徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

鳥取城の高石垣を堪能する

数年ぶりの鳥取城へ

 翌朝は6時半に起床。目が覚めるととりあえず風呂へ。朝からしっとりとした湯が体に染みる。ところで県庁所在地の自治体に温泉街があるのは青森の浅虫温泉、松江の宍道湖温泉、松山の道後温泉などの例があるが、県庁所在地の駅から歩いて行ける範囲に温泉街があるというのはかなり珍しい。

 風呂から上がると朝食へ。朝食はいわゆる普通の旅館の和定食だが、なかなかに美味い。朝からしっかりと活力を補う。

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朝の和定食

 朝食を摂ると部屋に戻って10時のチェックアウト時刻まで部屋で原稿執筆。昨日の旅行記をアップすると共に教ドキュの方の原稿も執筆する。なんだかんだで気が付けばチェックアウト時刻近くになっている。慌てて荷物をまとめるとチェックアウトする。

 さて今日の予定だが、とりあえずは鳥取城に立ち寄るつもり。久しぶりに鳥取城に向かって走る。腰の具合によってあわよくば本丸攻略なんて頭もあったのだが、目の前にそびえ立つ久松山を見た途端に「これは無理」と判断する。思っていた以上に高い。こりゃ秀吉がまともに武力攻略でなくて兵糧攻めを図ったはずである。今の体調で無理やり登ったら腰が抜けるか足が終わるか。まだまだこれからの予定があるのにここで壊れてしまうわけにはいかない。

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そびえ立つ久松山に本丸登頂を断念

 駐車場に車を置くと、鳥取城の見学前に鳥取県立博物館に立ち寄ることにする。

 

鳥取県立博物館を見学

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鳥取県立博物館

 博物館は常設展のみ。まずは博物展示で、目玉はナウマンゾウの標本などか。後はどこの考古博物館でもある化石や鉱物の類。考古展示プラス生物展示となっている。

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化石及び鉱物類の展示室

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ナウマンゾウの標本

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生物標本の展示室

 これ以外にも歴史展示と美術展示がある。歴史展示はお約束の鳥取の歴史について。それが石器時代から始まり、近代は池田氏による鳥取藩辺りまで。絵画の方は地元ゆかり画家の類だが、あまり印象に残る作品はなし。

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博物館向かいの仁風閣

 

鳥取城に登城

 博物館の見学を終えると鳥取城の見学に入る。高石垣が多いのが圧倒される。ただその石垣の傷みが激しいのも気になるところ。実際に一部では石垣の補修工事がなされている模様。

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現存の門

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高石垣は傷みも目立つ

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手水鉢を埋め込んだ石垣

 二の丸の北側から回り込むが、こちら側は防御を固めるために登り石垣が存在する。この傾斜にこの登り石垣があればこちらからの侵入は困難だろう。

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二の丸北の登り石垣

 二の丸は広い曲輪であり、山頂の本丸がいざという時のお籠り施設であることを考えると、ここが城郭の実質的メインの曲輪と考えてよいだろう。実際に江戸時代には藩主に御殿があったという。そしてここに御三階櫓が存在した。これは実質的に天守である。今は櫓台だけが残っている。

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広い二の丸

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中央部の御三階櫓の櫓台

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櫓台上

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仁風閣を見下ろす

 

 二の丸から表御門跡を抜けてさらに南に進むと天空丸の下に出てくるが、この天空丸が麓の曲輪の中では最高所にある曲輪。ここの高石垣が見事であるが、高石垣であることが祟ったのか、経年劣化で石垣が孕んできたので、それを抑えるために組まれたのが非常に珍しい巻石垣である。高石垣にコブが付いたような異様な姿となっているが、これはここでしか見られない独特の構造。ただどう考えてもこの付けたしは石垣の防御能力を下げていると思われる。本来なら石垣を積みなおすのが筋だが、それをしようと思うと上の建造物も撤去してから作業する必要が出る。天下泰平の江戸時代にはそのような大規模補修を行うよりは、予算を削減して外から石垣を抑え込むことにしたと思われる。

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表御門跡

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天空丸下の巻石垣

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南側はかなり切り立っている

 この天空丸に上がる道はそのまま山上の本丸へ登る道でもある。「熊目撃情報」なんて物騒な看板まで立っているが、どうせ今日は上まで登るのは断念している。

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山上に向かう道には熊注意の表示

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天空丸もかなり広い

 天空丸から巻石垣を見てみると、やはりその頂上がそこにあり、明らかに石垣の防御能力を落とすことになっていることが分かる。補修のための窮余の策なんだろう。

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上から見た巻石垣

 天空丸の南の隅には櫓が立っていたとのことで、礎石跡が見つかっている。なおここがこの城の南端となるのだが、とにかく急峻である。

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櫓の礎石跡

 これで鳥取城の麓部分の見学は終了。それにしても立派な石垣の連続でため息が出た。石垣フェチの私としてももうお腹いっぱいである。おかげで山上の本丸は放棄したのに満足感が高い。もっとも山上まで登らなかったにもかかわらず、結構歩くことになったので足腰には確実にダメージが来ている。とりあえず次の目的地に向かうことにする。

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