今日は久石譲指揮の日本センチュリー交響楽団
翌日は7時頃ぐらいから周囲の部屋が喧しくなってきたので目が覚める。前日は周辺には宿泊者はいなかったようだが、今日は宿泊者が多い。特に子供もいるようでこれが喧しい。昨日、新幹線が新大阪で運行休止になったとかいう話も聞いているから、その影響なんかもあるんだろうか。
昨日買い込んでいた朝食を腹に入れると、そのまましばし原稿入力をしたり、ネットをチェックしたりしながらゴロゴロ。今日はそもそも昼までは予定がない。だから本来はもっと朝寝をするつもりだったんだが・・・。
何だかんだで昼前まで時間をつぶすとシャワーで汗を流してからチェックアウトすることにする。今日は日本センチュリー交響楽団のコンサートが、ザ・シンフォニーホールで午後2時から。何だかんだでホール周辺には12時過ぎには到着してしまったので、もう少しホテルでゆっくりしても良かった。しばしまともな価格の駐車場を探してホール周辺をウロウロ。とにかく大阪にはまともな価格の駐車場がないのが一番の難点。ホールにも駐車場があるがそれがあまりにも高すぎて、しかも最近さらに価格が上げられたようでとても使用できない。ようやく駐車場を見つけるとホール方面に向けてプラプラ歩くが、昨日までの肌寒さが一転して、台風一過の灼熱地獄の再来で目眩がしそうである。暑さのせいかいささか吐き気がする。
とりあえず昼食をどこかで摂る必要がある。いろいろ考えたが結局入店したのは久しぶりの「イレブン」。将棋会館の廃止とかでいずれは閉店と聞いていたのだが、目下のところはまだ営業している模様。日替わりランチ(950円)を注文する。
内容はハンバーグとエビフライ。小さめだが、まあ価格を考えたらこんなもんだろう。可もなく不可もなくである。
昼食を終えるとホールに。ホールは1時の開場直前。全席指定なので待つ必要もないのに行列を作って開場待ちをしている「ああ、日本人」。場内の入りはかなり多くて9割以上入っていて、ほぼ満席に近い状況。久石人気はかなりのようだ。
日本センチュリー交響楽団 第267回定期演奏会
[指揮]久石 譲
[管弦楽]日本センチュリー交響楽団
シューマン:交響曲 第1番 変ロ長調 op.38 「春」
久石譲:2 Dances for Orchestra (管弦楽版 世界初演)
スメラ:交響曲 第2番
一曲目のシューマンはかなりかっ飛びの演奏。やたらに前のめりの印象で、いささかせわしない。また音の粒立ちの仕方などにかなり特徴があり、相当に個性の強い演奏である。音色は色彩鮮やかでキビキビした演奏なんだが、全体的に急ぎすぎでつんのめって感じられてとにかく落ち着かない。これはこれでありなのかもしれないが、やはりシューマンらしいロマンチックさと雄大さがいささかそぎ落とされている印象。
休憩後はまずは久石の自作曲。同じメロディを楽器を変えて繰り返していくボレロのような曲。舞踏のようでありながら一ひねりあるメロディがなかなかに面白い。単調になるのではと思っていたのだが、思いの外音色の変化があって楽しめ、なかなかに盛り上がっての面白い曲。当然のように久石は曲のツボを心得ているから、聞かせ方も上手いし、センチュリーオケもまずまずの対応を見せている。
最後はスメラの交響曲。交響曲と言いつつも、形式通りのソナタ形式があるというわけでもなく、完全に現代音楽に属する。果たして私は大丈夫かの不安があったのだが、現代音楽ではありながらいわゆる無旋律音楽ではないので意外なほどに抵抗がない。むしろ随所で音色の美しさが際立って興味深い。久石率いるセンチュリーのキビキビした色彩的な演奏の効果もあって最後まで興味深く聞くことが出来たのである。
全く馴染みのない選曲にもかかわらず演奏の良さがあってかなり楽しめた。場内もかなりの盛り上がり。なお満場の拍手に応えてアンコールが一曲あったのだが、これがなかなかに良い。恐らく久石の曲と思われ、多分ジブリ。とは言うものの私には何の曲かとんと分からない。曲調的には「魔女の宅急便」かと思ったのだが、全く聞いたことがない。ただこういう甘さを秘めた曲を久石+センチュリーのペアは巧みにこなす。こうして聞いていると、センチュリーはバリバリのクラシックオケでなくて、ポップスオケの方向の方があっているのかもという気もした。そういう意味では最近ドラクエコンサートに力を入れているのは正解か。
今日は京都宿泊
コンサートを終えると京都に移動することにする。明日の最終日は京都市響の定期演奏会である。それに備えて今日は京都で宿泊する予定。
宿泊ホテルだが京都プラザホテルを使用する。以前に一度使ったことのある駐車場付きのホテルである。駐車場はあるし大浴場も完備、近くにイオンがあって京都駅も近いということで条件は申し分ないホテルなのだが、唯一かつ致命的な問題点は、週末の宿泊料アップ幅が非常に大きいということ。京都市響などの日程的に京都宿泊は土曜日が多いのだが、そうなるともろに特別料金とぶつかって高級ホテル化したこのホテルは予算的に使用できないのである。
そのホテルを今回使用できることになったのは、京都府民割を使用したプランが利用可能となったから。これのおかげで宿泊料に駐車場料金込みで5000円、その上に飲食などに使える京都応援クーポンが2000円付くので、実質的に宿泊3000円ということで、ようやく予算内に収まったのである。
以前に宿泊した時には新館の部屋だったが、今回は本館。個別空調完備(これは大きい)だし、ネット速度もまずまず、難点は照明がやや暗めということ(これでシーリングライトだったら完璧)とBSが視聴できないことぐらいか。なお朝食は有料だが、ホテルHPから予約したら朝食が無料で付加してくるという特典がある。
とりあえず部屋に荷物を置くと直ちに外出する。実は京都でまだ予定がある。これから美術館を一カ所回るつもり。
「シダネルとマルタン展 最後の印象派」美術館「えき」KYOTOで11/6まで
19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した印象派の流れを汲む二人の画家、シダネルとマルタン。2人はお互いに親交がありながら、それぞれが独自の画風を確立した。
共に最初は後期印象派的な点描画から始まったが、この頃からやや淡い色彩のシダネルに対して、鮮やかな色彩のマルタンと言う両者の個性は存在する。その後、19世紀末の象徴主義の影響を受けてやや幻想的な絵画となるが、その後に両者が独自の進化をする。シダネルは非常に静寂性の高い絵画へと進み。画面から人物が消え、非常に静謐な絵画へと向かっていく。そのまま落ち着いた窓辺の風景などの作品が増えたのがシダネルの特徴。
一方のマルタンの方はその鮮やかな色彩で人物の存在する風景などを描いていく。またマルタンの大きな仕事としては数々の公共建築の壁画を手掛けたこと。その習作なども展示されているが、非常に精緻に設計していたことが伺われる。マルタンについてシャヴァンヌは「私の後継者が現れた」と評したそうだが、公共建築などの壁画に印象派の画家が起用されることは、印象派の社会認知についても大きな影響を与えたという。なお一般的に点描の画家は大雑把な絵画が多いのだが、マルタンの点描はかなり細かくて絵画自体が精緻であるという特徴がある。
一見した技法には共通項が少なからぬにも関わらず、それぞれ独自の画風を確立した印象派の流れを汲む2人の画家(共に日本での知名度は決して高いとは言えない)を扱った非常に興味深い展覧会であった。なお個人的にはこの両者の絵画には非常に好ましさを感じたのである。
夕食は茶そば
展覧会の見学を終えると夕食を摂ることにする。しかし伊勢丹の飲食店街はいずれもバカ混みでとても入店できそうもない。結局は伊勢丹を出てから「中村藤吉本店」に入店することにするが、そこも待ち客がいる状態で、結局は30分強を待たされる羽目に。
ようやく入店したところで頼んだのは生茶そば(冷)のセット。ややもっちりとしたそばが美味。抹茶の風味というのが正直なところ明確には分からないのだが(私の感覚が鈍いせい)、いわゆる普通の日本そばと違うことは分かる。最初はそのまま少し頂き、次に抹茶塩を少しつけて頂くことでそばの風味が良く分かるが、やはりそばつゆをつけて頂くのが一番好み。またこのそばつゆにスダチを加えると爽やかさが立ってさらに美味。なおこのセットにはデザートの抹茶ゼリーがついており、これもなかなか美味だが、やはりゼリーよりは紀ノ善の抹茶ババロアの方が勝る。
抹茶そばを食べ終わったところで、追加のデザートとして抹茶のかき氷を注文する。これは白氷に抹茶のシロップをかけるタイプで、この抹茶が濃厚で実に美味。後は贅沢を言うなら、もう少しあんこが欲しいところ。
夕食+デザートを堪能して支払いは2900円。先ほどホテルでもらった京都応援クーポンを使用して実質900円である。まずは上々の夕食。
とは言ったものの、実のところは私の腹は先ほどの茶そばごときで満腹になるほど上品なものではない。結局は帰りがてらにイオンに立ち寄って、高木鮮魚店で30%引きになっていた握りずしを買って帰るのである。
こうして京都の夜はマッタリと過ごす
夕食で予定外に無駄に時間を取ってしまった。ホテルに戻ると直ちに仕事環境の構築。
それが終わったところで、先ほど買い求めた寿司を出してきて、夕食パート2。寿司自体はまずまず。
夕食を終えると、とりあえず今日の原稿をある程度まとめておく。そして一息ついたところで大浴場に入浴へ。広い風呂は本当に良い。生き返るような気分である。
入浴を終えて戻ってくるとまたも原稿執筆でこの夜は暮れていく。
この遠征の翌日の記事
この遠征の前日の記事