徒然草枕

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今回のデジタルコンサートはフィッシャーの古典プログラム

今日はいつもと毛色の違うプログラム

 さて本日もベルリンフィルデジタルコンサートホールの時間差ライブ配信(毎度のことだが無理のある言葉だ)の日である。この週末は先週の仕事が精神的にややハードだったこともあり、心身共にへばった状態だったために何とも中途半端な遠征になってしまっていささか不完全燃焼である。この少し行き場のなくなっている感情を解消してくれる名演を期待したいところ。

 今回はアダム・フィッシャーによるモーツァルト及びハイドンのプログラムである。モーツァルトはともかく、ハイドンはあまり聞くことのない私にとってはやや珍しいプログラムか。しかも交響曲の方はともかくとして、後の二曲は私にとっては全く馴染みがない曲。しかも合唱が加わる曲らしい。その辺りも興味があるところ。

 

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホール

指揮:アダム・フィッシャー
合唱:ベルリン放送合唱団

モーツァルト 交響曲第33番変ロ長調
モーツァルト キリエ二短調
ハイドン 合唱と管弦楽のための《嵐》
ハイドン 交響曲第103番変ホ長調《太鼓連打》

 普段は大編成でブンチャカやっているベルリンフィルが今回は10型という小規模編成でアンサンブル中心で聞かせる演奏をしている。フィッシャーの指揮は殊更にピリオド奏法などの古典を前に出した演奏ではなく、結構モダンアプローチのように聞こえる。このモーツァルトも細かい揺らしのようなものはあり、強弱対比もやや強調気味。その辺りが好みの分かれるところだろう。あえて言うなら、ピリオドでもモダンでもなくでフィッシャー流なのだろうか。

 二曲目はその10型オケに管楽陣を増強した上で合唱隊が加わる。キリエはモーツァルトの遺作であるレクイエムに後につながることになる作品とのことだが、重苦しくもあり美しい曲である。フィッシャーはこの曲をややメリハリ強めで演奏している。

 休憩明けのハイドンは荘厳かつ美しい曲である。フィッシャーも正攻法で奇をてらわない表現をとっていたような感を受ける。

 最後はハイドンの交響曲。ハイドンの晩期の曲は古典と言いながら、後のベートーヴェンなどにつながるようなモダンさを垣間見見せることがあるのであるが、どうもフィッシャーの演奏はそういう部分にスポットを浴びせているように感じられる。古典の装いを纏いながらも、ややメリハリを効かせ気味の演奏は、ロマン派前夜という空気をも感じさせる。

 いつもとはやや毛色の変わったプログラムで、ベルリンフィルもいつもとは違う音色を聴かせていた。というものの、ベルリンフィルの本領はやはりモダンものの方だなということも感じたのは事実。やはり古典ものをアンサンブルでバッチリ聴かせるということには古楽オケの方が一日の長があるようだ。