まずは阪神間の美術館巡りから始めることに
翌朝の起床は7時半。例によって朝から体が重い。とりあえず昨晩書いた原稿をチェックの上でアップすると、体を温めるために朝風呂に入浴。なかなかに快適である。
風呂から上がると昨日ファミマで買い求めた炒飯が朝食。卵炒飯のようであるが、やはりチャーシューなどの具が欲しいなというのが正直なところ。朝食後は慌てて荷物をまとめると、ホテルをチェックアウトしたのが10時。
さて今日の予定であるが15時から西宮でPACオケのコンサートがある。私が注目しているカーチュン・ウォンの指揮でマーラーの5番とのことなので楽しみである。それまでに周辺の美術館を回ることにしたい。
最初に立ち寄ったのは神戸市立小磯記念美術館。「働く人々」というのがテーマの展覧会が開催されている。
「働く人びと:働くってなんだ?日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)」神戸市立小磯記念美術館で12/17まで
最初は戦後すぐぐらいの時代から始まるが、テーマは働く人とのことなので労働運動盛んなりし時代を反映して、新海覚雄の「構内デモ」のようにまさに「立て万国の労働者!」という雰囲気の作品が多々ある。内田巌の「歌声よ起これ」もまさに同じタイプ。ただ画風も画家によって様々。結構古典的なアカデミックな雰囲気の画風の画家から、脇田和や猪熊弦一郎のようにかなりアバンギャルドでキュビズムの影響を受けているような画家まで様々。
次に展示されているのが小磯良平による「働く人びと」である。神戸銀行本店の壁画として描かれたという大作だが、銀行の合併(神戸+太陽→太陽神戸+三井→太陽神戸三井(後にさくら)+住友→三井住友)を経て、現在はこの美術館に寄託されているという。人物はローマのレリーフ彫刻やルネサンス絵画を参考にしたという群像表現であるのに対し、背後の建物にはあからさまにキュビズムの影響が垣間見えるというタイムトリップ的な作品である。スケッチや習作などと共に展示されており、本展の目玉でもある。
次の展示室は「造る人びと」ということで、工場労働者的な作品が増えるがここで展示されている小磯作品は「歩く男」。なぜか私は青木繁の「海の幸」を連想してしまった。
さらに時代が現代となると、やなぎみわの不可解写真などが展示されているが、ここで登場するのが澤田和子のRecurultをテーマした作品。履歴書写真風の肖像が大量に並んでいるが、よく見ると全員同一人物でどうやら澤田自身の姿らしい。就職面接のために誰もが個性を塗りつぶした同じような格好をするのを皮肉っているようである。
さらにインパクトの強い大作が会田誠の「灰色の山」。何やらデカいやまがあるが、よく見るとサラリーマンの死屍累々たる姿である。まさに現代日本の日々仕事にすりつぶされた挙げ句に国に収奪されて屍と化しつつ我々の姿を現している。
最後のコーナーは、小学校の図工の先生前光太郎こと乙うたろう氏の作品。アニメの少女の顔を壺に焼き付けた奇妙な作品群(見方によってグロテスクだ)が展示されている。一応「先生として働いている芸術家」という意味だとか(かなりこじつけクサい)。なお場内の説明に「美術家は多くの場合、作家活動と並行して、学校の教師などの別の側面を持っています」と記してあったが、そりゃ作家活動で食える奴はほとんどいないという意味だけではとも思うのだが・・・。
小磯記念美術館を後にすると、さてどうするかと一思案である。その時に展覧会のチラシが目に入る。この近くのファッション美術館が鉛筆画展を開催しているという。ゆかりの美術館の「さくらももこ展」の方は興味皆無だが、こっちの方は面白そうである。散歩がてらにプラプラと訪問することにする。
ちょうどプラリと散歩するのに最適な道が通っている。やっぱり六甲アイランドの方が、ゴミゴミしているのにやたに空き地の多いポートアイランドより快適なような気がする。
途中で屋台などが出ていて、人集りがあると思ったらハロウィンパレードとか。私はハロウィンには興味ないが、日本人は何かにかこつけて祭りをしたがるようである。しかもその際に本来の趣旨はそっちのけになる。その内にラマダンなんかも取り入れるのではと思ったりする(プチ断食ブームにちょうど合う)。
やがて巨大な建物が見えてきたら、その隣がファッション美術館。ここにはあまり来たことがない。
「超・色鉛筆アート展」神戸ファッション美術館で11/5まで
最近SNSなどで注目を浴びるようになった、色鉛筆を用いた超精細アート作品を展示した展覧会。本展では色鉛筆作家ユニット「イロドリアル」のメンバー6人と、林亮太氏が率いる「トーキョー・イロエンピツ・スタイル」からの6人の作品を展示とか。
いきなり高精細アートに圧倒されるが、なかにはその表現力を生かしたトリックアートなども含まれている。
各人、やはり得意分野があるようで、は虫類を徹底的に緻密に描いた作品とか、風景を緻密に描くものなど、かなり特徴がある。
最近の猫ブームを反映してか、題材として猫を描いた作品も多い。
同じ風景画でも浮世絵の伝統を引く大正版画的な趣のある作品なども。遠近法を駆使して奥行きをやや強調させている。
まあ圧倒される高精細である。それにしても色鉛筆でここまでの絵が描けるとは驚きである。
再びハロウィンパレードの中を抜けると車を回収、さて次の目的地だが、大谷美術館に立ち寄ることにする。
「画人たちの仏教絵画ー如春斎再び!ー」大谷記念美術館で11/26まで
江戸時代に描かれた絵師達による仏画について展示した展覧会。
最初は勝部如春斎による「三十三観音図」を一気に展示、続けて原在中による同じ作品を展示してある。勝部如春斎は狩野派の絵師であるので、背景に狩野派の特徴が現れており、原在中の方は大和絵的特徴があるという辺りが見所のようだが、正直なところ仏画は構図その他のお約束が決まっているので、宗教的文物としてのありがたさはともかくとして、芸術的面白さは今ひとつない。
後半に狩野探幽や白隠などの個性豊かな絵師による仏画、呉春など円山四条派の仏画などのバリエーションが増えていささか面白くはなるが、やはり私としては「ネタが仏画以外だったらな・・・」というのが本音。やっぱり定型的な作品にはどうも興味が湧きにくいのが本音。
ウーン、宗教画はやはり私には相性が悪いか。ありがたい絵画がズラリと並んでいたが、私にはありがたすぎる絵画は芸術作品として面白くない。中世ヨーロッパのキリスト教関係の絵画が面白くないのと同じである。つくづく宗教ネタとは相性が悪いことを痛感する。
昼食は西宮ガーデンズで
さてそろそろホールに向かう前に昼食を摂っておく必要がある。この近くのダイニングキノシタを考えたが、相変わらずの人気で車を止める場所がないようなので素通り、そのままホール近くの西宮ガーデンズに入ってしまうことにする。駐車場に車を置いて入店すると「chano-ma」なる洒落たカフェのような店が目に入る。メニューを見てみると確かにカフェメニューもあるが、いわゆる飯屋メニューもある。最近増えている女性向けのヘルシー和食の店でもあるようだ。正直、私も今日は和食の気分だったので入店することにする。オッサン一人で断られないかと一瞬頭に過ぎったが、別に男子禁制と言うことではないようだ。もっとも店内の客は見渡す限りすべて女性なのでアウェイ感は半端ではない。
とりあえず「季節の小鉢セット(1450円)」を注文。ナスを炊いたものに鳥を添えたものとカボチャのサラダ、さらに魚をサツマイモと甘辛く味付けたものの三品。落ち着いた非常にホッとする味で今の私の状態には最適。ご飯は健康志向で雑穀米。味噌汁は豚の入っていない豚汁という雰囲気だがこれも美味い。やはり健康志向もあってボリュームは少なめ(こういうところが女性向き)だが、日頃のストレスで胃を悪くしている今の私には最適。
昼食を終えたところでホールまで車で移動。この前はこの車で移動したところでホール駐車場が満車だったんだが、今日は幸いにして空きがある。
車を置いたもののまだ開演まで1時間半ほど、このホールはあまりギリギリに来ると駐車場が満車になるし、かといって早く来ると開演までの時間つぶしがしんどい。仕方ないので喫茶でアイスコーヒーを注文して時間つぶし。もっともストローに紙ストローを使用しているようなので、あまり浸けたまま置いていたらストローがグチャグチャになる(喫茶店の長居防止には効果があるかも)。
そうこうしていうる内に開場時刻になるが、慌てて入場しても仕方ないのでしばし時間をつぶしてからホールに向かうことにする。
PACオケ第145回定期演奏会 カーチュン・ウォン×小曽根真 ショスタコーヴィチ&マーラー
指揮:カーチュン・ウォン
ピアノ:小曽根 真
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番
マーラー:交響曲 第5番
一曲目は小編成でショスタコーヴィチのピアノ協奏曲。この曲はピアノ協奏曲と言いながらトランペットとの掛け合いがメインという変わった曲である。なお元々ジャズピアニストの小曽根としては、いつもと当意即妙の即興演奏が売りの一つでもあるのだが、プログラムによると「この曲はあまりに精密に作曲されているので、どう変化させても劣化しかせず、そのまま演奏せざるを得ない自由度の低い曲」だそうである。いつものジャズ調モーツァルトでなく、今回の小曽根はただのテクニックのあるピアニストとしての演奏となる。
そのせいもあってか、小曽根としては「普通の演奏」である。トランペットとの掛け合いの美しさなどは流石。この辺りの呼吸はジャズとも通じるものがあるのだろうか?
場内の拍手はかなりのものだった。小曽根はいきなりピアノの蓋を閉じて「アンコールはありません」という雰囲気のアピールをしたのだが、結局は大拍手に答えて一曲。小曽根自身の作曲による「モーツァルトの昼寝」という曲だそうな。ジャズ調でありながら旋律の美しさが際立つのとトランペットとの掛け合いが印象的な作品である。
後半はカーチュンによる大曲。PACオケも16型の大編成で、一番背後にコントラバス8人がズラリと横列に並ぶいつものカーチュン流対抗配置。これで背後から低音がブイブイと出てくるという形になる。
カーチュンの演奏はとにかくオケの色彩が際立つのが特徴の一つだが、今回は弦の艶と密度がすごい。PACオケの弦楽陣ってこんなにスゴかったっけと驚くレベル。第一楽章からややの抑え目のテンポで濃密な音楽描写が繰り広げられる。管の方も巨大4管編成なのだが、その強力な管楽陣と十分に対抗どころか、それを凌ぐパワーと表現力を出してくる。
そして第一楽章が息絶えるように終了すると怒濤のような第2楽章である。カーチュンはここでもテンポはやや抑え目で激しく荒々しい音楽を差し迫る運命の荒波であるかのような表現をとる。少し気分を変えてまさに角笛で始まる第3楽章は陽性な気分とそれに時々魔が差すという雰囲気で気分の変化が激しい楽章。打楽器陣なども加わっての多彩な音色が特徴で、そういった色彩はまさにカーチュンの真骨頂。
そしてハープが特徴的な「ベニスに死す」こと第4楽章。ハープの美しい音色と高密度の弦楽陣があいまっての夢見心地の境地である。ネットリとしっとりとした実に濃厚な味わい。そして再び角笛が聞こえると最終楽章。美しいところから段々と盛上がり、力強いフィナーレではオケのパワーが炸裂、怒濤の追い込みに久々にまさに「鳥肌が立つ」思いをしたのである。
うわー、流石に凄い演奏が飛び出したなと思っていたら(私も久々に「おぉっー」という声が漏れてしまった)、やはり場内の反応もかなりのものであった。なかなかに熱い演奏であった。それにしてもPACオケってこんなに上手かったっけと驚いたのも確か(まあ助っ人がかなり加わってはいるんだろうが)。やはりカーチュンのオケのドライブ力の高さに感心した次第。なお以前に大フィルを振った時には、結構細かい指示を的確に飛ばしていたのが見て取れたのだが、今回のように若いPACを振った時は、細かい指示を出すよりも大きな指揮で奏者の気持ちを盛り上げることを狙っていたように感じられた。オケの特性に合わせて指揮ぶりを変化させているのだとしたら、恐ろしいまでの対応力である。既に巨匠の風格を感じさせている。
この遠征の前日の記事