徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

二日目は「少女たち」展の後に京都市響の記念コンサートへ

翌朝は気持ちよく目覚める

 翌朝は目覚ましをセットした7時半の前に自動的に目が覚める。起床するとまずはシャワーで体を温める。

 一息つくとすぐに朝食へ。朝食はバイキングだが品数もそれなりにあってまずまずの内容。とりあえず朝から食欲があるということは今日は体調は良い。

ビュッフェ朝食は品数が結構多い

 朝食後はしばし原稿入力。昨日の原稿をアップしてから10時にドタバタとチェックアウトする。さて今日の予定だが、京都コンサートホールで開催される京都市交響楽団のコンサートである。京都の秋音楽祭の開会コンサートとのことで、市民の招待客なども招いてのコンサートになる。

 駐車場はホールから若干離れた位置にアキッパで確保している。そこに車を置くと14時開演のコンサートまでしばし自由時間である。この間に京都の美術展を見学しておきたい。地下鉄で烏丸御池を目指す。目的は京都文化博物館。車では極めてアクセスしにくい(周辺の駐車場は超ボッタクリばかり)ということで、ここのところ足が遠のいていた美術館である。実は前回の京都訪問の際に立ち寄ることが予定に入っていたのだが、真夏の京都の灼熱地獄でヘロヘロになって断念した経緯がある。その結果、会期最終日に滑り込むということになってしまった。

京都文化博物館はかなり久しぶりだ

 

 

「発掘された珠玉の名品 少女たち-夢と希望・そのはざまで」京都文化博物館で9/10まで

 星野画廊が収集した明治~昭和期の少女を描いた作品の展示。特徴は無名の画家というか、そもそも描いた画家自身が不明という作品まで含んでいるところ。

 展覧会はいきなり岡本神草が舞妓を描いた有名なデロリとした奇妙な絵から始まる。

岡本神草「拳の舞妓」

 最初は笠木治郎吉の水彩画による精密な少女の絵。当時の風俗を伝えるような感じがあるが、どことなく教科書的な堅さも感じさせる絵である。

笠木治郎吉「花を摘む少女」

 その後はまさに玉石混淆の世界に突入する。浮世絵の流れを汲む作品あり、油絵もありなど百家争鳴状態。その中で一つ目を惹かれる作品があったと思ったら、それは島成園の作品だった。やっぱり他と格が違うのを感じる。

島成園「きぬた」

 

 

 時代が進み大正となるといわゆるデカダンスの奇っ怪な印象の作品などが登場する。先の岡本神草などがまさにこの時代となる。なお甲斐性楠音のこの時期の濃厚な作品と後のもっとおとなしくなった時代の作品の比較などもあって興味深い。

 時代はさらに進むと昭和。ここに来るとキュビズムやフォーヴなど西洋の最新の潮流なども流れ込んできて、まさに種々様々。作家の個性が炸裂する時代となる。この中で目を惹いたのは島崎藤村の息子という島崎鶏二の作品「朝」。技法的に目を見張るというものがとくにあるわけではないが。作品にドラマ性を感じるのはやはり藤村の血か。

島崎鶏二「朝」

 なお渡欧して向こうの影響を受けた画家の作品もまとめられているが、当時の渡欧画家の典型パターンとしてもろに印象派の影響を受けた作品もある。もっとも典型的なのが太田喜二郎の「花摘図」。またキスリングに対するリスペクトというか、オマージュというか、もろに「まんまじゃん」という絵まであったのは笑った。

太田喜二郎「花摘図」

 百家争鳴玉石混淆という魑魅魍魎な展覧会であったが、これはこれでなかなか面白かったのである。

 

 

昼食はカレーラーメン

 美術館を後にするとホールに向かう前に昼食を摂っておきたい。美術館近くのビルの2階にあるラーメン屋「ひゃくてんまんてん」に入店する。注文したのはここの人気メニューと銘打っている「カレーラーメン(950円)」

店は階段を登った2階

 かなり濃厚なシッカリと辛みのあるカレーにラーメンが入っている。スープは実に濃厚なので麺に良くからむ。ラーメンとして悪くないが、どちらかと言えばうどんの方がしっくりくる味ではある。しかしラーメンもこれはこれでなかなか美味い。この暑い最中にサッパリするには良いか。

かなりドロリとしたカレーだ

ストレート麺にもよく絡む

 

 

 昼食を終えると地下鉄でホールに移動する。ホールに入場するとまだ口に若干の辛さが残っていることから、喫茶でペプシを頂いてマッタリする。

 私の席は正面の三階席。まあまあの席である。場内は3階席のサイドに一部空席があるが、それ以外はほぼ満席に近い。一応完売御礼の案内が出ている。

京都コンサートホール

 

 

第27回 京都の秋 音楽祭 開会記念コンサート

3階正面席より

[指揮]広上淳一
[ピアノ]津田裕也
[管弦楽]京都市交響楽団 

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

 一曲目のモーツァルトは冒頭からかなり明るい演奏。オケが冒頭から快活で陽性な演奏を繰り広げる。それを受けての津田のピアノもかなり陽性な印象。津田のその陽性さは第二楽章にも及ぶ。場合によっては葬送曲のような陰鬱な演奏になることもあるこの楽章でも、津田の演奏は叙情性を帯びて美しくはあるが、悲痛な影に支配されることはない。オケの方も同様である。

 そして快活で軽妙なフィナーレはまさに津田の大活躍。自在のピアノが縦横に駆け巡る印象である。そして爽やかに一曲終了である。

 休憩後のメインはマーラーの5番。16型フル編成の京都市響が豪快なパワーで音楽を奏でるが、広上の指揮も初っ端からキレッキレである。かなりドッシリと構えたスケールの大きな演奏で、広上は全身を使ってオケを煽りまくるが、決してテンポの方は煽らない。どちらかと言えばゆったりとした演奏である。例によっての広上流タコ踊りが全開である。

 ドラマチックな第1楽章から、悪魔的に始まる第2楽章、そして一風変わった舞踏のような長大な第3楽章へとゆったりとした調子で音楽は流れるが、京都市響の演奏は終始弛緩することなく緊張感を保ったものである。そして有名な第4楽章。ハープの音に乗せて幻想的で叙情的な音楽が繰り広げられるが、実に胸に迫ってくるものがある。その後、どことなく牧歌的な感覚のある最終楽章。そして堂々のフィナーレである。

 全曲を通じて京都市響の密度の高い弦は濃密な音楽を描き出し、さらに金管陣は冴えまくりであった。広上は京都市響から実に鮮烈な音色を引き出している。場内が爆発的な盛り上がりになったのは言うまでもない。私も久々に広上-京都市響の見事な演奏を堪能したのである。相変わらず、広上はその風貌は全く冴えないし、指揮姿も格好良さからはほど遠いのであるが、そこから繰り出される音楽は時折とんでもなく格好良い。このギャップこそが広上の広上たる所以か。


 コンサートの終了は16時半。2時間半に及ぶ長大なコンサートであった。ホールを出る頃には空模様がやや怪しさを帯びつつあったので、車まで急ぐことにする。幸いにして車に到着するまで雨に降られることはなかったが、高速に乗ってから随所で断続的に豪雨と遭遇。一番ひどい時にはワイパーをハイにしても前が全く見えないという状況になり、速度を落とし目にして前車のテールランプを追いかけるしかないという状況に何度も追い込まれたのである。今回は比較的体調が良くて頭がしっかりしていたから対応出来たが、これが疲労で朦朧運転になっているような状況だったら大事故必至だったろう。結局は帰宅するまで非常に神経を磨り減らす運転を余儀なくされたのである。

 

 

この遠征の前日の記事

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