まずは奈良の美術館へ
翌日は目覚ましをセットした7時半の直前に自動的に起床する。これを一人で使うのは申し訳ないよなと感じるぐらいの広いベッドで爆睡したのであるが、年のせいかそれだけでは疲労は完全には回復せず、朝から体が重い。そこでとりあえずシャワーで体を温めることにする。
ようやく体が動くようになったところで朝食。このホテルは現在改装中でレストランが使えず朝食がないので、朝食は昨日に近くのスーパーで買い求めた4割引にぎり寿司になる。
朝食を終えるととりあえず朝風呂である。正直なところ、遠征で何が楽しみかというと大抵はこれになる。温泉旅館なんかで美味しい朝食を食べてから朝風呂でマッタリなんていうのは至福の時なのだが、貧困化著しい私にはもうそんなことは一生涯無理かもしれない。
入浴後は原稿作成と一昨日の記事のアップ。その辺りを済ませたところでそろそろ荷物をまとめてチェックアウトすることにする。と言ってもスーパーホテルはチェックアウト手続きはなく、ドアに「チェックアウトしました」の札を貼り付けてホテルから出るだけである。とにかくこの辺りは徹底して省力化しているホテルである。
さて今日の予定は大和郡山での奈良フィルのコンサートだが、その前に県立美術館に立ち寄るつもり。というか、奈良に来た主題はむしろこっちの方で、奈良フィルがついでの付け足しである。車の方は13時までホテルの駐車場に置いておけるので、その間にバスで美術館に向かうことにする。奈良の中心部は車がある方が動きにくい。
駅前から東大寺方面行きのバスで県庁前へ。目的の美術館はここからすぐ。それにしてもこの美術館を訪問するのはかなり久しぶりである。
「漂泊の画家 不染鉄」奈良県立美術館で3/10まで
放浪の画家とも言われる不染鉄の回顧展である。不染鉄は僧侶の息子として生まれ、若い頃に「自由に生きることが出来る」という考えから画家を目指したと言うが、それに行き詰まったのか突然に伊豆大島に渡って漁師になったりなど、かなり唐突な行動をしている。その後、京都市立絵画専門学校に入学して再び画家を目指しての訓練を始める。その頃には上村松篁などと交友があったという。その後、大戦下の画業が圧迫される時代を経て、戦後には奈良に中学校の理事長として招かれるなどをして、晩年は画壇を離れて悠々自適の生活を送ったという(この頃の話を聞いていると、どこか仙人じみた感覚がある)。
彼の作品を見たときに、圧倒されるのはその描写の克明さである。ただし、その克明な描写はいわゆる写実とは異なり、心の中にある風景を配したと思われる幻想性を帯びた絵画になる。彼自身は古典的絵画に学んだとのことであるが、ある意味で非常に絵巻的絵画であることを感じさせる。
精神の自由性を強く感じさせる作風であるが、その中には漁師生活を送っていた伊豆の風景がかなり原風景として焼き付いているようである。さらにそこに当時は長閑な寒村の風情のあった奈良の風景も結びついて、どことなく懐かしくも幻想的な風景を形成している。
かなり独得のインパクトの強い絵画であるが、いわゆる今時のアートのようなインパクトだけで中身がない作品と異なり、非常に深い精神性を感じさせるのが最大の特徴でもある。何かその静けさの中に強烈に引き付けられる独得の魅力を持った作品である。
不染鉄については、何かの機会に彼の作品を目にしたときに、その強烈なインパクトに魅せられてその名が記憶に残っていたので、この際だからとわざわざ奈良まで出向いてきたというのが実際のところである。確かにそれだけの価値を感じさせる非常に濃い展覧会であった。
お昼は葛メニュー
展覧会の見学を終えるとJR奈良までバスで戻ってくる。そろそろ昼時であるが、立ち寄る店は決めている。かなりしばらくぶりの「天極堂」に入店。葛を使った「極パフェ」を頂く。
このパフェは葛入りのソフトやアイスがシッカリしていて融けにくいのもポイントだが、中に入っているのが、寒天でなくてくず餅なのがポイントが高い。実に美味いパフェである。
パフェを堪能してしばしマッタリしたところで、面倒なので昼食も済ませることにする。「吉野葛うどんセット」を注文する。吉野葛の入った出汁が麺によくからむ上に熱々。猫舌の私は少し冷ましてからでない食べられないぐらい。出汁が麺によくからむので、かなりあっさりした出汁にも関わらず、それでも食べられるという一品になっている。
うどんを食べ終わるとデザートはできたてのくず餅。プルプルでたまらない。一度これを食べると、そこらのくず餅を名乗っている代物は、似ても似つかない偽者と分かる。
本物の葛を使用していますとのアピールのため、レジ横には葛根を置いてある。こうしてみると本当に根っこである。ジャガイモなどに比べると得られるデンプン量などが少ないことから、最近は一般的にくず粉やわらび粉として売られているものも、大抵はジャガイモデンプンが原料の紛い物ばかりになっている。こういう本物は貴重である。
大和郡山城の見学をする
昼食を堪能したところで、駐車場に移動すると車に乗り込んで大和郡山に移動である。奈良から大和郡山はすぐそこ。渋滞がなければ10分ちょっとと言うところか。目的地であるホールは大和郡山城の旧三の丸にある。駐車場に車を入れた時点で開演まで2時間程度ある。この間に隣の大和郡山城を見学することにする。
大和郡山城は大分前に1度訪問したことがあるが、その時は内部があちこち工事中で天守台などは登れなかった上に、時間の制約があったのでかなり駆け足の見学になった記憶がある・・・と思ったら、当時の記録をひっくり返したら、どうやらトランクを引きずりながらの見学だったらしい。そりゃどう考えてもまともな見学なんて出来ていないはずである。そこで改めて見学することにする。
ホールのすぐ向かいにある大きな石組みは、かつての桜御門跡とのこと。これは絵図などから見ると三の丸の入口の門だったようである。
現在は三の丸の西端を近鉄の線路が走っている状況にあり、その向こうに広大な堀があって二の丸が見えている。とりあえずは近鉄沿いに南下、鉄御門のところまで移動する。
鉄御門は三の丸から二の丸に入る門であり、現在は近鉄の線路になってしまっているところが元来は堀で、橋を渡って門にたどり着くことになっている。名前からすると恐らく鉄板貼りの巨大な門だったのではと推測される。
ここで道が折れていて先に進むと二の丸と本丸の間の巨大な堀が正面に見える。
そこから西に進むと竹林橋があり、柳澤神社となっているのが本丸。今ではここは土橋になっているが、往時には木の橋でいざという時には落とすようになっていたのではと推測する。
柳澤神社となっている本丸には続百名城の石碑がある。この神社の場所にはかつては本丸御殿があったのだろう。
神社の奥が天守台である。ここに往時は五層の天守が建っていたとされる。天下人の秀吉の弟である秀長が治めにくいとされた奈良の地を治めるために築いた堅城だけに、やはり立派な天守で辺りにその力を見せつけていたのだろうと推測する。
以前の訪問時にはこの天守の上には上がれなかったのだが、今は工事が完了していて上がることが出来る。ここから見渡すと城の全域の構造が良く分かる。本丸の周囲をグルリと二の丸が取り囲む構造となっている。
西の方の曲輪はかつての訪問時には学校が建っていたと思うのだが、今は公園に整備されているようである。ただ城址公園として整備するなら、贅沢を言えば復元武家屋敷の一軒ぐらいは欲しいところである。
本丸の見学を終えると木製の極楽橋を渡って二の丸へ。この橋は比較的最近にかけられたものと思われ、かつての私の訪問時にはなかったのではなかったと記憶している。
二の丸には柳沢文庫があるが、残念ながら現在は展示の入れ替えのために休館中とのこと。
ここから北に降りていくと追っ手門のところに出る。立派な櫓門であり、ここがこの城の建造物としては一番の見所。
それを抜けると右手に見える風情のある建物が城址会館。明治時代に奈良県庁の向かいに図書館として建築された建物の一部を昭和になって移築したらしい。文化センターとして使用されていたが、最近になって三の丸に文化ホールが新築された(私が今日、コンサートに来たところである)ので、現在はお役御免になっている模様。内部の見学が可能なので入ってみたが、出土した瓦が展示されていた。
後は二の丸の北側をふらりと西の方まで回ってみる。この辺りは付近の住民の格好の散歩コースとなっているようで、散歩中の中高年を結構見かける。
これで大和郡山城の見学は終了。さすがに天下人の弟が整備しただけあって、かなり立派な城であった。続百名城への選定も整備の起爆剤になっている模様だし、地元としてはこれで観光開発が出来れば万々歳だろう。私はここのところ完全に欠乏していたお城成分を久しぶりにふんだんに吸収出来てお腹いっぱいである(笑)。
ホールへ移動
大和郡山城の見学を終えるとホールに戻ってきて、開場までしばし待つことになる。しかしロビーのベンチは既に大量の老人に占拠されているし、喫茶も満席とのことなので、駐車場に行って車の中で時間をつぶすことにする。
開場時刻が来ると大ホールに入場。大ホールは1000人ほど入れる規模のものと聞いていたが、一階席の奥行きがやけに短い印象を受ける。どうやらステージ拡張のために、一階席の前部の座席を6列ほどもつぶしているようである。元々のステージが結構狭いホールの模様。その辺りは音楽専用ホールでなくて多目的ホールである所以か。
奈良フィルは一応は日本オーケストラ連盟準会員のプロオケである。とは言うものの、その認知度は近畿内でもかなり低く、マニアでさえプロオケとして認識していない者が少なくない。また今回在阪4オケ+京都市響+PACオケの近畿6オケに拡張された4オケ企画でも明らかにその存在が無視されてしまっている。
このオケを私が以前に聞いたのは2016年とかなり昔で、その時は奈良県文化会館での公演だったが、ホールの音が飛ばない音響特性にもかなり阻害されて、今ひとつ冴えない演奏という印象が残っている。今回はどうであろうか。
奈良フィル ニューイヤーコンサート2024
指揮 : 粟辻 聡
ナビゲーター : 喜多野 美宇子
ソプラノ : 大原 末子
テノール : 坂東 達也
合唱 : 奈良フィルハーモニー混声合唱団
[第1部]シュトラウスファミリーのポルカ特集!
トリッチトラッチポルカ アンネンポルカ
鍛冶屋のポルカ 観光列車 ピッツィカートポルカ
狩のポルカ クラップフェンの森で 雷鳴と稲妻
[第2部]オーケストラと歌のハーモニー
美しく青きドナウ/J.シュトラウス2世
フィンランディア/J.シベリウス
オペラ「椿姫」/G.ヴェルディより ”第一幕前奏曲”
”花から花へ〜ああ、そは彼のひとか”
”燃える心を〜ああ、自責の念が!” ”乾杯の歌”
新年コンサートらしく、前半はシュトラウスファミリーによるポルカ集から始まる。奈良フィルは8-7-5-4-3編成という小型なオケであるが、小型が幸いしてかなかかなにまとまりの良い演奏をしている。ただこのような小型オケの場合はパワー不足が気になるところ。以前に聞いた奈良県文化会館での公演の時には、無駄に大きい上に音響効果が劣悪なホールのせいで、かなり非力さが際立つ結果となってしまっていたのだが、ここの場合はホール容積がちょうどオケとマッチしており、良い具合にホールが鳴っていた。
以前に聞いたときには弦楽陣のまとまりに難を感じたのだが、今回聞いた限りでは確かに奏者の技倆にバラツキがあるのは感じるが、まとまり自体にはそう悪さを感じなかった。元気にガンガン行くタイプの曲調ばかりなのも幸いしていたか。
一方、粟辻の指揮ぶりはかなり独得。感情を身体で表現というか、かなりクネクネとした下手をすればお笑い寸前の動作。まあ今回のようなお祭りの場合はそれでも良いが。
後半の第2部は、コーラスとソリストを加えての歌メニューになるが、やはり気になるのは奈良フィルハーモニー混声合唱団があまりに素人丸出しであること。男声陣は人数が極端に少ない上に平均年齢がかなり高くパワー不足が否めないし、女声陣はバラバラでまとまりがなくいわゆるママさんコーラス状態。正直なところ極めて精彩を欠く歌唱に終始した。
ソリストの大原と坂東は流石に安定感はある。ただ大原はやや線が細いタイプのソプラノで椿姫にはいささか押しが足りない。一方当初出演予定の藤岡晃紀のインフルエンザで急遽の代演となった坂東は、代演を思わせない安定感のある歌唱でなかなか聞かせた。
寸劇的なやりとりも含んだ楽しいコンサートは、最後はお約束のアンコールのラデツキー行進曲で幕を下ろした。なかなか盛上がったコンサートであった。
終演すると駐車場まで走って車に飛び乗る(ここの駐車場は収容台数がそこそこあるのに、出場ゲートは一箇所でしかも出場時にゲートで精算だから、大混雑が必至)。そのまま長駆して帰宅となったのである。
この遠征の前日の記事