登り口は東西にあるが、東側の駿河匠宿の方から登ることにする。車は駿河匠宿の観光用駐車場(料金410円とやや高い)においてから案内看板に従って進む。
一番手前の曲輪までは斜面を直登することになる。足下は整備されているがここが一番キツい。事前の情報では所要時間10分と聞いていたが、体力の落ちきった現状の私ではもう少し時間がかかる。
登り切ったところには稲荷社が建っており、一定の兵力をおける削平地となっている。ここが最前線の番所と言うところか。
尾根筋を辿って本丸方面へ
ここから尾根筋をしばしダラダラと進む。一応長大な曲輪になっているようだが、それほどキチンと削平しているという風でもない。
この突き当たりがやや登りとなっていて堀切を土橋で越えることになる。その越えた先に大手曲輪、北曲輪と続くが、この辺りは傾斜地に合わせて曲輪を積んでいった印象である。北側には土塁があり、その先には横堀も見られる。
ここから堀切を土橋で越えた先が二の丸になる。この二の丸はそれなりの面積のある曲輪でかなり重要性の高い曲輪であったと思われる。
本丸周辺はかなり複雑な構造
ここから本丸へ渡る部分の堀切はかなり深い。このそこに一旦降りてから登っていくと枡形虎口を経て本丸へたどり着く。
本丸南には平虎口があり、その先には小曲輪がある。見取り図によるとこの下に数段の曲輪があるようだが、それは確認していない。なお北側の喰い違い虎口を経て降りていくと、その先に馬出曲輪と呼ばれる部分がある。
なかなかに見応えのある山城であり保存状態も良好である。これを見学するためだけでも静岡までやって来た価値があると思わせるものであり、これは続100名城Aクラスに相当すると判断した。
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