徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

「ハマスホイ展」「出雲と大和展」を見学してから都響のプロムナードコンサートを聴く

 翌朝は8時まで爆睡していた。朝から体はズッシリと重く、体調が良いとは言い難い。どうも思った以上に昨日疲労してしまったようだ。しばし起き上がる気力も出ないのでテレビをボンヤリと見る。中国はコロナウイルスで大パニックに鳴っているようだ。間もなく春節空けになるとのことだが、この調子で通勤を再開できるのだろうか? しかし現状の社会が完全に停止した状態を続けるわけにもいかず、中国政府も頭が痛いところだろう。かつて白河法皇が加茂川の水と叡山の山法師は思うままにならないと嘆いたが、現在の中国の王である習近平としてはトランプの気まぐれとコロナウイルスが思うままにならないものだろう。また初動対応をしくじった(初期には対策よりも隠蔽を図ろうとした)上に現状も感染爆発に打つ手ない状態であることで中国政府が国民の信頼を失っており、習近平体制の崩壊につながりかねないとの観測もあるようだ。実際にそこまで行くかは疑問だが、中国には伝統的に「統治者に徳がない時に天変地異や疫病の流行が起こる」という考えがあるので、今回の疫病の流行は心理的には習近平の徳がない証明ということになってしまう。まあ時代遅れの感覚かもしれないが、現在の日本の徳も知恵も微塵も持ち合わせていないトップの元で自然災害が相次ぐ現状を見ると、あながち迷信とも言い切れないのではという気もしてくる。

 しばしグダグダしてから荷物をまとめ、9時半頃にはホテルをチェックアウトする。今日も予定がある。まずは上野へ移動することにする。

 今日の予定は14時からサントリーホールでの都響のコンサートだが、その前に上野の東京都美術館の「ハマスホイ展」を見に行くことになっている。今回わざわざ東京に立ち寄ったのは、昨日のブダペスト展と本展があるからというのが実際の理由である。とりあえず上野駅に移動すると、午後からの移動の動線を考えて、上野駅の新幹線口の横のコインロッカーにキャリーを放り込んでおく。

 チケットは上野の駅内で購入すると、目的の東京都美術館へ。さすがにハマスホイは知名度皆無のせいか、場内はさほど混んでいない。美術展鑑賞には良いコンディションである。

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東京都美術館を訪問

 

「ハマスホイとデンマーク絵画」東京都美術館で3/26まで

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 19世紀頃にデンマーク絵画の黄金期と言ってよい時期が到来したと言うが、その頃の絵画からハマスホイに至るデンマーク絵画を展示。

 ハマスホイは10年ほど前に大規模な展覧会が行われて、その際には私も見学しているのであるが(その時には「ハマスホイ」でなく「ハンマースホイ」と表記されていた)、とにかく静かというか、不気味さを感じるほどの静謐が強烈なインパクトとなり、未だに私の記憶に残っているところである。

 本展で最初に展示されている19世紀の黄金期の絵画が展示されているが、この頃の絵画は静かであるとは感じるが冷たい感じはなくて温かい感じが満ちている。馴染みのある風景や人物を描いた絵画が流行したとのことなのでそのためなのだろう。技法的には前衛的な者は全くないが、時代が進むにつれて光の表現に印象派的要素が入ってくるのはこの時代の絵画の常である。

 19世紀末が近づくと、デンマークのはずれの漁師町であるスケーインに画家が集まって、漁師の姿を描くなどが行われる。この画家たちはスケーイン派と呼ばれているらしいが、フランスにおけるバルビゾン派のようなものだろう。この画家たちの中には今までのデンマーク絵画に見られていなかった力強い作品が登場する。非常に大胆な筆致で水しぶきを描いた作品が印象に残る。

 その一方で非常に静かな室内絵画の潮流も発生していたようである。これらはやはり「親密な風景を描く」という流れの中だったようである。そしてハマスホイも基本的にこの流れの中に位置するようだ。

 ただハマスホイの絵画の傑出した特徴は、やはり異常なまでの静謐感であろう。室内に人物を加えた作品もあるのだが(主にモデルは妻だったらしい)、なぜか妙なほどに生命感が見られず、まるでそこに置かれた調度の一つのように見えてしまう。また街角を描いた風景などは人物を全く描いていないこともあって、人類が死に絶えた後の廃墟の街角のようにさえ見えてしまうのである。

 以前のハンマースホイ展の時よりも温かみのある絵画が本展では多かったようであるが、それでも以前に感じた強烈な孤独感というか冷たさのようなものは相変わらず感じられた。この画家は妻もいて決して孤独な人物ではなかったようなのであるが、この孤独感は一体何に由来しているのかは奇妙に気になるところでもある。

 

 展覧会の見学を終えるとかなり疲れたこともあって、館内の「上野精養軒」で朝食を兼ねてフレンチトーストを頂いてホッとする。

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朝食代わりのフレンチトースト

 一息ついた後は、上野でもう一軒寄っていくことにする。

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国立博物館

 

「出雲と大和」東京国立博物館で3/8まで

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 古代日本においては明らかに2つの独立勢力が存在している。それは出雲と大和。出雲は独自の神話を持つ信仰中心の勢力であったようであるのに対し、大和は広く中国とも交流する政権であったようだ。やがて「国譲りの神話」があり、出雲の信仰の中心も大和に委譲されることになる。通常の歴史的観点で考えると、ここで大和政権による出雲政権の征服というイベントがあったはずなのであるが、どうも大きな争いがあったらしき痕跡が見られない。国譲りの神話なども考えてみると、強大な軍事政権であった大和に対し、信仰中心の非軍事政権の出雲では最初から戦いになる余地もなく、出雲が大和に降伏する形で併合されたのではという気がする。

 本展では出雲と大和に纏わる出土品などが展示されている。出雲については銅鐸が出土した遺跡の復元が展示されていたが、見慣れた銅鐸の姿ではなくてキンキラキンであることに思わずハッとした。確かに今日の我々は青く錆びた銅鐸しか目にしていないのでそのイメージがあるが、かつての銅鐸はキンキラキンであったはずで、そうして考えるとそんなものは宗教的な祭器しかありえないという気はする。同様に出雲で多数出土している銅剣もキンキラキンのものであり、実用性よりも祭祀性の方が想起される。これらを考え合わせるとやはり出雲政権は宗教的権威であって軍事的色彩はかなり弱かったように思われる。

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キンキラキンの銅鐸

 一方の大和は大量の銅鏡が出土しているのが特徴であり、これらの銅鏡の多くは中国からの渡来品である。つまりは中国と交流があったということであり、最新の技術を導入するということは、必然的に最新の武器なども輸入することになったろう。実際にいかにも実用性の高そうな鉄の剣も大和からは出土しているようである。さらに祭祀の形式なども中央集権制が高かったことを感じさせる。日本ローカルの信仰中心であった出雲と、国際的な都市であった大和では政権の性質が違うということが強く感じられた。

 終盤は仏教がらみの展示になる。この日本固有の神々の世界に外来宗教の仏教が混入したことが、古代日本をさらに複雑にしているようである。思っていた以上に古代日本は多様性の世界だったのかもしれない。

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法隆寺金堂壁画の復元

 

 これで本遠征での東京の美術館予定は終了。後は都響のコンサートを聴いてから移動である。都響のコンサートは14時からサントリーホールで。

 六本木一丁目に到着したのは13時頃。入場前に「杵屋」で手っ取り早く「きつねうどん定食」を昼食に摂っておく。

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六本木の杵屋

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きつねうどんの定食

 とりあえず昼食を終えるとホールへ。サントリーホールはかなり観客が来ている。9割方以上は埋まっているだろうか。

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サントリーホールにゾロゾロ入場中

 

都響プロムナードコンサートNo. 385

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指揮:小泉和裕

ヴェルディ:オペラ『運命の力』序曲
リスト:交響詩『レ・プレリュード』 S.97
ムソルグスキー:オペラ『ホヴァンシチナ』前奏曲「モスクワ河の夜明け」
ハチャトゥリヤン:『ガイーヌ』より「剣の舞」「バラの乙女達の踊り」「レズギンカ」
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 Op.34
ビゼー:『アルルの女』組曲第2番

 今回は小曲集の肩の凝らないプログラムというところ。小泉の指揮は最初からなかなかにノリが良い。一方の都響の方もかなりキレの良い演奏をしている。やはり演奏の安定感は流石である。

 ややおどろおどろしさのある「運命の力」から始まると、2曲目はリストの交響詩。いずれも盛り上がり部分はかなり派手な曲なのであるが、その派手部分を小泉と都響はそのまま派手派手に演奏してきた印象である。それが今回はなかなか決まっている。

 やや印象が薄めのムソルグスキーの曲を経て、前半の締めはパーカッション大活躍のハチャトゥリアン。木琴や小太鼓が縦横に活躍している。弦楽陣の方もなかなかに気合いが入ってキレキレである。聴いていて非常に楽しい演奏。

 後半はリムスキーのスペイン奇想曲とビゼーのアルルの女。最後は怒濤のファランドールである。小泉がかなりまくっていたので迫力あると言うか、いささかせわしい気もするフィナーレ。ただそれでも崩壊しないのはさすがに都響。最後まで大盛り上がりである。

 総じて「楽しいコンサート」であったという印象なのが今回。曲のラインナップを考えると、つべこべ難しいことを言うよりもそのスタンスで大正解だろう。

 

 コンサートを終えると郡山までの移動である。