徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

読響大阪公演はパスカル指揮の第九

ロンリークリスマスは読響公演

 「いつも君はいない。ひとりきりのクリスマスイブ。サイレントナイト、ロンリーナイト・・・。」と例の如くに私のクリスマスイブのテーマ曲が口をついて出るが、世間がクリスマスイブに浮かれる中も私は毎度のロンリーナイト。かれこれ半世紀以上この状態である。これでももっと若い頃には一緒にクリスマスナイトを過ごしたいと感じる女性もいたし、そこそこ上手く行きかけた相手もいたんだが、なんだかんだで結局頓挫。もう既に頭に浮かぶ女性さえもいないという哀しい孤独なジジイである。

 もっとも世間でも自民党による長年の搾取のせいでの国民の貧困化で、恋人たちの夜などと浮かれられる状況でなく、もう既にクリスマスはオワコンとのこと。そのうちにサンタクロースの大量リストラが始まりそうである。ろくでもない世の中になったもんだ。

 さてそのロンリーナイトだが、毎年このシーズンは読響の大阪定期と相場が決まっている。今年もそれに繰り出すことにする。仕事を早めに終わらせて大阪を目指す。ここで車で行くかJRで行くかを迷ったんだが、この時期は数年前に大渋滞で開演に間に合わないという目にあった記憶があるのと、車の場合は駐車場代などで交通費が高くなるということから、定時性を重視してJRで大阪に向かうことを選ぶ。

 しかし結果としてはこれが失敗だった。乗り込んだ新快速が神戸駅手前で突然に停止してしまう。どうやら京都線で帰宅ラッシュ時を狙った飛び込みテロが発生した模様。車内に10分以上閉じ込められた挙げ句、ようやく列車がトロトロと動き出したと思ったら神戸駅で運行休止とのことで車内から追い出される。

 振り替え輸送の阪急に乗り換えるか、それともまだ大阪までは運行されている普通と快速を乗り継いで大阪を目指すかという難しい選択を迫られる。私は結局は普通列車と快速で大阪を目指したが、それが正解だったかは不明。予定より40分以上遅れてすし詰めの快速でなんとか大阪に到着する。

 この時点で既に18時を回っている。リスクを考えて早めに出てきたからまだどうにかなるが、開演時刻に合わせて出てきていたら完全に遅刻であった。定時性を重視してJRを選んだのに、まさかその定時性が崩れるとは想定外。

 

 

 夕食を摂る必要があるが、時間的余裕がないのでこれだと普通のレストランは危なく、すぐに出てくるカレー屋かラーメン屋辺りになる。カレーの気分ではないので肥後橋まで移動すると、開店時に一度だけ入店したことのある「ストライク軒」を訪問する。注文したのは醤油ラーメンの「ストレートの麺大盛り」

フェスティバルゲート地下の「ストライク軒」

 以前に行った時には、特別に美味いわけでもないが不味くはないという記憶が残っていた。しかし今回は端的に言って「美味くない」。なんか麺の味がしっくりこず、美味いと感じるのはチャーシューだけ。私の体調のせいもあるかとも思ったがそれだけとも考えにくく、どうも以前よりも味が落ちているように感じる。

チャーシューだけは美味かったが・・・

 結局はイマイチ納得のいかない夕食を終えるとホールに向かうことにする。もうとっくに開場済みで開演も間近。ただ口の中がスッキリしないのでその間にアイスコーヒーを飲んでおく。

喫茶で口直しのアイスコーヒー

 読響は相変わらず大人気で場内はほぼ満席。オケは14型で後ろの合唱団席がやや少なめに感じるのは、合唱団が新国立歌劇場合唱団というプロであるからだろう(やはりプロ合唱団は声量がまるで違う)。

合唱団の人数は少なめ

 

 

読売日本交響楽団 第42回大阪定期演奏会

指揮/マキシム・パスカル  
ソプラノ/熊木夕茉  
メゾ・ソプラノ/池田香織
テノール/ シヤボンガ・マクンゴ 
バリトン/アントワン・ヘレラ=ロペス・ケッセル
合唱/新国立劇場合唱団

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」

 

 パスカルはスラリとして手足の長いイケメン。ただその指揮姿はかなり特異。長い両手を激しく動かしての独特の指揮をする。独特の手の動かし方と言えば、先のゲッツェルの「ハンガリアンクネクネダンス」を連想するところだが、パスカルの場合はクネクネと言うよりはカクカク。イメージとしてはマリオネットを連想させる。つまりは「ヨーロピアンマリオネットダンス」と言うところである。

 さてその音楽であるが、これもかなり特異。もう第一楽章の最初から明らかに普通と違う。通常なら前に出す旋律を後ろに引っ込めて、普通はそれは取り上げないだろうという管楽器のメロディを前に出してくるから、通常の第九と明らかに響きが全く異なる。基本的にはその音色は極めて陽性である。ただ陽性に管楽器をボワッと広げてくるので、音全体が団子状になって解像度が低い。そのせいでいつになく読響のアンサンブルの精度が低く聞こえる。

 さらには突然のテンポ変化などもことごとく疑問を感じるもの。そもそも第九は私の認識では、第一、第二楽章はかなり緊張感の中に激しい葛藤を含み、それが第三楽章で緊張がやや緩み、第四楽章で歓喜の歌の断片が聞こえ始める。しかしそこで再び陰鬱な空気が押し寄せようとするので、それを打ち破って「ああ友よ。このような音楽でなくもっと歓喜に満ちた」と来るというものである。しかしパスカルの演奏はいきなりその緊張感が皆無で陽性であるだけでなくとにかく軽い。第一、第二楽章からこの調子なので、さらに緊張感が緩む第三楽章では美しいよりも完全に弛緩してしまったという印象。

 クラシックファンなら馴染みの曲には多かれ少なかれ「私ならこういう演奏をする」というイメージがあると思うが、パスカルに関しては「私ならこうする」のことごとく逆をやってくる印象。「私なら弦楽を前に出して緊張感溢れる演奏で」という箇所で管楽を引っ張り出してボワッとした演奏をするし、「私ならここはテンポを落として堂々と重厚に」というところで煽って軽い演奏をする。正直なところ聞いていて最初から始終首をかしげるパターンばかりである。

 なお合唱団は第四楽章の演奏の途中の歓喜の歌の断片が聞こえてきた辺りで、ソリストと共に整然と入場してくる。以前にもこういうパターンを見た記憶があるが、こういう演出は流石にオペラで動きも訓練されているプロ合唱団だから可能だろうと思われる。当然ながらプロ合唱団として圧倒的な実力を持っている国立歌劇場合唱団なので、その合唱は素晴らしくて圧倒的な感動を・・・と思いたいところなのだが、どうにもそうならない。パスカルの演奏が全体的に軽くて緊張感がないので盛り上がるべきところでどうも空滑りする感がある。

 結局最後まで私としては何とも納得しがたい不完全燃焼な演奏だったと言わざるを得ない。パスカルについては実力不足でグダグダの演奏になったというパターンとは思えないので、私とパスカルのベートーヴェンに対する解釈の違いなのか。とにかく相性が悪いとしか言えないのかもしれない。まあポリャンスキーなどのテンション系を至高と考える私とは、全く対極的なアプローチと言えそうである。

 

 かように私としてはイマイチだったとしか言いようのない残念な結果となった。今回の公演は休憩なしなので21時半頃には終了、いつもよりは早めに家路についた。帰りにはまだダイヤの乱れは残っていたものの、とりあえずは新快速の運行も再開されていたのである。しかし残念ながら途中で「前の列車が遅れている」とかで再び駅間で閉じ込められることに。結局は30分のアドバンテージなど易々と吹っ飛び、帰宅したのは通常よりも遙かに遅い時間。明日も仕事はあるというのに、とにかくこの日は散々であった。