いきなり豪華な朝食に驚く
目覚ましは7時にセットしていたのだが、昨晩は10時頃にはもう寝てしまったせいで6時過ぎに目が覚めてしまう。
今から寝直す気にもならないので露天風呂に入浴に行く。開放感があって気持ちいいが、若干寒い。
風呂から戻ると朝食の時間までは朝のニュースを見る。共和党の大統領候補がトランプに決まったというニュースばかりだが、これについては「共和党オワタ」と言うのが正直な感想。あんなバカで差別主義者が共和党の大統領候補なんて、あの世でリンカーンが嘆いているだろう。まかり間違ってあんなのが大統領になってしまったら、まさしく人類滅亡カウントダウンである。共和党は支持者を増やすのにいわゆるバカを積極的に取り込んだのだが、支持者がバカになり過ぎてあんな頭のおかしな奴を選んでしまったということ。同じことはいわゆるB層にターゲットを絞った自民党でも起こっているとか。世界的にポピュリズムの傾向が顕著になってきた。これはかなり危険。
8時になると朝食が運ばれてくる。朝から非常に豪華である。大きなお椀が出てくるから何だと思ったら、小さな伊勢エビが半分入った味噌汁。さすがにこれには驚いた。もう朝からたらふく腹に詰め込む。
このホテルに関しては若干はりこんだ(と言っても1万円台である)のだが、とにかくご馳走攻勢に堪能させられた。湯もなかなか快適であったしこれは当たりだ。伊東の町も私と相性が良さそうだし。
9時頃にホテルをチェックアウトする。今日は伊豆半島の城郭巡り。予定では5カ所を梯子することになっているのだが、朝から体はかなり重い。果たして体力が続くかが一番の問題である。
伊東を出ると県道59号を通って山岳地帯に向かう。これが傾斜はキツイし、カーブばかりだし、道幅は狭いしという道路。道が走りやすくなるのは伊豆スカイラインを越えてから。最初の目的地はそこからすぐ。
大見城を見学
最初に立ち寄ったのは大見城。築城年代は明らかではないが、平安時代末の12世紀頃と言われているとのこと。城を築いたのはこの地に勢力を張っていた大見氏で、大見家政か息子の大見成家と推定されているとのこと。現在は市の文化財として城址公園になっている。
大見城の登り口
小山の一つが丸ごと大見城らしいが、西隣に産直販売所兼観光案内所のような施設があるのでそこの駐車場に車を置く。
公園入口から登っていくと、最初に出くわすのは諏訪神社となっている二の曲輪。周囲には堀切の跡なども残っている。
ここから背後の山頂に向かって登っていく。途中には竪堀などもいくつかあり防御を構えている。そこを越えて、腰曲輪などをいくつか過ぎた先にあるのが山頂の本曲輪。そこそこの面積があって見晴らしも良い。
また背後には堀切が掘られており、そちらに面した部分には升形のような窪みがある。これらで尾根筋からの敵を防ぐ構造になっている。
特別に凝った城郭というわけではなかったが、地方豪族の本拠としては十二分な防御力を持った城塞と言えよう。非常に見学しやすい上に全体を把握しやすいのでお勧めの城郭である。
田代峠を見学する
大見城の次は田代砦に向かう。田代砦は鎌倉時代に源頼朝の麾下の智将として知られる田代信綱が住居としてこの地に構えていた砦ということである。
田代砦の案内看板と駐車場
現地に到着すると田代砦の案内石柱が立っているが、その奥は民家のようでここに車を置くわけにはいかなそうだ。道路の向かい側にアンテナが立っているスペースがあり、その脇に車が置けそうである。とりあえずここに車を置くが、本当に車を置いても良いのだろうかと悩んでいたら、足下に「田代砦駐車場」と書かれた看板が腐って倒れていたのを発見した。砦入口の石柱を立てているのなら、この看板ももっとしっかりと目立つように直しておいて欲しいところ(2021年時点での注:Googleストリートビューで見た限りではその後に看板が更新された模様)。でないと、今時は民家の庭先に車を置いていく超非常識な輩が現れないとも限らない。
とりあえず車を置くと案内に従って民家の庭先のようなところを抜けて奥に進む。背後の斜面を進んでいくと、田代砦と墓所の分岐があり、さらに少し登った先に田代砦の表記がある。
斜面を削平した小さな平場で、奥には土塁があって、その背後は堀切が切ってある。その奥にも何かあるような雰囲気だが、鬱蒼としていて入り込む気はしない。また北側には腰曲輪のようなものも見える。
城でなくてあえて砦と表記してあるように、非常に小規模な城塞である。本格的な戦用の城郭というよりも、武装した屋敷というレベルのものだったのだろうと思われる。
柏久保城を見学
その近くにあるのが柏久保城。興国寺城主だった伊勢新九郎こと後の北条早雲が、堀越御所の足利茶々丸を滅ぼした後、伊豆制圧を図るべく狩野氏を攻めるために築いたとのこと。
柏久保城は住宅地の裏山にあり、一宮神社のところから登山道があるという。ご近所の方にことわって公民館に車を置かせて頂くと、徒歩で山上を目指すことにする。
一宮神社の参道筋
一宮神社から登ると山裾に沿ってかなり歩くことになる。城を思わせる構造が現れるのは道が登りに転じてからで、本格的に城内に入ったなと思ったら、もう山上の本郭である。
本郭は東に向かって細長い構造になっており、その奥の下に小曲輪が見えたりするが、構造はその程度。基本的には単郭に近いシンプルな城郭である。
修善寺エリアの狩野城を見学
もうここまで来たら修善寺温泉のエリアに入っている。ついでに修善寺温泉に立ち寄りたいところだが、その前にもう一カ所立ち寄る。次の目的地は狩野城。先ほどの柏久保城を築いた北条早雲が攻め落とそうとした城郭である。狩野氏は江戸時代の御用絵師として知られる狩野氏の先祖に当たるが、この時代にはこの地に勢力を張った地方豪族だった。北条早雲に攻められた城主・狩野道一は戦いに敗れて開城し、その後は狩野一族は小田原に移って北条氏の重臣となるとのことである。
狩野城跡駐車場
修善寺から国道136号線を南下すると、途中で「狩野城跡」という大きな看板が出ているのでそれに従って進むと、農業公園のところに狩野城見学用の大きな駐車場があって案内看板が出ているので、ここに車を置くと徒歩で山を登ることになる。
グルッと東側に大回りしながら登っていくと、最初に出くわすのが出丸。結構な規模がある削平地である。これが東側からの攻撃を防ぐ構造になっている。
ここから一旦降りてから登った先が東郭。出丸を抜けて本郭に迫る敵がいれば迎え撃つ場所であり、高所から睨みをきかせることになる。
その奥にあるのが中郭で、そこの奥の一段高いところが南郭となっている。南郭は櫓台といった構造であり、この中郭が最も主要な曲輪と思われる。
さらに西にあるのが本郭と名付けられている曲輪だが、これは明らかにおかしい。小さい上に堀底道につながっているので、これが中心曲輪であるはずがない。やはり中心曲輪は先ほどの中郭だろう。
ここからほとんど埋まってしまっているが二重堀切を隔てた小さな曲輪が西郭。大体この辺りまで城域と考えて良いだろう。西郭の西には深い堀切があり、その先はダラダラとした地形になっている。
自然地形を利用してそれなりに防御システムを張り巡らした城郭であるが、難攻不落かと言えばそこまでの堅固さは感じない。特に西側の防御にやや不安を感じる。まあその辺りが北条早雲の攻撃を凌ぎきれなかった理由でもあるのか。
山城4連チャンでかなり疲れたし汗もかいた。それに昼食をまだ摂っていない。となればここは伊豆だしやはりどこかの温泉地に立ち寄りたい。この近くと言えば当然ながら修善寺温泉である。ネットで日帰り入浴を受け付けているホテルを探して立ち寄ることにする。
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