徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

岡山マイナー山城巡り(工ヶ城、正霊山城、金黒山城)

 先日完全に体調を崩してから運動不足で体力低下が著しい。やはり体力回復のためには最近低調な山城巡りを復活するべしとの考えはあるのだが、そのための先立つ体力が目下は全くない状態。そこで適度なリハビリを考えることにした。そもそも山城を回るとなると現在は比較的良い時期。冬の間に下草は枯れて木の葉は落ちて見通しが良くなっているし、冬に比べると日は長くなっている。と言うわけで今回は比較的近場で以前に諸事情で挫折した山城を回ってみることにした。

 昼前に家を出ると、途中の吉備SAで昼食。最近のSAのレストラン自体は以前の独占状態の時よりもレベルが上がっているが、やはり寺銭の高さのためにCPはあまり良くはない。

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吉備SAで昼食

 

工ヶ城 鎌倉時代の陶山吉次の居城

 山陽道を笠岡ICで降りると北上する。今回最初に目指すのは工ヶ城。以前に一度訪問したが、その時には登り口を見つけることが出来ずに撤退した鎌倉時代の中世城郭である。鎌倉末期の笠置山合戦に足利尊氏軍として参加した陶山吉次の居城とのこと。

 工ヶ城があるのは国道290号と県道3号との交点。以前は県道3号を南からアクセスしたのだが、登り口を見つけることが出来ずに撤退したのである。今回は国道290号を西進してのアクセス。しかし目の前に山容が見えたところで「この山は山頂に通じる道が絶対にあるはずだ」と確信する。というのも山頂の辺りが木が刈られて手入れが入っているのが遠目に分かる。と言うことは今でも頻繁に地元の人が山頂に登っており、放置されている山ではないということである。

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この山上が工ヶ城

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明らかに山頂付近が整備されている

 とりあえず前回の反省から可能性は2点に絞っている。まずは北方の梅林らしき辺りからのアクセスを試みるがこちらはハズレ。そこで車をその近辺においたまま、もう一つの可能性である南の集落付近に向かってみるとこちらが当たり。集落の中の小さな地蔵祠の手前に小さな案内看板が立っており、その奥からさすがに軽トラでも入るのは不可能と思われる狭い舗装道路(農業用の一輪車のためにでも舗装したのだろうか?)があるのでそれを進む。

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南側の集落内に看板発見

 道はすぐに山道に入るが、下草は刈ってあって綺麗に整備されている。息を切らせながら数分登れば開けた場所に出る。ここは山頂の本丸から尾根筋に沿って四段の曲輪になっているようだ。ここには桜が植えられており、現在は五分咲きというところ。多分地元の花見の名所で、それが登山道が整備されていた理由だろう。

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ここから山道に入る

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山道は整備されている

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5分ほどで開けた土地に出る

 この四段の曲輪に沿って登ると、本丸の西側に二の丸と言うべき曲輪があって、そこを通って山頂の本丸に登れる。本丸はそう広いものではないが、建物を建てるスペースは十分にある。中世の地方豪族の城郭としては十分なスペースだろう。

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曲輪に沿って登る

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二の郭から本郭を見る

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本郭

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本郭入口から尾根沿いの曲輪を見る

 本丸の回りには先ほどの尾根筋の曲輪の二段目が東側にまで帯曲輪の形で回り込んでいる。西側の二の郭の先は堀切になっているようだが、その先に尾根沿いの高所があるようなので、地形的に考えるとそちらに西の郭があるべきだが、そちらは鬱蒼として確認のしようがない。

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西の二の丸

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その先の堀切から先は鬱蒼として踏み込めない

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井戸?

 やっぱり登城路を見つける時は、車で回るだけでなくこまめに歩いて回る必要があるということだろう。とにかく宿題の一つを片付けることは出来た。次はここからしばし北上すると、これも宿題だった正霊山城に向かうことにする。こちらは場所も登城路も確認したのだが、夏草が茂りまくって足下が分からない状態で、諦めて撤退したのである。地元の人の話では、桜の名所でその前には下草刈りをしたのだけどとのことだったので、この時期に再訪した次第。

 

正霊山城 戦乱の中で消え去った地方豪族藤井氏の城郭

 役場の駐車場に車を置かせてもらって正霊山城に向かうと、桜が咲き始めていてなかなか綺麗である。独立丘の頂上の本丸を囲むように複数の小曲輪が配されている構造が分かりやすい。

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奥の丘が正霊山城

 大して高い丘でもないので鼻歌でも歌いながら一気に山頂へ・・・と言いたいところだが、こんな丘一つ登るのでも完全に息が上がってしまうのが今の私の情けなさ。本丸手前の二の郭に寺院らしき建物があるが、その手前で一息ついて呼吸を整えてから一気に山頂に登る。

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ここから登っていく

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途中にある小曲輪

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二の郭には祠らしきものが

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かなり荒れ果てている

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その背後の本丸はかなりの急斜面の上

 削平された山頂はあまり広いスペースではないが、これも建物一つぐらいなら建てられそうなスペース。ここに領主の館を建てて、回りは木柵で取り囲むというところか。小規模な城郭であるが、回りの斜面は結構急なのでそれなりの防御力を有している。大軍に包囲されたらひとたまりもなかろうが、山間小領主の小競り合い程度なら十分だろう。

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本丸はそう広くはない

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裏側はかなり急峻

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高度は結構ある

 本丸中央に倒れた看板があったので起こしてみれば城の説明が書いてある。この城は16世紀中頃に築城されたもので、城主は藤井能登守入道皓玄とある。なお後で調べたところによると、この藤井能登守入道皓玄なる人物は毛利氏が神辺城を攻めた際に奮戦したものの自刃したとある。戦国期にこの地域に根を張った藤井氏も、戦乱の中で消えていったようである。

 

金黒山城・・・は、やはり登り口が分からず

  最後は同じく前回撤退している金黒山城を訪問。しかしここは今までの城郭のような手が入っている様子は全くない。一回りして見たが東側は川があり、南側は急崖に一面に生い茂る笹とまさにとりつく島もない状態。唯一変化していたのは、以前は倒れていた看板が新たに整備されていたこと。この看板の横に車が入ったような跡があってここが入口のように見えるのでそこから進んでみたが、進路はすぐに藪にふさがれ登山道のようなものも見当たらない。強者ならここから斜面直登という大技もありかもしれないが、単独行で体力不足の私はそんな力技を駆使するわけにもいかず撤退することに相成った。山頂には高圧電線の鉄塔が建っているようなので、少なくともそれを建設する際の何らかの道はあるはずなのだが、今回一回りした印象ではそういうものは見つからなかった。怪しいのは山頂西側の隣の尾根との谷筋になっている辺りなのだが、そもそも藪化がひどすぎるので道があったとしても完全に埋もれてしまっている。ここいらの藪をなぎ払うか焼き払うでもしない限りルートは分からないだろう。どちらにしろ一筋縄ではいかなそうだ。

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看板だけは新調されているが・・・

 以前に撤退した山城3つのうちの2つの攻略に成功と言うことでまずまずの成果と言えようか。金黒山城が心残りだが、これは地元による史跡整備でもされない限りは私には無理そう。事態が変化したという情報があるまで静観と言うところか。もっともかなりの山奥なので、わざわざ登山道を整備するということはまずなさそう。あるとしたら高圧鉄塔の点検整備のための道造りか。

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遠くから見ると高圧電線の鉄塔がある

 それにしても私の体力の低下は想像以上で、こんな散策程度の山城攻略でも足腰への負担は結構来ていて、帰りの運転のアクセルがガクガクして困るという事態に陥ってしまった。これは根本的にトレーニングし直す必要がありそうだ。