翌朝の目覚めはあまり良くなかった。やはり睡眠力が落ちているのか、4時頃に一旦目が覚めて、その後は浅い眠りでウツラウツラとする状態。おかげでトランプがアメリカ大統領になって、その愚かさのせいで世界を滅ぼしてしまうというリアルな悪夢を見てしまった。それにしても奴はFBI長官にいくらつかませたんだ? 自分が選挙で負けたら不正選挙なんていうとんでもないことを主張するなと思っていたが、つまりは自分が不正な手段を平気で駆使するからそういう発想になるんだなと納得した。人間は常に自分を基準に世界を見るものである。だから悪意に満ちた人間は世の中のすべての人間は欲だけで動いていると考え、善意に満ちた人間は悪意のみで生きているような輩がいることを信じられないのである。
シャワーで目を覚ましてホテルをチェックアウトしたのは7時過ぎ。今日は新大阪から特急ひだで高山に向かうつもりである。単純に時間を考えると名古屋まで新幹線で行ってから特急ひだの方が早いのだが、このルートを選んだのは旅費の節約。最近はアホノミクスのせいで私の経済状況も悪化しており、軍資金がかなり不足気味である。
特急ひだで高山を目指す
新大阪駅で朝食用と昼食用の弁当を買い込むと特急ひだに飛び乗る。最近はサンダーバードもひだも在来線特急はすべて車内販売がなくなってしまったので不便である。
新大阪に到着したのは4両編成のディーゼル特急。新大阪からひだにのる乗客は数人。京都までは車内はガラガラである。京都で大量の乗車があると列車は岐阜を目指す。
重くてかったるい走りにウトウトしているうちに岐阜に到着。岐阜では一旦3番線に入って乗客の乗り降りを行ってから、逆方向に戻って4番線に入り直してから名古屋方面からの列車と連結というかなり手間のかかることを行う。こんな面倒なことをする理由は不明。
10両編成に増結した特急ひだは高山本線を進むことになる。立体交差で東海道線の下をくぐると列車はまっすぐ東進する。名鉄との乗換駅でもある鵜沼を過ぎると木曽川に沿って進む。美濃太田から先は深い山間の川沿いを進む単線路線。途中で対向車との待ち合わせなどもある。こうなると対抗列車の遅れなどがこちらにも影響してくる。
そうこうしているうちに11時になったので、昼食に新大阪で購入した弁当を出してくる。桜島鶏の照り焼き弁当という岐阜には何のゆかりもない弁当だが、これがなかなかうまい。
下呂温泉には6分遅れで到着。空は晴れているのになぜか結構な雨が降っている。やはり山間の気象は分かりにくい。
高山へは後1時間弱で到着。高山は晴れているのだが断続的に雨が降るやや不安定な天候。さてこれからの予定だが、駅レンタカーを予約しているので車で近隣の山城を訪問する予定。駅レンタ事務所は駅前のトヨタレンタカー内。貸し出されたのは例によってのヴィッツ。
三仏寺城 悲劇の舞台となった中世の山城
最初に立ち寄ったのは三仏寺城。築城年代は明らかではないが、中世から存在した城のようである。1182年に木曽義仲が攻め込むが、城主の平景家は4人の息子と共に京に上っていて不在、次男景綱の息女である鶴の前が城兵を指揮して戦ったが落城、鶴の前と景家の室阿紀伊の方は行方不明となったという。鎌倉時代には地頭の藤原朝高らが在城、戦国時代に三木氏の所有となるが、武田軍による飛騨攻めの際に城主の三木直弘は戦わずに火を放って引き上げたために廃城となったとのこと。
歓喜寺のところから登山道が出ているので、お寺の駐車場に車を置いて登っていく。遠くから見たところ大した山でもなかったようなので、十数分ぐらいで登れるだろうと見繕う。リハビリ登山としては手頃なところである・・・と皮算用していたのだが、情けないことに十数分どころか3分で息が上がってしまったのである。
ここのところの運動不足と体力の低下は自覚はしていたが、まさかここまでとは。山道10分程度なら大丈夫だろうと思っていたのだが、実はウルトラマンと同時間しか戦えない体になってしまっていた。これはかなり深刻。
結局は途中で何度も立ち止まりながら、ヘロヘロになりつつ十数分で出丸に到着する。しかしここでしばし動けなくなる。心臓はバクバクいって今にも止まりそうだし、まずいことに吐き気がする。これはかなり重症。しばしの休憩を余儀なくされる。
出丸は城の一番手前にあるわけだが、残念ながら見晴らしはあまり良くない。ここからは背後に削平地が連なっている構造。一番大きい曲輪が二の丸で、その手前に大手口や搦め手口がつながっている。
本丸は一番奥にあるが面積は大して大きくない。全体的にそう大規模な城ではなく、特別な仕掛けもない。確かにこの城だと、留守部隊だけで姫が指揮を執るような状態では木曽義仲の軍勢の攻撃の前にはひとたまりもなかったろう。
帰路は大手道を降りていく。このルートは往路よりはなだらかで、途中で番所的な曲輪があったりする。道はほぼ整備されているのだが、一番下まで降りてきたところで背丈以上の籔が茂っていて進むのが困難になる。民家がそこに見えたから強行で突っ切ったら5メートルほどで道路に出たが、まさかここまで来て引き返しかとゾッとした。ここまでは大体通路が整備されていたのに、ここだけ完全放置になっている理由は謎。土地の所有権の絡みかもしれない。
鍋山城 鍋山氏が居城とした城
三仏寺城の次は鍋山城を訪問する。鍋山城は天文年間(1532~1555年)に鍋山豊後守安室が三仏寺城からここに居城を移したと言われている。後に三木自綱がこの地に攻め込んだ際に安室は三木氏に降って自綱の弟の顕綱を養子に迎えるが、この顕綱に安室は追われることになるとのこと。しかし顕綱も自綱によって謀殺され、その後は自綱の次男の秀綱がこの城に入る。その後、金森氏の飛騨攻めで三木氏は滅ぼされ、飛騨は金森氏の支配下となる。金森氏は当初はここを居城にしようとしていたようだが、数年で高山城に移ってこの城は廃城になった。
鍋山城の登り口は春日神社のところにあると聞いていたのだが、この神社が田んぼのあぜ道のような細い道の一番奥なので、それを見つけるのに難儀する。辺りをウロウロした結果、鍋山城がある山の東南の隅にようやく神社を見つけることができた。周辺に車を置いて進むと神社の横に動物除けのフェンスがあり、そこに鍋山城登り口の表示が出ている。フェンスを通過して山道を少し進むとすぐに林道に突き当たるので、その林道をしばし進んでいくと屋敷跡の表示がある広場に出る。
城の本体はここから険しい山道を登っていくことになる。しばらく進むと出丸と本丸への分岐にさしかかるので、まずは本丸を目指して進むことにする。
この本丸への道が厳しい。もう足がほとんど終わっているのでさっぱり前へ進みにくい。ヘロヘロになった頃にようやく石垣が目に入る。
本丸はこの石垣の上に広がっている。面積はそれなりにあるが、削平が十分に成されていないようで起伏が結構ある。飛騨を押さえた金森氏はこの城を本拠に整備しようと考えたが、すぐに断念して高山城を築いたという。この城が手狭だったからという説もあるが高山城も決して広いとは言いにくい城であり、この城も尾根筋まで含めるとそれなりの面積はあることを考えると、やはり場所が辺鄙に過ぎることが主要因のように思われる。戦国期の籠もって戦う必要のある時代ならともかく、秀吉の天下がほぼ定まった時代であることを考えると、城下町の発展のスペースがあり、街道を押さえる要衝である高山城の方が時代にはふさわしいだろう。
本丸から奥に降りたところに二の丸があるとのことだが、かなり降りないと行けないようだし、特に何があるというわけでもないと聞いているので、足がもうほぼ終わってしまっていることを考えて今回はパスすることにする。
本丸から降りて最初の分岐のところまで戻ってくると、そこから出丸の方に向かう。しかしこちらは途中から道なき斜面を直登する必要があるようで、もう足が終わってしまってフラフラしている状況を考えると、思わぬ不覚をとる可能性があることから、こちらも断念して下山することにする。
結局は思っていた以上の足の弱りようのため、本丸を見学しただけのやや中途半端な状態で終えざるを得なかった。もう少し鍛え直してからいつかリターンマッチに臨みたいところである。やはり本丸まで鼻歌交じりで軽く登れるぐらいにならないとこれは無理だ。
平湯温泉に移動する
山城を二つ回ったところで大体3時過ぎ。かなり疲れたのでもうさっさと今日の宿に移動することにする。今日の宿泊地は奥飛騨は平湯温泉の「山のよろこび お宿 栄太郎」。そもそも今回の遠征の主旨は「温泉でゆっくりしたい」である。私も近年は急速に老化を感じるようになっており、筋力、聴力、視力、知力、集中力などの著しい低下を認めないわけにも行かない。もう既に体はボロボロである。だから温泉で静養したいなというわけである。
山の中の国道158号をを突っ走ること1時間弱で平湯温泉に到着する。国道158号は山間の起伏もカーブも多い道だが、道自体は決して悪くない。最後に長いトンネルを抜け、急傾斜のヘアピン道路を下っていった先が平湯温泉である。驚いたのはこちらに来たら山の上の方に雪が見えること。さすがにスキーができるほどではないが、もう既に積雪は始まりだしているようである。万一積雪や凍結があればこの道はかなり危なそうである。
平湯大滝を見学へ
宿に到着するとすぐにチェックイン。部屋でゆっくりしたいところだが、その前に一カ所だけ立ち寄りたいところがある。平湯温泉の近くに平湯大滝なる滝があるという。これはやはり見ておきたい。徒歩で20~30分程度とのことなので、車は宿に置いて歩いていくことにする。
しかしこれは結果的には失敗だった。まず私の足が想像以上にダメージを受けていたこと。普通の舗装道路を歩くだけなのに少し登りになると足が前に出ない。情けないほどに筋力が抜けてしまっている。さらに私の服装がかなり場違いであることに気づいた。私は薄手のジャンパーの下に秋シャツという軽装。しかし周りを見渡すとほとんどの者がダウンジャケットにスノー帽というスキースタイル。そう言えば日が西に傾いてからどんどんと寒さが増している。私は汗をかきつつ歩いていたので考えなかったが、この気温にはあまりに軽装過ぎる。実は私も現地が寒いことを想定してダウンジャケットを荷物に入れていたのだが、迂闊にも何も考えずにここまでの服装でそのまま宿を出てしまったのである。
平湯大滝はまだ雪のないスキー場の横をさらに進んだ先にある。体を止めたら凍えてしまいそうなので、結局はヘロヘロになりながら急いで平湯大滝にたどり着いたが、やはりきっかり30分かかった。平湯大滝はかなり圧巻というか、こちらに迫ってくるような圧迫感のある滝。落差は64メートルとのこと。滝自体は特別に大きいと言うほどでもないのだが、この背後の岩盤の圧迫感が半端ない。付近には落石注意の看板があちこちに立っているが、正直なところこの滝の背後の岩盤自体が今この瞬間にも手前に大崩落してきそうな感がある。残念ながらこの圧迫感は現地を訪れないと写真では伝わらない。
帰りは急いで歩くが、日がほぼ沈みかけて気温が急激に下がってきている。ホテルで近くの日帰り入浴施設のチケットをもらっているので、帰りに立ち寄るつもりでいたのだが、この状態では湯冷め確実である。とりあえず宿に戻って宿の風呂で体を温めることにしたい。
途中で土産物屋に立ち寄って土産物購入及び体の暖め。ようやく宿に帰り着いた時には体は完全に冷え切っていた。
宿の別館の浴場で入浴
とるものとりあえず入浴である。この宿には2カ所の風呂があり、どちらも内風呂と露天風呂付きとのこと。本館の浴場は先客がいたので別館の浴場に行くと、ちょうど一名が出るところで入れ替わり。貸し切り状態で温泉を堪能する。
湯はナトリウム-カルシウム-炭酸水素塩-塩化物泉。肌にしっとりとまとわりつく極めて良質の湯である。私が今まで体験した温泉の湯の中でも上位に入るレベルの湯。浴槽の壁にもたれ掛かると妙な出っ張りが背中に当たるから何だと思えば、温泉析出物がちょうど水面のところで浴壁に付着して成長したものだった。この宿では90度以上の源泉を熱交換で冷まして掛け流しにしているとのこと。やはりそれだけのことはある。
夕食を堪能する
温泉を堪能して部屋に戻ってマッタリすると、すぐに夕食の時間なので食堂の方に向かう。夕食はこれまた豪華。そしてまた何から何まで見事にうまい。鮎も馬刺も最高。また野菜の煮物がうまいのに驚いた。山菜などの野菜類が抜群にうまい。またデザートのココナッツプリンが最高。私的には小豆を入れてあるのがツボ。
たっぷりと夕食を堪能したのである。うまい飯に良い湯。これは最高の贅沢である。
本館浴場で入浴
夕食を終えると今度は本館の方の浴場に入りにいく。こちらの露天風呂は他の風呂と違う源泉を使っているらしい。すぐそこで湧いている湯をそのまま掛け流しにしているとのことだが、やや温めの湯であるがとにかく金気のにおいが強くてかなり濃い湯であることが分かる。成分を見るとマグネシウムやメタ珪酸、炭酸水素塩などの濃度が他の浴槽よりも多い。風呂に張ってある張り紙によると「温泉成分が下呂温泉の5倍」との触れ込み。これはなかなかに個性的な湯だ。
もう完全に両足が死んでいて、ふくらはぎなどは既にパンパンの状態になっているので、これを風呂でよくほぐしておく。しかしこれは明日はまともに歩けないのでは。現在、部屋でこの原稿を入力しているが、既に両足に力が入らず、まともに移動ができない状態。
部屋に戻って布団の上に転がっていると急激に疲労が襲ってくる。この日は9時半頃には就寝してしまったのである。