翌朝は温泉を堪能してから朝食を頂く
翌朝は6時半に目覚ましで起床する。風呂は8時までなので、やはり朝のうちに入浴しておきたい。朝風呂はなかなか快適。湯の温かさが体に染み入る。それにしても明るくなってみたら思っていた以上に周囲は山の中である。
朝食はレストランでオーソドックス極まりない和食。しかし今朝はやけにご飯が美味い。昨晩は夕食が濃いめでやや胃がもたれた感があったんだが、既に今朝には完全回復か。
さて今日の予定だが、基本的には帰るだけなんだが、それではあまりに芸がないので、丹波篠山まで出て来たんだから篠山に寄っていこうという考え。そう言えば篠山城も永らく訪問していない。
チェックアウト時刻の朝10時まで部屋でグダグダと原稿入力とかブログのアップとかをしてからチェックアウトする。昨日来た時は辺りは真っ暗だったので何も分からなかったのだが、改めて見渡してみると大谷にしき荘は本当に山の中である。昨晩に駐車場の中にあるコンクリートの塊に「何なんだろう?」と思っていたのだが、どうやらそれは吊り橋のアンカーだったようだ。この橋は道路と川をまたいで対岸にまでかかっている。調べたところによるとどうやらそこに大谷西紀の記念館があるらしいが(大谷西紀ってこの辺りの名士だったのか?)、そんなものには特に興味がないので引き返してくる。吊り橋自体は鉄製ワイヤーでガチガチに固めてあるものなので、高所恐怖症がある私でも渡ることに特に不安は感じない代物だった。
宿を後にするとしばし山の中を疾走する。昨晩はわけの分からないまま暗い山道をウネウネと走行したんだが、改めて朝走ると180度カーブがあったりなどのとんでもない道で(ただし道幅自体は広くて悪い道でない)、アップダウンがかなり激しい。これはカーブの先が見えない夜の走行ではしんどかったはずである。辺りを見ていると山城を築くのに適していそうな独立峰があちこちにある。あれで水源の確保さえ出来たら地方領主クラスの居城には事欠かない。
篠山城を見学する
篠山にはそう時間を要せずに到着する。しかし篠山城跡を目指して篠山中心部に突入したところで絶句する。異常に人通りが多くもろに三密の世界。一体コロナってどこの国の話だ? ちょっと緩みすぎと違うか? それになぜこんなに多くの者が篠山に繰り出してくる理由があったんだろう?
とりあえず篠山城の三の丸にある駐車場(といってもただの広場だ)に車を停めると篠山城の見学から行うことにする。篠山城は家康が大坂城を牽制すると共に、西国大名との連携を断つ目的で天下普請で築かせた城である。盆地の中の独立丘陵をベースにして輪郭状の城を築かせたのだが、非常に立派な石垣を持っているのが特徴であり、二の丸・本丸の石垣にはなかなかに圧倒されるものがある。
正面から入るとかなり立派な枡形虎口となっている。この北口の先にはそもそもは馬出もあったはずなのだが、それは今は完全に市街に埋もれて土塁の極々一部しか残っていない。なお南馬出と東馬出は未だに健在という。
二の丸に上がるとかつての大書院が再現されているので入場することにする。内部では篠山城の建設の経緯を解説した映像が上映されており、御殿の内部が公開されている。いわゆる貴人用の部屋なども再現されているようだ。また内部には地元のマニアが制作したという各武将の甲冑が展示されている。どこの分野にもこの手のマニアはいるものだが、つくづく細工の細かさに感心する。私は特にこの手のスキルが皆無(あからさまに人よりも不器用である)なだけに、こういう手仕事には問答無用で感嘆させられるところである。
大書院を出ると二の丸奥では奥御殿の発掘結果に基づいた平面復元がなされている。ただし遺構のかなりは削られており、礎石等は見つからなかったとの話。
二の丸横手の一段高くなっているところが本丸で今は神社となっている。かつては建物類はすべて二の丸にあり(だからかつては今の二の丸が本丸と呼ばれ、本丸は殿守丸と呼ばれていたという)、本丸には建物類はなかったらしい。いざという時の最後のお籠もりの場かとも思ったが、二の丸との間はそれほど堅固とは感じられないので、単にスペース分けぐらいのものにしか思えない。この城はとにかく二の丸が異常に堅固であるので、実際はここを突破されたらジ・エンドである。しかし余程のことがない限りまず突破は不能である。なおこの本丸には岩盤をくりぬいて2年がかりで作ったという深さ16メートルの井戸が残っている。
本丸の南隅にあるのが天守台。ここには天守閣は建てられなかったとの話だが、確かに盆地の中でこの高さがあればわざわざ天守閣を建てなくても見晴らしは十二分にある。篠山城は大阪方との実戦を想定して作られた城なので、その手の余計なものは省かれたのだろう。わざわざ幕府から「天守は建てるな」という通達があったとのこと。そもそも既に大坂の陣の頃には大砲などの登場によって天守閣に戦術的意味はなくなりつつあり、単に城の権威を示すためのものになりつつあったから、そういう点でも天守は不要だったのだろう。この上に天守まで建てたら、一地方大名の城としては立派に過ぎる。
本丸を出て二の丸の南側に向かうとここには埋め門がある。これが裏口ということになるんだろう。なおここの石垣の石には工事責任者の名が彫ってあるものがある。
二の丸の周囲はグルリと石垣で囲われているが、かつてはこの上に城壁があったんだろう(今は生け垣となっている)。また二の丸にも本丸のような井戸が掘ってある。
穴太衆が積み上げたという野面積みの立派な石垣を堪能しながら篠山城を後にする。とにかく石垣フェチならお腹いっぱい石垣を堪能できる城であり、そこはさすがに100名城の風格がある。10年ぶりぐらいの訪問だと思うが、なかなかに堪能した。