徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

都響プロムナードコンサート No. 383&「コートールド美術館展」「岸田劉生展」「高麗茶碗」「齋藤芽生とフローラの神殿」

 翌朝は中途覚醒などもしながら6時までウダウダと寝ていた。今日は昼から都響のコンサートだが、その前に昨日まだ行き漏らしている美術館の掃討戦がある。

 それにしても昨日は少し無理をしすぎたようだ。昨日は2万歩越えで、14キロ以上歩いている。体のあちこちに痛みと全身の疲労感が残っている。最近は体力低下と年齢から来る睡眠力の低下で、残念ながら一晩眠ると翌朝スッキリとはいかなくなっている。

 昨日は何も出来ないままダウンしてしまったので、目が覚めるとまずはこの原稿の入力(笑)。テレビをつけると「健康カプセル」が始まったのでしばしそれを視聴。腹が減ったが、よく考えてみると昨日朝食を購入するのを忘れていた(フラフラで帰ってきたのでそこまで頭が回らなかった)。朝食は上野に行く途中で立ち寄ることにする。

 

朝食は上野の駅ナカで

 そのまま8時半頃までウダウダしてから出かけることにする。まずは上野を目指す。東京都美術館だけは土曜日の夜間開館がなかったので、「コートールド美術館展」を行きもらしいている。まずはそれに立ち寄る予定。だが、その前に上野の駅ナカの「下町食堂はいり屋」で朝食を摂ることにする。昨日の夕食がかなり軽めだった上に、そのまま寝てしまったので完全に空腹のせいか、いつになく鶏天がやたらに美味い。

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上野の駅ナカで朝食

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朝定食

 

大混雑の上野

 朝食を終えたところで美術館へ向かう。相変わらず上野は人出が多い。国立西洋美術館の前には500人以上ぐらいの行列が出来ている。ハプスブルク展ってこんなに人気があったんだ。昨日の訪問した時には時に待ち客がいなかったので気がつかなかった。

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国立西洋美術館の周囲はこの様子

 さらに進むと次は上野動物園のゲート前に大行列。パンダの子供も大分大きくなったようだが、まだ客の方は減っていないようだ。これは私が目指す東京都美術館も危ないのではと思ったら、入口の前にテントが張ってあるのでゾッとするが、それは待ち客ではなくてセキュリティチェックのための荷物検査の模様。「天皇即位関連ですか?」と聞いてみたところ、「ラグビーワールドカップ関連」とのこと。ワールドカップにかこつけて入国した不逞外国人に備えるのか、それとも外国人相手にテロを働く尊皇攘夷の志士を警戒しているのか。

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上野動物園前はさらにすごいことに

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そして東京都美術館の前は荷物チェックのテントが

 美術館の方は開場待ちの行列が捌けた直後のようで、数十人の待ち客はいたが、概ねスムーズに入場できる。内部の混雑もそうひどくなく、東京の日曜日という事を考えると鑑賞コンディションとしてはかなり良いほうだろう。

 

「コートールド美術館展 魅惑の印象派」東京都美術館で12/15まで

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 当時はイギリスであまり評価されていなかった印象派の作品に目を付け、それらの作品を意欲的に蒐集したコレクターが繊維産業で財を成したコートールドだという。彼は収集した作品を広く公開するために、財団を設立して美術館の運営から修復技術者の育成まで行ったとか。

 ここに展示されている作品はとにかく知名度の極めて高い名品揃いであるので、どこかで目にしたというような作品が多い。中には写真などで紹介されているものを見たものもあるだろう。それらの名画の実物を目の前で見ることが出来るというのは非常に大きい。

 例えばルノワールの有名な「桟敷席」では、肌やドレスの質感表現の巧みさに驚かされたし、マネ最晩年作の「フォリー・ベルジェールのバー」では、作品の奥行き表現が意外に巧みであることに驚かされる。鏡に映った桟敷席というかなりトリッキーな対象の奥行きがこちらに迫ってくるような感覚を受ける。現物を目にすると、写真などで見ていたよりもはるかにすごい作品であるということが実感できる。これは貴重な経験。

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 展覧会の見学を終えると次の目的地を目指す。次は東京駅最寄りの美術館。

 

「没後90年記念 岸田劉生展」東京ステーションギャラリーで10/20まで

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 岸田劉生の作品を最初期から最晩年まで網羅している。最初期にはオーソドックスな水彩画を描いていたのだが、それがゴッホやゴーギャンの影響という当時の日本人画家が一度は経由するおきまりの洗礼を受け、急にゴツゴツとした粗いタッチの油絵に画風が変わる。その中で自画像などを徹底して描き、その中から自らの表現を確立していく時期がある。

 しかしそれを行っている内に日本画の美意識に惹かれるようになり、段々と表現が単純化した挙げ句に油絵を捨てて日本画を描き始める。それでも回りでは彼を洋画に引き戻そうという動きがあったようで、最後は再び洋画を描き始めるだが、それが新たな境地に至りかけたところで彼の寿命が尽きてしまったようだ。

 こうして彼の創作の課程を追っていくと、とにかくくそ真面目に芸術を突き詰めたが故に迷走飛行になってしまったような印象を受ける。よくある「真面目な人ほど段々と自分が何をしているのか分からなくなる」というパターンである。今から思えば彼がもう少し肩から力が抜けた方が、結果として良い作品が残ったような気もしてならない。

 なお最晩年の彼の油絵が明らかに今までのものと作風が異なっているのだが、そこに見える画法は印象派であるように思われる。結局が彼が一回りしてたどり着いた境地がそこだったというのは興味深いところ。

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岸田劉生と言えばやはり彼女

 

三井記念美術館の途中で貨幣博物館に立ち寄る

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 ここからは三井記念美術館まで歩いて移動する。この辺りは東京の中心部なんだが、プラプラと歩いた事はほとんどない。完全に都会化しているものの、それでも昔の面影も一部には残っているのだろう。途中で貨幣博物館を見かけたので立ち寄る事にする。

 入場料は無料と太っ腹であるが、場所柄か荷物検査があり空港並みのセキュリティゲートを設置してあるのには驚かされる。館内には小判なんかも展示されているので、不逞の輩の入場を防ぐためか。小判の展示なんかはそう珍しくはなかったが、日本において貨幣の導入は実はスムーズではなく、当初導入された銅銭は流通量の加減や私鋳銭の増加による質の低下などから信用をなくし、一時はほとんど使用されずに物々交換の時代に戻っていたと」いうのは興味深かった。すると貨幣経済を定着させたというのも江戸幕府の功績か。やはり貨幣が安定するには、信用度の高い中央権力の存在というのが不可欠であるようである。金を中心としていた時代でさえこうなんだから、信用だけが貨幣の価値である今日では、政情が不安定な国の通貨など紙切れ同然なのも然り。結局は信頼性という観点でドルが国際通貨となっているが、これもトランプなどという大馬鹿大統領のせいで今後も信用度を保てるかは微妙なところである。

 貨幣博物館を一回り見学すると三井記念美術館に入館する。

 

「茶の湯の名碗 高麗茶碗」三井記念美術館で12/1まで

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 茶器などの中でも高麗茶碗を展示。

 高麗茶碗はその名の通り元々は渡来品なのであるが、室町時代に日本において佗茶の文化が発展すると茶器として注目されるようになり、それまで主流であった唐物に取って代わることになる。そもそも実用茶碗であった高麗茶碗は薄手で軽やかさを感じさせるものであり、厚手で大きめのぼったりした志野や楽などの和物の茶碗とは感覚が違う。

 もっともその軽快さが私にとってはあまりの素っ気なさに見えてしまって、所詮は実用茶碗の延長線と見えてしまい、あまり芸術的に心惹かれる感覚がなかったりするのが困ったものなのであるが。なお朝鮮の方でも日本に対する輸出を意識した作品が作られるようになったようで、それらの茶碗は日本の茶碗に合わせてかやや厚手のぼってりした印象になっていたのは、中世におけるマーケティングの実例を見るようで面白かった。

 

昼食は地下でうどん

 展覧会の見学を終えると昼食を摂ってからサントリーホールに移動することにする。最初はこの美術館内のレストランに立ち寄ろうかと考えていたのだが満席の模様。仕方ないのでこのビルの地下の飲食店街を一回り。うどん店「釜たけ流うどん」があったので入店。ランチ用の「きつねうどんとネギトロ丼のセット(980円)」を注文する。

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地下で昼食

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きつねうどんとネギトロ丼

 どうやら元々は大阪の店の模様。だから讃岐うどんよりは柔らかめの大阪うどんである。出汁は東京のうどんにありがちのダダ辛いものと違うので私にも馴染みやすい。東京という場所柄を考えるとまあまともなうどんでCPもまずまずだと言える。

 昼食を終えるとサントリーホールに向かう。サントリーホールはそこそこの入り。

 

都響プロムナードコンサート No. 383

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指揮:川瀬賢太郎
ハープ:吉野直子
東京都交響楽団

スカルソープ:オセアニアより(2003)〈日本初演〉
J.シュトラウス2世:エジプト行進曲 Op.335
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(ハープ版)
伊福部昭:交響譚詩
ラヴェル:ボレロ

 今日は日本チックな曲、エキゾチックな曲、日本人の曲といった変則的世界一周プログラムである。

 最初の曲はスカルソープが日本をイメージした曲のようだが、冒頭のホラ貝は確かに日本的ではあるものの、それ以降の音楽は日本と言うよりはオーストラリアやアフリカのプリミティブな音楽という印象。スカルソープがオーストラリア出身なのでそれが反映されているのだろう。ただ打楽器中心のリズムで聴かせる曲は、今時のわけの分からない現代音楽と違って耳に馴染みやすい。

 二曲目はヨハン・シュトラウスのエキゾチックな小品。いかにもヨーロッパから見たイスラム的文化といった趣がある。楽団員が途中で声を出して歌うというのも異色。なかなかノリの良い演奏。

 アランフェスはギターではなくてハープを用いる変則版。楽器がハープになるだけで、音楽全体がやけに上品な印象になる。ギターだといかにもスペイン的な雰囲気が濃厚に出るのだが、ハープだと無国籍な美しい曲という印象。吉野のハープ演奏の美しさが何より冴え渡った。

 後半はまずは伊福部。日本の民謡などに取材したと思われるいかにも日本的な旋律が、伊福部独特の管弦楽法でブンチャカ鳴るという面白い曲。日本人の耳に馴染みやすい上に、決して軽薄な曲ではない。もう少し演奏機会があっても良いと思われる曲である。これはなかなかに盛り上がった。

 最後はボレロ。段々とラストに向かって盛り上げていく演出が一つの肝となるのであるが、その辺りは都響も川瀬も心得ていて、煌めきと切れのあるなかなかの名演となった。

 まさに様々な曲のごった煮だったのだが、いずれの演奏も冴えのある見事なものであった。都響の巧さもさることながら、川瀬はなかなかやるなという印象。さすがに日本の若手のトップランナーだけのことはある。


 コンサートを終えたがまだ夕方。ホテルに戻る前にもう一カ所だけ美術館に立ち寄っておきたい。目黒まで地下鉄で移動すると、そこから徒歩で美術館に向かう。ところでこの美術館は目黒川の河岸にあるのであるが、この目黒川の周辺も東京の防災を考えた場合には弱点だと感じるのだが・・・。

 

「齋藤芽生とフローラの神殿」目黒区美術館で12/1まで

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 博物的に草花を描いた作品から発展させ、架空の禍々しい毒花を描いた独自のシリーズなんかが特徴的。リアルで精緻なタッチで描いているだけに、おどろおどろしさとかなりキツい風刺が垣間見える。香水の臭いをプンプンさせて蝶まで失神させるような植物なんかは、私ならダウニー草と名付けるところである。

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禍々しい毒草

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命名 ダウニー草

 毒花シリーズの次は窓や四畳半などを描いた独特の感性の作品だが、これらなどはシュルレアリスムの感覚がある。超現実的な超空間であり、荒唐無稽でありながら妙にリアルという何やら心に刺さってくるところのある作品である。正直なところ好きだとは思えない作品なのだが、印象には強烈に残る。

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シュルレアリスム的

 

目黒の定食屋で夕食を摂って帰る

 展覧会を終えるとホテルに戻る前にこの周辺で夕食を摂ることにする。立ち寄ったのはたまたま見かけた定食屋「あかり」「サーモンの刺身と牡蠣フライの定食」を注文。特別なものはないが普通に美味い。典型的な普段使いの店でCPも東京にしては良い。さすがに東京にもこういう店もあるらしい。正直なところ東京の飲食店については、もっと発掘する必要がありそうなんだが。

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定食屋あかり

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サーモン刺身と牡蠣フライの定食

 夕食を終えると帰りにスーパーによって明日の朝食を買い込んでからホテルに戻る。ホテルに戻ると入浴をしてからこの原稿の入力をするつもりだったのだが、今回の遠征の家計簿を付けたところで力尽きてしまった。結局はこの日も何もすることも出来ないまま、かなり早めに就寝してしまうのだった。それにしても眠りが浅いのは相変わらずだが、こっちに来てから確実に睡眠時間は長くなっている。それだけ疲れていると言うことだろう。今日も大体1万7千歩歩いているわけだから、これはかなり重労働だ。東京というのはとにかくどこに行くにもやたらに歩かされる場所である。おかげで最近は、ドアトゥードアですべて車で移動する田舎者よりも、東京人の方が体力があるとか。もっとも東京は高ストレスのために、それがすなわち健康長寿には直結していないようだが。