翌朝は6時半にセットしていた目覚ましで起こされた。昨晩は結局は8時過ぎぐらいからウツラウツラと浅めの眠りが続いていたようだ。体全体がずっしりと重い。外を見てみると秋雨前線の影響による雨とのことで、どうも今日の活動はかなり制約を受けそう。
朝一番から目覚ましのために大浴場に入浴に行く。シットリとした快適な湯が体に染みいる感覚。これだから朝風呂はやめられまへんな・・・。朝寝もしたいところだが。
入浴後は手早く荷物をまとめておくと朝食。これはオーソドックスな和食。朝からご飯が美味い。とりあえず燃料を体に入れておく。
朝食後にはすぐにチェックアウトする。今日は諫早駅から特急つばめで一気に博多まで移動する予定。ただスケジュールを考えると、当初に乗車を予定していたつばめには間に合わないと予想されたことから、昨夜の内に1本遅らせている。しかし外は雨がひどい上に諫早駅までの道も渋滞が激しい(通勤ラッシュだろうか?)ので、結局は途中でもう1本遅らせることに。これで当初予定よりも1時間遅いスケジュールを余儀なくされることになるが、どっちみちこの雨ではまともにスケジュールを実行することは不可能だろう。今回の遠征では「無理をしない」を第一に置いている。昔なら万事をスケジュール通りに黙々と行動していたが、今はそれだけの気力と体力がない。
レンタカーを返却すると諫早駅でつばめに乗車。雨は常に降っていて、時々かなり激しくなる状況。空はどんよりと曇って禍々しい雰囲気。私の乗車予定のツバメは数分遅れで到着する。
到着した白ツバメは結構混雑している。とりあえず席についてどんよりとした空を見ている内にウトウトしてしまう。次に気がついた時には列車はもう鳥栖を過ぎていた。
到着した博多は土砂降りの状態。その土砂降りの中を駅前のレンタカー屋へ。貸し出されたのはマーチ。とかく縁があるがとにかく好きではない車だ。
さて今日の予定だが、回るべきところはいくつか考えているが、今日のこの天気だとかなり制約を受けることになる。この天候では山城の類いはまず不可能だろう。そこで最初の目的地は「元寇防塁」とする。
元寇防塁 元軍襲来を妨げた鎌倉の防壁
元寇防塁は第一回の元寇の後に元の再来に備えて幕府の命で築かれた防壁である。二日目の元寇ではこの万全の準備が功を奏して、元軍は九州に上陸できずに撃退されている。
現在防塁が残っているのは今津地区とのことなのでそちらを目指して車を走らせる。しかし現地に到着してから進むに困ることに。カーナビが示す道は道とも言えないような道だし、そもそも現地は路地の迷路。散々苦労して情報を集めた結果、緑町集会所のところに車を数台停められるスペースがあることが分かる。
ようやく車を置くとここから元寇防塁までは歩いて1分ほど。看板の近くに遺跡として残っている防塁があり、その少し西には復元された防塁がある。厚さ、高さ共に結構あり、イメージとしては古代城郭の城壁。この城壁を盾に大軍に立て籠もられれば、当時世界最強だった元軍といえども上陸もままならなかったのは当然であろう。なお以前は第一回の元寇では元軍の団体戦と新兵器によって日本側はケチョンケチョンにやられたというのが通説であったが、最近は実は日本軍も意外と善戦していたという愛国者様達が泣いて喜びそうな話が出てきている。確かに地の利を生かしたゲリラ戦などを行えば日本側にも有利な材料は多々あったと思われる。この後にゲリラ戦の天才である楠木正成などが登場したことを考えれば、日本は意外にゲリラ戦に長けている。
水城 大和朝廷が唐の襲来に備えた城壁
元寇防塁を見学した後は「水城」の見学に向かう。こちらは時代をさかのぼって天智天皇の時代、大和朝廷の百済救援軍が唐・新羅連合軍の前に惨敗した後、唐による侵攻を警戒して太宰府防衛のために築かれた防壁である。版築工法で作られた土塁であり、高さは数メートル。しかも水城の名の通り手前には水が引かれて堀が作られていたという。これをちょうど山から山の間を塞ぐように作ったのだから何とも大規模。
今はかつての東門の跡に見学者用の施設があり、ここでパンフレットをもらったり解説ビデオを見ることが出来る。
ただいざ現地に来てみると、確かにその規模には驚くが、所詮はただの土盛りであまり見るべき点がないのが事実だったりする。城のような分かりやすい施設があるわけでないのは、観光面においてはかなりの欠点。
結局今日は塀を二つ見ただけだった(笑)。しかも元寇防塁が思っていた以上の辺鄙にあったことから、水城を見終わると既に15時前。もう時間もないし、雨もひどいしということで今日の宿泊ホテルに移動することにする。今日は嬉野温泉で宿泊するつもり。ホテルは和多屋別荘を予約している。当初は別のホテルにする予定だったのだが、直前になって貧乏人向け夕食なし廉価プランが出てきたのが乗り換えた理由。やはり嬉野温泉でもここの湯は最高であるのが最大の選択理由。
太宰府ICから九州自動車道と長崎自動車道を乗り継いで嬉野を目指す。ところで私が借りたマーチだが、運転していると基本的に80キロで走りたがるのが分かる。通常のアクセル操作をしているとすぐに80キロぐらいまで速度が落ちてくるのだ。流れに乗るにはかなり意識してアクセルを踏み込む必要がある。やはり諸々で感覚が合わない車だ。気を抜くと観光バスに追い抜かれる羽目になる。
嬉野温泉和多屋別荘で宿泊
嬉野温泉には17時前に到着、かなりの雨が降っている。チェックインすると早速入浴する。嬉野温泉はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉のアルカリ泉だが、ここのホテルの大浴場はさらに高温の源泉を加水することなしに冷却して適温にしているというこだわりよう。しかも湯は常に掛け流しでダバダバと浴槽に注がれており、溢れた湯は目の前の川に流れているという贅沢ぶりである。肌にしっとりとまとわりつく最高の湯。これに入るためにわざわざここまで来たわけである。最上の湯をタップリと堪能する。
川を眺めながら露天風呂でくつろぐが、雨のせいでかなり水が増えて濁流になってゴーゴーと流れている。先の大雨ではこの川が溢れて大浴場も浸水したとかで、サウナは現在故障中。私はサウナは使わないから関係ないが。
ちなみにここの浴槽は黒川紀章の意匠による物だとのことだが、私の彼に対する評価は「安藤忠雄よりはマシ」という程度の物なので。確かに彼は安藤忠雄のようなガラクタは作っていないが、鉄筋コンクリート建造物の耐久性といった基本的最重要要素を考慮せずに、メタボリズムなんて提唱しちゃう人物なんで・・・。
嬉野温泉で散策で思わぬ超高CPディナーにありつく
入浴を済ませて一息つくと夕食のために外出することにする。幸いにしてこの頃になると雨がやんでいた。温泉街をプラプラしながら夕食を摂る店を探す。結局立ち寄ったのは「和洋創菜えびね」。「おまかせ御膳(2080円)」なるメニューがある。サイコロステーキ、ぼたんえびの刺身、ジャンボエビフライなどの記載があるので、これらの中からメインを選ぶのかと思えば、なんとこれが全部ついているという。とりあえずこれを注文する。
まずオードブルから出てくる。これがなかなか美味い。そしてパイスープ。味付けがやや甘めなのが気になるがなかなか美味い。そしてエビフライに続いてメインが出てくるのだが、これのボリュームに圧倒される。エビフライだけで普通のランチメニューなんかだったらメインのボリュームがある。たっぷり堪能したのだが、この後にコーヒーとデザートが。とにかくかなりのボリューム。とにかくCPの高さに圧倒された。嬉野温泉もまだまだ知らないところがあったようだ。
夕食後は温泉街をしばし散策する。嬉野温泉は温泉街というよりも普通の町に温泉ホテルがチラホラというイメージに近い。川縁に新湯広場なる温泉公園みたいな物が出来ているが、これがまたあまり意味のない施設になっているのがどうにも。何やら温泉街としての統一イメージのようなものはない。
ホテルに戻ってくると、テレビを見てしばしマッタリした後、再び入浴のために大浴場へ。やはり湯は最高だが、中国人のオッサンがうるさい。中国人が二人いたら、日本人十人分のうるささである。
入浴の後はしばしテレビを見ていたが、やはりろくな番組がない。結局は今日もやや早めに就寝することにする。