蒲原の宿場町を通過
蒲原城を降りたところが宿場町であった蒲原になる。車で通り抜けたところ、かつての宿場町の面影はとどめているものの、具体的に見学するほどのものは見当たらなかったので、車で通過しただけでとどめておく。
国道1号をさらに西に進む。今日の宿泊地へ向かう前に昨日立ち寄れなかった静岡県立美術館に立ち寄るつもりである。昨日は駐車場に全く空きがなかったが、今日は近くの駐車場に車を置くことが出来た。
「富士山-信仰と芸術-」静岡県立美術館で10/12まで
霊峰富士は古来より聖地として崇拝され、独自の山岳信仰も発展している。そのような富士山にまつわる信仰と、その富士を扱った芸術作品などを展示する。
富士は古くから格好の画題として扱われてきて、美術的にも独自の表現やいわゆるデフォルメのパターンのようなものもある。その一つのスタイルを確立したのが雪舟である。彼の一種の記号化した富士の描き方は、後の多くの作品に影響を与えている。
ただそのようなパターン化の中でも作者の心象風景を反映して、まさに百万通りの富士の描き方がある。その辺りの違いなどが非常に面白かった。
なお信仰関係の展示の方は・・・。無信仰の私はあまり面白いものではなかった。残念ながら。
なお市民ギャラリーの方で「ふれる空海」展なるものが開催されていたのでこれも見学したが、空海の信仰に関する言葉をフリップで掲げたり、空海に纏わる品を展示したりで、印象としては漫画などをテーマにした展覧会と同じように感じられた(実際に、この後に訪問した「進撃の巨人展」などと展示のパターンについては奇妙なほどに類似点がある)。高野山も訪問したことがあり、空海のゆかりの地も何カ所か訪問したことのある私としては、人間としての空海の歴史には興味があるのだが、彼の信仰となるとサッパリ。
やはり無信仰を通り越して「人類が次なる段階に進化するために克服すべきは宗教である」と考えている私とは相性の良い展示ではなかったようである。
登呂遺跡に立ち寄る
一渡りの見学を終えたところで移動することにする。今日の宿泊地は島田だが、島田に向かう前に時間的にもう一カ所ぐらい立ち寄る余裕がある。ただ山城に立ち寄るには体力がもう限界である。どこか適当な立ち寄り先はと考えた時に、この近くに登呂遺跡があることを思い出す。
登呂遺跡は静岡の南の東名高速のすぐ北側にある。現地は一大観光地となっていて観光用の駐車場も完備、ただし駐車料金は1日400円とやや高い(そう言えば駿河匠宿の駐車料金もほぼ同額だが、これが静岡相場なのか?)。
車を置くとまずは博物館を見学して登呂遺跡についての事前学習。要はこのような土地柄であるから昔から人間が居住していて、稲作も早々と導入されたと言うこと。この辺りは佐賀などと類似である。ここの屋上からは登呂遺跡を上から見晴らすことが出来る。
博物館を出ると復元建物を見学。と言っても吉野ヶ里やその他の遺跡と大した違いはない。まあこれは雰囲気を感じるだけのものである。やはり遺跡は掘ってみないと分からない(無断で掘ってはいけないので決して本当に掘らないように)。
島田で宿泊する
登呂遺跡の見学を終えたところでほぼ5時頃。そこに見えている東名高速を経由して島田に向かうことにする。宿泊するのはカンデオホテル島田。吉田ICのすぐ近くにあるホテルである。私が予約したのは風呂なしの部屋だが、たまげたのはトイレと洗面所がカーテンで部屋と区切ってあること。さすがにこれでは落ち着いてクソもできない。
チェックインするととりあえず最上階の展望浴場に向かう。ここのホテルは展望大浴場を完備しているが、男女入れ替え制である。男性タイムが7時まで(その次は10時半から)だというから、まず入浴を済ませておくことにする。
大浴場はかなり開放感のある露天風呂がついているが、洗い場の数が少々足らない。先日来の酷使で足がかなり張っているので露天風呂でよくほぐしておく。風呂からは一昨日に訪れた小山城のなんちゃって天守が見えている。なるほど、歴史考証はともかくとして観光的には意味があるのだろう。
入浴してから一息つくと、着替えて夕食に出かけることにする。ホテルから歩いていける範囲にはまともに店がないので車で出かけることになる。ネットで周辺の店をザクッと調査。その結果ウナギでも食おうかと思っていたのだが、目星をつけていたウナギ屋は生憎と駐車場が満杯。結局は店を探して車で走り回る羽目に。しかしほとんど店がないことから面倒くさくなってたまたま見かけたラーメン屋「松壱屋」で「醤油チャーシューメンの大(1000円税込)」で済ませることに。
夕食を済ませてホテルに戻ってくると激しい疲労が訪れると共に何もすることがないという暇に苛まれる。結局は昨晩途中まで見ていた「ヒロイックエイジ」の続きを見ることに。最終26話まで一気に見終わって気が付いた時には午前2時前になっていた。それなりに面白い作品であり、主人公の無双さと無垢さは快感でさえあったのだが、終わってみると「それで結局何を言いたかったんだ」という一抹の不満も残る作品ではあった。
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