徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

関西フィルの定期演奏会でデュメイのベルクを聴く

ベルリンフィルに行く金のない私は、関西フィル定期で

 現在、ベルリンフィルが来日して公演を実施中で、この週末は関西での公演が行われるところである。そこで私はそこに出向いて・・・という財力は全くない。既に最安チケット(それでも2万である)争奪戦に早々と敗れてベルリンフィルはパスという状況。

 この週末は関西フィルの定期演奏会に出向くことになっている。今回はデュメイが来日ということなので、それなりに中身の濃いコンサートが期待出来る。そこで土曜日は午前中に家を出て、途中で美術館に立ち寄ってからゆったりと会場入り・・・というスケジュールを立てていたのだが、何と土曜日に目が覚めてみたらもう既に昼頃。これにはぶっ飛んだ。今週はとにかく心身共にやけに疲労していると言うことは感じてはいたが、どうやら極限まで来てしまっていたようである。慌てて起き出すと何も腹に入れる余裕さえなく飛び出す。当然のように事前に立てていた計画はすべてすっ飛ばして大阪のホールへ直行である。

 いつも魔物が潜んでいる阪神高速はまさかの事故渋滞発生で途中で焦ることになるが、土曜の昼間という本来そんなに通行量が多いわけでない時間帯が幸いして、致命的な遅れにはならずに現地に到着する。駐車場に車を放り込んでからホールの前を通りかかったときにはちょうど入場が始まったぐらい。とりあえず入場前に昼食を摂る時間ぐらいはありそうだ。やはり空きっ腹を抱えて走ってきたので、腹に何かは入れておきたい。

ホールは既に入場が始まっている

 

 

昼食はイレブンの看板メニューを

 頭に浮かぶのはそばか寿司か。しかしそれではあまりに芸がない。そこで久しぶりに「イレブン」に立ち寄ることにする。ランチでも良いんだが、ここは久しぶりにここの看板メニューでもある「珍豚美人(ちんとんしゃん)」を注文することにする。

久しぶりの将棋会館の「イレブン」

 トンカツならぬ豚の天ぷらで、そこに特製のタレをかけてあるメニュー。藤井聡太八冠のかつての勝負飯として知られる。将棋会館が高槻に移転して、この店もそちらに移転するという話もあったようだが、結局は店は残留した模様で、藤井八冠が勝負飯との別れを惜しんだという噂が。とりあえず私としては、店が残留してくれたおかげで未だにこれを食べることが出来るのであるが。

看板メニューの珍豚美人(ちんとんしゃん)

 トンカツでなくて天ぷらなのであっさりと軽めというのがポイント。それが軽くなりすぎないようにバランスを取るのが特製のタレ。これの相性が抜群である。なかなかに満足のいくランチであった。

 

 

 昼食を終えるとホールへ。ちょうどゾロゾロと入場口に向かって行っている状態だったのでそれについていく。

ホールにゾロゾロ

 ホールの入りは7割ぐらいか。どちらかと言えば会員席に空きが目立つ印象。カティン効果で大入りだった前回とは比べるべくもないが、本来の関西フィル定期公演の入りに比べても若干少なめ。やはり曲目がやや渋めであったのが影響したか。それにしても関西フィル会員は意外とデュメイには執着していないんだろうか?

一曲目のバッハのためにチェンバロがスタンバっている

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 第342回定期演奏会

[指揮&オーボエ]アレクセイ・オグリンチュク
[ヴァイオリン]オーギュスタン・デュメイ
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

J.S.バッハ:オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調 BWV.1060a
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:交響曲 第3番 イ短調 op.56 「スコットランド」

 一曲目はオグリンチュクのオーボエとデュメイのヴァイオリンを中心に、関西フィル室内アンサンブル構成(6-4-3-2-1型)でバッハ。関西フィルには比較的珍しいバロックメニューとなる。

 やっぱりソリスト同士の絡みが上手いのは当然であるが、関西フィルもまずまずの渋い音色でキチンとしたバロックになっていく。今期から鈴木優人が指揮者陣に加わったこともあって、関西フィルの音色もまた変わっていきそうである。たまにはこういう音楽も気分が変わって良い(正直なところ、こういうのばかりだと私は厭きるが)。

 二曲目は一転してデュメイをソリストに据えてのベルクの怪奇な協奏曲。ヴァイオリン協奏曲であるが、そこにハープとサクソフォンが絡むという構成。こういう曲はソリストの技倆が問われるのであるが、そこのところは流石にデュメイには余裕綽々である。

 一方でこの奇っ怪な曲でもデュメイの演奏にかかると、「ある天使の想い出に」と題されているこの曲のレクイエムとしての側面が浮かび上がる。この曲は18才で亡くなった少女に捧げると共に、この同じ年に亡くなるベルク自身に対するレクイエムでもあったという。それだけに奇っ怪でグロテスクな響きの奥に切ない哀悼の想いが潜んでいるのであるが、それがデュメイによって正面に引き出されることで、分かりやすくもあれば聞きやすくもあり、この曲の真の美しさというものも見えてくるというものである。

 関西フィルは一丸となってオグリンチュクの指揮の下でデュメイの演奏を盛り立てるべく奮闘していたという印象。おかげでなかなかに感動的な演奏と相成った。

 

 

 後半はオグリンチュクの指揮でメンデルスゾーンのスコッチ。スコッチは先に尾高の大フィルのメンコンがあった直後だが、オグリンチュクのアプローチは尾高に輪をかけてロマンチックよりアプローチ。尾高はロマンチック要素は加えながらも、古典的整然さを保っている演奏であったが、オグリンチュクは捲るわ溜めるわで「ロマンチックが止まらない」である。

 独自の微妙な溜などが随所に出るので、アンサンブルが微妙に狂いかける局面などもあったのだが、そういうのはお構いなしに表現優先という印象。第一楽章などは怒濤の捲りなどもあって、超ロマンチック演奏が展開される。こういう演奏をされるとこの曲の第一楽章は大悲劇に聞こえてくるから驚きでもある。

 そして軽いスケルッツオの第二楽章はややアップテンポで、そして第三楽章はかなりメランコリックである。そして怒濤の最終楽章へ。

 結構アクの強い演奏ではあったのが、不思議と悪趣味とか下品という印象にはつながらなかった。ここまでロマンチックなメンデルスゾーンも、特にこの曲の場合はありと言えばありだろう。なかなかに興味深い演奏ではあった。