展覧会をハシゴしてからウィーンフィルの大阪公演へ
この週末はウィーンフィルのコンサートのために大阪に出ることにする。ただどっちみち大阪まで出るなら、ついでに他の目的も果たしておきたい。というわけで午前中に家を出る。阪神高速は途中で怪しい箇所はいくらかあったが、とりあえず渋滞とまでは行かない状態で順調に大阪に到着する。
ホールの近くに確保していた駐車場に車を入れると、とりあえずは昼食と思ったのだが、考えていた店がまだ開店してなかったので、先に目的の方を果たすとする。向かうのは中之島美術館。
中之島美術館では現在、長沢芦雪展の後期とテート美術館展が開催されたばかり。昨今の物価高騰が反映して共に入場料がやたらに高いのに閉口だが、芦雪展は2回目の場合は以前の半券があれば200円引きに、テート展は芦雪展と同時購入したら200円引きになるので、とりあえずトータルで400円を引いてもらう。
「生誕270年 長沢芦雪 -奇想の旅、天才絵師の全貌-(後期)」中之島美術館で12/3まで
ほぼ全ての作品を入れ替えての後期展示となる。江戸時代を代表する奇想の画家・長沢芦雪の作品を大量展示した大回顧展。
初っ端から圧倒してくれるのは精緻な孔雀図。円山応挙による孔雀図と並べて展示してあり、初期の芦雪が応挙の全てを習得するべく努力していたことが覗える作品である。同様に応挙の有名な「幽霊図」と同じく芦雪による「幽霊図」も並べて展示してあるが、芦雪は応挙の手法を習得しつつ、自身のオリジナリティも微妙に加えてある。
さらに後期の方が犬の作品や猿の作品などが多く、モフモフ度がアップしている。「群猿図襖」などがまさに代表作。猿がまた一種の群像図をなしていて興味深い。なお芦雪のモフモフの描き方は、墨の滲みなどを生かして一気に描き上げているタイプの表現を取っている。やはり墨の扱い方の巧みさが覗える。
メインの大作は、前期の無量寺の「龍虎図」に対して、後期は西光寺の「龍図襖」。無量寺のものがかかなりアップの迫力ある龍を描いていたのに対し、本作はやや引いた構図で龍の全身を描いているのが興味深い。もっとも長々とうねった龍の全身像は、その長さが目立つことで龍という印象が若干弱まり、私の目には龍と言うよりもアスファルトの上でうねりながら干からびたミミズに見えてしまうきらいがあるのであるが・・・。
絵についてはリンク先の公式HPを参照されたし
同時代の奇想の画家との比較である第4部では、奇想度合いでは芦雪をも凌ぐ伊藤若冲の強烈な大作「象と鯨図屏風」が登場するのが印象的。巨大な画面に海のクジラと陸の象という大物を対比的に描いているのが特徴の作品だが、クジラには背びれがあるし、象も実物の象に比べるとあまりに奇っ怪でどことなくモンスター的。この若冲の不思議ワールドにはかなり圧倒されるものがある。
様々な作品を目にして一番最後は、画面からはみ出す巨大な図体を巨大なままに描いた「牛図」の、そこだけ藍を用いたことで一際印象的な蒼い瞳に見送られて本展を終了するのである。
前期も非常に見応えがあったが、後期も若干異なる趣の芦雪を大量に堪能出来て満足である。入場料金がやや高すぎるのが難点だが、それだけの内容はある展覧会である。
「芦雪展」の見学を終えると今度は会場を5階に移動して、「テート美術館展」の方を見学することにする。
「テート美術館展 光 - ターナー、印象派から現代へ」中之島美術館で'24.1/14まで
イギリスのテート美術館の所蔵作品より、「光」をテーマにした作品を展示。18世紀~現代に及ぶ様々な作品を選んである。なお古典的絵画が展示してある横に現代アートが展示してあるなど、かなり特徴的な展示形態になっているが、現代アート作品の多数は著作権絡みと推測されるが撮影不可となっている。
まず最初に登場するのは1826年のジョージ・リッチモンドによる「光の創造」というもろにズバリ光の誕生を描いている作品から。
そしてやはりイギリス絵画となるとはずすわけにはいかないターナーが登場する。ターナーはかなり科学的に光や反射について研究しており(その研究過程を示している作品も展示されている)、その結果を絵画に反映しているらしいが、その結果がなぜこんな曖昧模糊として何を描いているのかが分からない絵画になるのかは、私にはまだ理解出来ない。
ヴェスヴィオ山をモチーフに大スペクタクルを描いたダービーとマーティンの絵画も登場するが、このような劇的絵画はロマン主義の台頭と関連しているとか。マーティンなどは純粋に恐怖と畏怖の感情を引き起こすことを目的としているとか。昔のハリウッドの大スペクタクル映画を連想させる光景である。
次はいかにもイギリス的な風景画、コンスタンブルとリネルが登場。共に自然の光をリアルに描こうとしている。コンスタブルはいかにもの田園風景を描き、リネルはそこから少し外してくるのが特徴とか。
19世紀になるとラファエロ前派が登場。バーン=ジョーンズやジョン・エヴァレット・ミレイなどの代表的画家の作品が展示されている。バーン=ジョーンズはどことなく中世的で、ミレイは流石に美麗な絵である。
19世紀後半になるとまさに「光」を真っ正面からテーマとして捉えた印象派が登場する。シスレーの作品などはいかにも印象派らしく光を感じさせる作品。
さらにモネが2点登場、その他の作品も展示されている。ただ「光」という観点では、ややくすんだ感もあり、先ほどのシスレーほどにはいかにも印象派の強烈な光を感じさせる作品ではない。
そして次は独得の静謐な空気の中にどことなく不気味さも湛えたハマスホイの印象深い作品。ただの静かな室内風景なのに、なぜか悪夢のように脳裏に焼き付くのが謎。
これ以降は現代作品へとなっていく。絵画ではなくオブジェクトが増えてくることになる。その辺りがいかにも現代アートだが、とりあえずは光をモチーフにしている作品を。
その中で絵画作品は、今や現代アートの古典となっているカンディンスキーに典型的な幾何学アートのライリー。何を描いているのかが最早よく分からないリヒターはどことなくターナーに通じるものを感じる。
現代アートはとにかく巨大で動きがあるものが多いが、電灯の明かりを使用したりするのが特徴。中にはそのまんま蛍光灯を並べた作品なんかもあったが、今ならLEDに置き換えられてしまうところ。そんな中で最後に登場した大作「星くずの素粒子」はなかなかに印象的である。
分かりやすい作品に意味不明な作品が入り交じった興味深い展覧会であった。なお私の入場時には券売所はガラガラだったんだが、昼を過ぎた現在は券売所に行列が出来ていた。
展覧会の見学を終えるとコンサートの前に昼食。到着時にはまだ開店していなかった「ちいやん食堂」を訪ねる。
注文したのは1日食べられるという日替わり定食の1日定食。本日のメインは鳥からの甘酢あんとのこと。野菜の多い和食で、私のような年配には優しい内容(多分女性も喜ぶ)。味付けも嫌みがなく、具だくさんの味噌汁が美味い。量的にも今の私には多すぎず少なすぎずでちょうど良い(若い頃なら不足だったろうな)。
昼食を終えるとホールへ。赤絨毯にはもうクリスマスツリーが。しかしどうもまだそんなシーズンという実感はない。それにどうせ私の中ではクリスマスはとうにオワコンだし。
到着時には開場5分前とのことだが、既に入口前には行列である。流石に客も多いし、皆妙な気合いが入っている。
私の席は3階席の一番奥。毎度毎度料金的にこの席しか手が出ず、ウィーンフィルの時の指定席のようになっている。ただこの奥の席でも見切れにならないのがフェスティバルホールの良いところである。その代わりに3階席は段差がキツくて怖いが。
ホール内は見渡したところほぼ満席に近い。指揮者がフランツ・ウェルザー=メストからトゥガン・ソヒエフに変更になったことでキャンセルなども出たようであるが、その分もどうやらその後に売れたようである。ちなみに私は指揮者がトゥガン・ソヒエフに変更になったことで、むしろより面白い演奏が聴けるのではという期待もある。
大和ハウス Special トゥガン・ソヒエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮/トゥガン・ソヒエフ
ピアノ/ラン・ラン
サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品22【ピアノ:ラン・ラン】
ドヴォルジャーク:交響曲第8番 ト長調 作品88(B 163)
一曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲。知名度は高いとは言い難い曲であるが、いかにもフランスの作曲家らしい華やかさのある曲である。
それをラン・ランはいきなり軽やかに煌びやかに弾き始める。なかなかにテクニックが正面に出た華麗な演奏であるが、決してテクニックだけを誇る演奏ではない。
ある意味で一番ラン・ランらしさが出ているのは第二楽章だろうか。スロー気味な旋律に合わせて非常に甘い音楽を展開する。明らかに女性を一撃でウットリさせるようなイケメンピアノである。聞きながら思わず「スゲぇな。失神する女性が出かねんわ」と感心することしきり。
最終楽章は華やかな音楽の盛り上がりに合わせての堂々たる演奏。これがまた格好いい。先ほどの楽章が女殺しなら、この楽章は男までグラッと来かねない格好良さ。
さてここまでフランス流というか、ラン・ラン流の音楽を繰り広げられると、音色の美しさは一級品だがいささか地味な感のあるウィーンフィルがどう対応するだろうかと注意していたんだが、どうしてどうしてソヒエフがウィーンフィルから見事にフランス的な華やかな音色を引き出してラン・ランを全面サポート。これには感心することしきり。
ラン・ランのアンコールはリストの愛の夢第3番と、もう最初から女殺しである。オケの枷が外れたのでもう徹底的に甘美に歌いまくる。思わず「こりゃスゴいわ」と声の出てしまうところ。終始、ラン・ランのジゴロぶりが炸裂したのである。
さて後半は図らずしも先日のチェコフィルと同じドボ8である。ビシュコフ指揮のチェコフィルは超ボヘミア風味のまさに田園交響曲だったのであるが、ソヒエフ指揮のウィーンフィルはいかなる演奏を繰り広げるか。
ソヒエフは最初からかなり派手目の演奏を開始する。開始早々ボヘミアの森が眼前に広がったビシュコフとは根本的に異なる。まるで冒険活劇か何かのように華やかで目まぐるしい音楽である。ソヒエフについては以前から「まるで映画音楽か何かのようにドラマチックに演奏をする」という印象があったが、まさにそれがそのまま出ている。さながら田園地帯を舞台にしたアドベンチャー映画という趣。さすがにウィーンフィルのアンサンブルはソヒエフがどれだけ煽ろうが捲ろうが、ビクともしないのでソヒエフもノリノリで自らの表現意図のままに任せている印象。
第二楽章は極めて濃厚なロマンス。やっぱりソヒエフの表現はかなりロマンティックである。下手すりゃド下品になりかねないところなんだが、そこは流石にウィーンフィル。ウィーンフィルが奏でると六甲おろしでさえ高尚な芸術になるというオケだけに、ソヒエフが遺憾なく自身の表現を取っても決して粗にも卑にもならず、非常に濃厚な美しさが漂うことになる。
そしてさらに甘美な第三楽章を経て、乱痴気騒ぎの最終楽章へ。これがまたソヒエフがノリノリ。クライマックスでの猛烈な煽りは、ウィーンフィルでなかったら空中分解しかねないという凄まじいものであった。
チェコフィルのものとは全く方向性が異なるタイプの熱い演奏が飛び出した。ウィーンフィルを駆使してこういうサウンドを弾き出すとはさすがにソヒエフ、只者ではない。場内大盛り上がりでアンコールは「雷鳴と稲妻」に「トリッチ・トラッチ・ポルカ」とどちらもややアップテンポ気味の曲を選んだのがソヒエフらしいところ。ソヒエフがノリノリで、通常のいささかおすましした印象のウィーンフィルでなく、今回はかなりノリの良いウィーンフィルを堪能。
アンコールを2曲を経ても場内爆発的盛り上がり、結局はそのまま鳴り止まぬ拍手にソヒエフの一般参賀。大阪でも久しぶりに盛上がったコンサートとなったのである。