翌朝は6時半に目覚ましに起こされる。とりあえず朝風呂を浴びることに。やっぱりここの湯は最高。朝から体に染みいる感覚がたまらない。このためにあえてこのホテルを選んだ価値があったという物だ。
入浴後はバイキング朝食。朝食バイキングに関してはこんなものというところか。豪華でもないが粗末でもない。ビジネスホテルにプラスαぐらいのイメージ。
9時過ぎには支払いを済ませてチェックアウト。今回は貧民プランに会社の福利厚生割引を適用して支払いはビジネスホテルにプラスα程度。温泉の湯のことを考えると十二分な価値のある宿泊であった。
今日の予定だが、福岡方面に向かいつつ昨日立ち寄らなかった城郭を巡る計画。ただし相変わらず雨は断続的に強くなったり弱くなったりなので、本格的な山城は除外するしかなかろう。とりあえず出たとこ勝負である。
臥龍城 鎌倉時代の城郭
最初に向かったのは肥前鹿島の「臥龍城」。鎌倉時代の中頃に原長門守貞光が砦を築いたのが始まりとのこと。後に松尾氏に攻められて消失してしまったとのことで、現在は臥竜ヶ岡公園の一部となっている。公園は肥前鹿島の市街の独立丘上にあるのだが、臥竜城はその背後の丘との間を堀切で断ち切った手前にある。丘全体を城にしても良いようなものだが、それだと地方領主クラスの手勢では守るに広すぎるのだろう。小さいが回りは切り立っていて結構堅固である。
武雄温泉で入浴
臥龍城の見学後は武雄温泉に戻ってくる。実は昨日武雄温泉に寄るつもりだったのだが、時間がなかったので嬉野温泉に直行した次第。やはりここまで来たのだから武雄温泉にも浸かってみたい。
立ち寄ったのは武雄温泉の楼門のところにある元湯。由緒ある公共浴場である。入浴料が400円にタオルセットを借りると250円。ぬる湯とあつ湯の二つの浴槽があるが、私にはぬる湯でも少々熱いぐらい。泉質は単純アルカリ泉とのことでややヌメリのある湯である。
入浴後は武雄温泉新館の見学。ここはかつて公共浴場として使用されていた建物らしい。大正4年に建造、楼門と共に辰野金吾がデザインを手がけた建築で、共に国重要文化財に指定されているという。
一階に浴場が並んで、二階は畳の休憩室になっている構造。どことなく道後温泉本館を思わせる雰囲気もあるが、妙に中国的な外観が特徴をなしている。
新館を見学したらご当地コーラのうれしのチャコーラで一服。大昔のコカコーラのような妙な薬臭さを感じる懐かしい味。独特の風味が茶タンニンやカフェインであろうか。
武雄温泉を後にすると東に向かって走って行くことにする。武雄北方ICから長崎自動車道に乗り、この春に開設されたばかりの小城スマートICで降りる。次の目的地はここのすぐ南。
千葉城 鎌倉時代の千葉氏の拠点
最初に立ち寄ることにしたのは「千葉城」。そもそもは鎌倉末期に関東千葉氏の本家が支配していた城で、戦国期に龍造寺隆信が台頭するまでこの地を支配していたという。
円明寺の北にある山上にある城郭なので最初は円明寺方面から車でアクセスしようとしたが、墓地から先の道は急斜面の上に舗装のコンクリートはひび割れ、そこに落ち葉や木の枝が散っている状態で、小雨がちらほらなこの天候では非力なマーチではスリップしそうな気がしたので車で進むのは断念して徒歩で登ってみる。するとしばし進んだところで交差点に出くわす。見たところもっとしっかりした道が下まで通じていそうである。そこで地図で確認してその道を進むことにする。
最初は畑のフェンスの間の農業用の道路であるがこれが途中から山道につながっている。道幅も対向車が来なければ問題ない幅があり、この道路経由で山上まで上ることが出来る。山上にはキチンと駐車場があって「千葉公園」との看板まで出ている。
そこを入っていくと展望台のある公園になっており、千葉城に関する説明看板がある。それによると千葉城は大中小の三つの山からなっており、中と小は出城でここは中に当たるらしい。小が東にさらに降りたところにある須賀神社で、大は駐車場の奥の電波塔の建っている山のようだが、鬱蒼として進むのを躊躇う状態だったのでそちらの見学は断念した(後でグーグルで確認したら、山上に続く道もあって車で進めそうな雰囲気だが、どちらにしても大した遺構があるとも思えない)。
小城城 鍋島氏の陣屋跡
千葉城から降りてくると、次はここの少し南にある小城公園に立ち寄る。ここは小城藩主題藩主の鍋島元茂と二代藩主直能によって築かれた庭園である。3代の元武がここに陣屋を設けたことから「小城城」とも呼ばれている。
現地は水の流れる風光明媚な公園であり、春には桜の名所にもなるそうな。背後に小高い丘があってこの上に小城藩の陣屋があったようだが、丘の周辺はなだらかであって戦闘に耐えるようなものではないし、そのための構えも全くない。いかにも平時の陣屋という風情。
公園の見学を終えるともう昼過ぎ、佐賀県道48号線を佐賀方面に東進しながら昼食を摂る店を探す。この沿線には不思議なほどにラーメン屋が多い。そんな中、同じ敷地内にセブンイレブンがあって便利なことから「らーめん竹ちゃん」に入店する。「ラーメンと餃子のセット」を注文。
細麺のとんこつラーメン。味は至って普通。餃子も至って普通というわけで、特に印象に残るようなものではないが、失敗というわけではない。価格も妥当だし、まあ普段使いならこんな店かなというところ。
姉川城 竜造寺配下の水城
昼食後もさらに東進。次の目的地は「姉川城」。神埼市にある平城である。1360年に菊池武安が築城し、後にその子孫の姉川氏が入ったという。戦国時代は当初は少弐氏に属し、後に竜造寺隆信配下となって大友宗麟の侵攻を防いだとか。
現地は環濠に囲まれた田んぼであり、水路に囲まれた田んぼのなかに民家が点在しているという状態。これが城といわれればそうだろうが、構造のようなものはよく分からない。
直島城 こちらは大友氏配下の水城
次はここの南東にある「直鳥城」。ここも姉川城と同様の環濠の城郭で、やはり龍造寺氏や大友氏の騒乱に巻き込まれたようだが、こちらは大友陣営だったようだ。湿地で両軍入り乱れての泥沼の戦いになったことが想像される。
こちらも姉川城と同様で民家や田んぼの間を環濠がうねっているという構造で、車で回っても単なる田んぼにしか見えない。
佐賀は元々湿地であるのでこういう形態の城が多いのだろう。佐賀城などもいざとなったら城全体を水没させる防御態勢があったと言うし。この手の水城は山城に比べると一見したところは堅そうには見えないのだが、実際に攻めるとなると水路の入り組んだ地形は難攻不落であったろう。
都合今日一日で5つの城郭を回ったことにはなるが、正直なところ城を見たという感覚はあまりない。特に最後の2つは田んぼを見たという印象しかない(笑)。姉川城と直鳥城はどこかに車を置いて徒歩で見て回らないと状況がつかめないだろう。ただ現地には車を置ける場所が見当たらなかったので、いずれ下調べをした上で再アタックするしかなかろう。それにしてもどうしても山城を省いてしまうとつらいものがある。
脇田温泉で宿泊
さてもうそろそろ夕方である。回るべきところもないし、そろそろホテルに向かって移動することにする。今日の宿泊ホテルは脇田温泉のルートイングランティア若宮。脇田温泉は博多の東のかなり山の奥にあり、かつて筑豊での炭鉱が華やかかりし頃は歓楽温泉として繁栄した時期もあったらしいが、炭鉱も廃止されて久しい今となっては、数軒の温泉宿が残る鄙びた温泉地という風情になっている。
ルートイングランティア若宮
ルートイングランティア若宮はこの温泉街から少し外れた山の中にある。スポーツなども出来る保養施設となっている。元々は厚生年金の施設だったのが民間に売却された物らしい。部屋の感じなどは確かにルートインよりは公共保養施設感がタップリ。
チェックインを済ませると何はともあれ入浴することにする。大浴場は内風呂と露天風呂があり、露天風呂には洞窟風呂なんてのもあるが(グランティア太宰府にも同様の物があった記憶がある)、湯自体は内風呂の方が良い感じ。泉質はアルカリ単純泉とのことだが、正直なところあまり温泉感は強くない。ヌルヌル感もそう強くなく、印象としては少し軟らかい新湯というところ。
風呂から上がって一息つくとすぐに夕食。脇田温泉周辺は何もないところなので夕食付きプランを選択していた。夕食はレストランのランチメニューから選択とのことなので、ネギトロ丼を選択、またビール一杯がついているとのことだが私は酒は駄目なのでパインジュースに代えてもらう。
味は良くも悪くも普通。まあルートインの花茶屋なんだからそりゃそうだろう。
夕食を終えるとしばしマッタリしてから再度入浴。今度は内風呂でじっくりと体を温めることにする。やはり湯は内風呂の方が良いようだ。ただインパクトの強さは全くない温泉である。
風呂から帰ってくると疲れが出てグッタリしてしまう。自分で布団を敷いてその上で横になったら動くのが嫌になってくる。今日は大して運動したつもりはないが、長距離の運転が疲労につながったのだろうか。その内に意識を失ってしまう。