今日はコンサート前に美術館へ
翌朝は目覚ましをかけずに自由睡眠。眠りが浅くなってきた頃に、どこからか低周波の唸りのような奇妙な音が聞こえてきてそれで目が覚める。まあ既に目が覚めかけていた時なので寝起きは比較的良い。
目が覚めると昨日買い込んでいた朝食を腹に入れると、シャワーで汗を流す。それからしばらくは原稿入力作業。まあ比較的作業がはかどるということは今日は体調が良い。
昼前になってきたところで一旦外出することにする。車を出すと向かったのは兵庫県立美術館。ここで開催中のボストン美術館展を見学する予定。途中で想定外の渋滞で見込んでいたよりは時間を浪費したが、昼前には到着する。会場が混雑していることを警戒していたが(以前に刀剣展といえば腐女子が大量に押しかけて入場できなかったという悪夢を経験している)、思っていたよりは観客は少なくて普通の入りでホッとした。あの時は「刀剣乱舞」のブームが腐女子殺到の理由だったが、ブームが去ったのか、本展がことさらに刀剣乱舞などとのコラボなどをしなかったからなのかは定かではないが。
「ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵ー武者たちの物語」兵庫県立美術館で11/20まで
刀剣と浮世絵を組み合わせた展覧会だが、浮世絵はいわゆる武者絵。と言うことで必然的に歌川国芳の作品が多くなり、半数以上は国芳の作品ではという印象。さらには月岡芳年の作品もという、もう私としてはそれだけでお腹いっぱいという展覧会。
作品は扱っている年代順で展示されており、最初はいわゆる神話時代ということでスサノオ伝説などから始まるのだが、ここで国芳と芳年がいきなりそろい踏みである。なおこの時代の刀剣の特徴は、まだ日本刀出現前であり直刀であるということ。絵画でもそれは示されているが、会場にも古墳時代の無銘の直刀が展示されている。
平安時代になると源頼光とか坂田金時などが登場しての酒呑童子退治などの伝説となる。この頃になると刀も進化して日本刀と言えるものが登場し、反りのある大刀となる。
源平時代には牛若丸や女武者・巴御前の活躍などのエピソードが中心となって多くの武者絵が登場することになる。この時代になるともう日本刀は完全に確立したスタイルとなっているが、この時代の刀は実用本位であり刃紋などは結構シンプルである。
鎌倉時代に差し掛かると、曾我兄弟の仇討ちなどのネタが中心となる。
以降は、室町の太平記、戦国の川中島合戦などが登場して、椿説弓張月などの物語上の人物の作品となる。なお江戸時代になると刀に装飾性が出てくるので、刃紋などの派手な刀が登場することになる。
以上、私の好きな国芳のまるで今日の劇画を思わせるような武者絵がゾロゾロというだけで、相当に堪能できる展覧会であった。
一旦車を置いてからホールへは地下鉄で
展覧会を終えると大阪に戻ってくる。この後は3時からフェスティバルホールで大阪フィルの定期演奏会である。このまま車で乗り付けたら楽だが、それだと駐車場代が高い。一旦ホテルに戻って車を置いてから、地下鉄でホールに移動することにする。休日のこの時間帯だったら、地下鉄がすし詰めと言うことはないだろう。
地下鉄は私の読み通り普通の乗車率。とりあえず地下鉄でホールに移動すると、若干遅めの昼食・・・と思ったのだが、私がイメージしていた「而今」は待ちの行列がある状態、寿司の気分でないし、キッチンジローやカレーの気分でもないしとウロウロした挙句、たまたま空きが出来た「PRONTO」に入店してミートスパを昼食にすることに。結局は麺類のイメージから抜けられなかったようだ。
まあスパ自体は可もなく不可もなくといったところ。とりあえず昼食を終えるとホールへ。ホールの入りは8割程度といったところか。
大阪フィルハーモニー交響楽団 第561回定期演奏会
指揮/尾高忠明
メゾ・ソプラノ/池田香織
曲目/ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集
ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」より
(夜明けとジークフリートのラインの旅~葬送行進曲~ブリュンヒルデの自己犠牲
初っ端から16型という超巨大編成の大フィルが唸りを上げる。煌びやかかつ派手派手サウンド。しかしただの空騒ぎではない。とにかく尾高が躍動する。ノリノリというか、とにかく演奏のスケールが大きい。尾高のその躍動を受けてオケの方もノリノリである。
しかも単に大音量でガンガン鳴らすだけではない。何とも音色が色っぽい。通常やや淡泊気味な大フィルのこれだけ色っぽいサウンドは初めて・・・いや、正確に言うと一度だけ聴いたことがある。デュトワが振った時のあのサウンドである。あの時のデュトワが引き出した大フィルサウンドを今回は尾高が見事に引き出していることに驚いた。
二曲目は一転して6型という室内楽編成に再編成したオケをバックに、池田がワーグナーの歌曲集。ワーグナーにあまり詳しくない私にはこの曲は初めてなのであるが、ワーグナーといった場合に一般的にイメージする派手派手コテコテの曲ではなく、もっとシンプルな可愛らしくて美しいイメージのある曲である。こうして聞くとどことなくマーラーの歌曲集を連想させることがある。というところで、マーラーってワーグナーの影響を受けてたんだなという逆発見なんかをしたりした。
音楽自体はワーグナーにしてはシンプルに感じられる曲を、池田が安定した抜群の表現力で聞かせる。これは流石に日本のメゾソプラノ第一人者。安定感に加えて懐の深さを感じさせる。
後半はワーグナーの指輪の後半からの選抜。最初はオケセクションで始まり、最後に池田が加わっての大クライマックス。とにかくノリまくりでありながら、奥行きの深い演奏でワーグナーの世界を遺憾なく表現してくる。そもそも池田はびわ湖ホールオペラでもブリュンヒルデを演じた経験があり、この役はまさに自家薬籠中の物とも言える。その存在感はまさにブリュンヒルデその人そのものと言えるぐらい。
そしてそのブリュンヒルデの圧倒的存在感を残しながら、音楽は華麗かつ荘厳に終える。池田の圧倒的表現力は見事の一言だが、さらに大編成大阪フィルの力を完全に引き出した尾高に圧倒された。どうも私はこの尾高という指揮者をまだまだ見くびっていたようである。
思わず「これだから老人というものは侮れない」という言葉が出てしまった。池田がこのぐらいやるのは当たり前とも言えるが、今回の尾高と大フィルのパフォーマンスは全く私の予想外だった。これだからライブは分からないし面白い。
夕食に出向いた新世界はバカ混みだった
とりあえず大満足でコンサートを終えると地下鉄でホテルに戻る。部屋でしばしくつろいでから大浴場に体を温めに行くと夕食のために出かけることにする。
ジャンジャン横丁をウロウロするが、八重勝やてんぐには大行列が出来ている。三連休効果か明らかに先週の金曜日の人出とは根本的に人数が違う。当然のようにだるまも大行列、それどころか聞いたこともないような串カツや、とにかく評判が良くなくて地雷と呼ばれているような店にまで行列が。その中でこの人だかりが戻ってくるまで持ちこたえることができなかったづぼらやが悲しい姿をさらしている。
そもそも最初から今日は串カツのつもりはなかったが、この時点で完全に選択肢から消える。さらに寿司の気分でもないし、そもそも寿司屋も一杯である。こうなると表通りの店は不可能だから、必然的に裏通りのひっそりした店を・・・と思った時点でもう選択肢は一つに絞られる。私が立ち寄ったのは「グリル梵」。私の目論見通り店内には空席があるので問題なく入店できる。久しぶりに「ビフカツ」にライスをつけて頂くことにする。
例によっての正しい関西のカツである。厚手の肉を使っているが、火の通り具合が実に見事である。デミグラスソースのバランスも良い。久しぶりに正しい関西のカツ(関西では単にカツと言えばビフカツのことを指す)を堪能したのである。
夕食を終えて戻ってくると原稿執筆したり、ゴロンとベッドに横たわりながらネットをしたりなどで時間をつぶす。
そうこうウダウダしている内に眠気が強くこみあげてくるので、結局ろくに作業できていないが就寝することにする。
この遠征の翌日の記事
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