朝食を摂ってからお船江へ
翌朝は7時半まで爆睡していた。8時から朝食。オーソドックスな和定食だがうまい。朝食後にシャワーを浴びると9時頃にはチェックアウトする。
ホテルをチェックアウトしたら最初に向かったのはお船江。要は対馬藩の港跡である。駐車場の入口が分からなくてウロウロしたが、非常に狭い路地に表示が出ていた。内部の駐車場は広いのだが、そこまで道はヴィッツでも幅がギリギリ。
お船江は久保田川の河口に石積みで船着き場を作ってある。現在は中途半端に水が来ているが、干潮時には干上がって満潮時には大船も入れるぐらいの水深になるのだとか。と言うことは、港だけでなくてドック機能も持つと言うことか。
お船江の見学を終えると厳原まで引き返す。歴史民俗資料館があるのでそこに車を置いて資料館の見学。展示内容は朝鮮通信使に関するものがほとんど。日本人の団体と韓国人の団体が来ていた。
清水山城の三の丸に登る
今日の予定はまずは清水山城の見学。清水山城は秀吉の朝鮮出兵に際して、名護屋城などと共に兵站線の確保のために築かれた山城である。尾根上に三つの曲輪が連なっているというが、山上に石垣があるのが下からでも見える。
ここから清水山城への登山ルートがあるとのことなので、それに従って登っていくことにする。
とは言うものの足はかなり重い。実のところ登山口にさしかかった時点でもう既に大分疲れている。しかしここまで来た以上、行くところまで行くしかない。まずは三の丸をめざして登ることにする。
三の丸までは110mとのことなので体調が万全であれば決して長い距離ではないはずだが、今回はとにかく足が前に出ないので休憩を取りながら登っていく。やがて目の前に立派な石垣が見えてきて疲れを吹き飛ばしてくれる。
細長くてそう大きな曲輪ではないが、石垣はしっかりと積まれており、虎口の構造も確認できる。曲輪自体は斜面に合わせて数段の段差があるようだ。とりあえず海を見下ろしながら一旦休憩。
かなりの急斜面を直登して二の丸へ
二の丸はここから背後の斜面を登っていくことになる。数段登った途中に分岐があってそちらには降り口がある。ここからがかなり急な斜面になる。
その急斜面を息を切らせながら登っていったら、すぐに石垣で築かれた虎口が見える。この上が二の丸。二の丸は三の丸よりも面積的には狭いとのことだが、平地が三の丸よりも広い分大きく見える。
最高所の一の丸へ
ここからさらに斜面を登った先が一の丸。ここも石垣の虎口を抜けることになるが、曲輪内はほとんど削平されておらず、自然の山頂をそのまま石垣で囲んでいるという構造。
この山頂に立つと周囲をグルリと見渡すことが出来る。本丸と言うよりは物見台か狼煙台という印象を受ける。この城郭で本拠を置くとしたら二の丸だろう。そもそも兵站線防御のための城なので大兵を置くことは想定しておらず、山頂からの監視がメインだったのではないかと思われる。ここからは厳原の港を一望できる。
なかなかに見応えのある城郭だった。国境の島にこんな立派な城郭があるとは。これは続100名城Aクラス。ただその分、足腰へのダメージはかなり大きい。それでなくても疲労が溜まっているところに相当に無理をしたという印象が強い。
次の記事は