翌朝は7時に起きるとすぐに朝食。8時にはホテルをチェックアウトする。今日はレンタカーで道南の城郭を回る予定。これが北海道で残っていた宿題であり、謂わば今日が本遠征の主題。
函館駅前の日産レンタカーで貸し出されるのはマーチ。パワー不足の上に重心が高く、足まわりが弱いのでカーブの度にフラフラとする。相変わらず運転しにくい車だ。
志苔館 中世和人の館の一つ
まずは一番近くの目的地へ。目指すは函館空港の南にある志苔館。中世の城郭で室町時代に道南に十二あった和人の館の一つであるらしい。小林氏が館に居住していたが、1456年には近くでアイヌの蜂起があり、志苔館はその時に攻め落とされている。その後、再び小林氏が居住したものの1512年にまたアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落、館主の小林彌太郎良定が討ち死にしたとのこと。小林氏はその後に松前藩に従属し、志苔館は廃館になっている。
現地は発掘調査と保存が行われたようで、建物の跡などが残されている。周りは土塁で固めており海沿いの小高い丘の上なので、城塞というほどではないが普通の館よりは防御は固い。また入口側は二重の土塁で守備を固めている。土塁の中は4100平方メートルの広さの長方形で、複数の建物があったようである。
なかなかに見応えのある城郭で、北海道城郭巡りもなかなか順調な滑り出しだ。次は少し足を伸ばして松前藩戸切地陣屋跡に出向くことにする。
戸切地陣屋 松前藩の築いた陣地だが箱館戦争で放棄される
戸切地陣屋跡は函館茂辺地道路の北斗中央ICで降りて、道道96号を北上したところにある。辺りは公園整備されているようで花見の名所になっている模様。私が到着した時も広い駐車場に多くの車がやって来ていた。
戸切地陣屋は1855年に幕府の命で松前藩が築いた陣地である。四稜になっていて東の稜の先端に6つの砲座がある。周囲は土塁と堀で守備してあり、五稜郭に似た構造になっている。17棟の建物が内部にあり、約120人の守備隊がいたらしいが、1866年の箱館戦争の時に敵方に使用されないように火が放たれたとのこと。
保存状態は非常に良く、土塁と建物跡が残っている。現在は国の史跡に指定されているとか。内部はかなり広く、実際に戦闘になった場合には120人でここを守り切るのは無理だろうと思われる。だから幕府軍の進撃に対して、守備隊は火を放って撤退したのだろう。
茂別館 津軽十三湊城主・安東太郎盛季の館
戸切地陣屋の次は海沿いの松前国道を南下、茂別館を目指す。茂別館は海近くの丘陵上にあり、現在は神社となっている。
茂別館は1443年に津軽十三湊城主・安東太郎盛季が館を作ったのが始まりと言われている。大館と小館の2つからなるが、川や崖に守られた堅固な地形となっており、東側には高い土塁が築かれている。
土塁の外に作られた町道から回り込むと車で城内に入ることが出来る。南部は神社の参道を作るのに地形が改変されているが、それでも元々は結構険しい崖だったことが覗える。西側の小館の部分は鬱蒼として踏み入るのは躊躇われるが、大館の一段低い位置に削平地があるらしいことは確認でき、ここも南部はかなり急な崖である。
志苔館と同様の「防備を固めた館」という構造である。この時代にはこのような形式が和人館の標準形だったのだろう。
ここからは長駆、木古内から道道5号経由で日本海側に出ることにする。途中の木古内の道の駅で昼食でもと思ったのだが、駐車場に車を入れられないほどの大混雑。食堂の前も長蛇の列という状態で、エビバーガーと豆あんパンを購入して腹に入れるのがやっと。少々頼りない腹を抱えたまま山間の道道を長距離ドライブとなるのである。
花沢館 道南12館の一つ
かなり疲れた頃に上ノ国に到着。ここには花沢館と勝山館という2つの城郭がある。まずは花沢館に立ち寄ることにする。
花沢館は勝山館もある山並みのやや手前に位置する城郭。斜面の手前を断ち切って城郭にしてある。現地に行けば入口の看板もあるのだが、残念なことに駐車場がない。前の道に車を置きたくなるところだが、しっかりとここは駐車禁止。しかもパトカーが巡回中。こんなところでポリにカモられるとたまったものでないので、車は少し離れた裏道のところに置いておく。
入口の看板から登ると2,3分で何段かの削平地に出る。ここが一番広い削平地で案内看板も立っている。花沢館は志苔館などと共に道南12館の1つであり、津軽の安東氏が茂別館に下之国守護、大館に松前守護、花沢館に上之国守護をおいて支配していたという。
この削平地から背後の斜面の上にもさらに削平地があり、ここが最高所。なかなかの見晴らしである。なお背後の尾根筋には堀切を切ってある。ここは地形が急な分、志苔館や茂別館よりも正面からの攻撃には強そうだが、尾根筋伝いの背後からの攻撃が弱点となりそうである。
道の駅もんじゅで昼食
花沢館の見学の次は勝山館に向かうが、その前に途中の道の駅もんじゅに立ち寄り昼食を摂ろうと考える。しかし2階のレストランは混雑していて入店に大分待たされた挙げ句、入店後もかなり待たされて無駄に1時間以上をロスする羽目に。厨房の速度が遅すぎて全く間に合っていないのである。以前に九州の道の駅でも同じ目に遭ったことがあるが、これだから地方の道の駅は・・・。救いは出てきた天丼自体はまずまず美味かったこと。
勝山館 武田信広による山城
思わぬ時間ロスで見学時間が不足気味になってきたので勝山館に急ぐ。勝山館は花沢館の背後の山上にある。手前にガイダンス施設があるので、一回りして見学。この辺りは勝山館に限らず、それ以前の遺跡なども大量に発掘されているらしい。
勝山館は15世紀後半に松前氏の祖である武田信広が築いた山城である。16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の拠点であったという。なお発掘の結果、和人とアイヌ人が混在していたことが明らかとなっているなど、この時代の北の大地の状況を語る貴重な遺跡であるとのこと。
勝山館は背後に夷王山墳墓群を控える山の斜面に築かれている。背後を守る堀切を越えると広い削平地に出る。斜面を削平して、そこに多くの建物を建てていたようである。現在は建物跡と周囲の柵を復元してある。背後と前方は堀切で、東西は断崖で守られているので防御は固い。
二重の堀切を越えると下の削平地がある。こちらは上よりは狭いがそれでもそこそこの面積がある。この削平地の先は土塁で守ってあり、そこから麓につながる通路が延びている。
やはり「防御を固めた館」という趣であるが、今までの館の中では一番防御が堅固なように思われた。また花沢館が出城的に位置にあることを合わせて考えると、やはりこの地域を抑える大拠点であったことが覗える。
江差の町並み
もう既に夕方になってきた。北上して江差を通り抜けて国道227号で函館に戻る。既にかなり疲労が溜まっているのでこの行程は結構しんどいものがあり、気を引き締めてかからないと事故になりかねないところだった。
五稜郭近くのホテルで宿泊
レンタカーを返却するとホテルを目指すことになる。今日宿泊するホテルはルートイングランティア函館五稜郭。本当は函館駅前の方を取りたかったのだが、空きがなかったのでこっちになった次第。しかもGWの特別価格。と言うわけで、実は今回の遠征において料金だけで判断したらここが一番の高級ホテル。確かに夕食なしでこの価格は少々納得しがたいところではある。
ホテルにチェックインすると何はともあれ温泉大浴場へ。ここの浴場は含鉄ナトリウム塩化物強塩泉とのこと。赤っぽい着色があり、かなりしょっぱい湯。
入浴してゆったりしたところで夕食に出かける。以前に訪問したことがある寿司店を訪問するが、表まで大行列。閉店時刻まで1時間ほどだというのに50人ぐらいは待ち客がいるという異常事態。しかもどうも中にはアジア人も多数いる模様。これは話にならないと諦めることにする。
結局は行くところもなくウロウロした結果、ホテルの向かいの中華料理屋で塩ラーメンと焼きめしのセットを食べるが、どうも味が薄すぎて私の好みとはかなりずれる。これは大失敗。
夕食の大失敗でやるせない気分を抱えながら辺りを散策。どうも気分的にはこのまま終われない感じ。そこでせめてご当地バーガーでも食べようかとラッキーピエロを訪れてみる。さすがにこの時間になると行列はなくなっていたが、注文品を待っている客が多数いるようで、結局は商品受け取りまでに30分程度かかることに。
私がラッキーピエロで購入したのはエッグバーガーとトンカツバーガー。ホテルに帰ってからこれらを頂いたが、さすがにうまい。ただボリュームがあるので腹が重い。最初から夕食をこれにしておけば良かった。
少々重い腹を抱えて再び入浴。今日はかなり体のあちこちが痛くなっており、特に右肩の痛みがひどい。そこで明日に備えて体をきちんとほぐしおくことにする。
風呂から上がるとグッタリと疲労が出る。明日は早い出発になるので早めに就寝する。