多度に移動して昼食
養老の滝を後にすると次は多度に向かうことにする。多度は多度大社の門前町として発展した町だという。
多度大社の見学から始めようかと思ったが、その前に腹が減った。多度大社の手前で見かけた「だるまうなぎ」で昼食にすることにする。
この店はその名の通りのうなぎ屋だが、正直なところ今日はあまりうなぎという気分ではないし、ボッタクリ駐車場の連荘で財政的にもかなり厳しくなっている。そこで注文したのは「石焼き牛まぶし御膳(1780円)」。
要は牛肉でひつまぶしの代わりをしたという代物。昨今のうなぎの異常な高騰でこのメニューを出すうなぎ屋が実は増えている。とりあえずセオリー通りに一杯目はストレート、二杯目は薬味付き、三杯目は出汁をかけて茶漬けで頂く。思っていたよりも肉が良かったのでなかなかにうまいが、やはりうなぎよりはやや味がしつこくなる。
多度大社の見学
昼食を終えると多度大社の見学をすることにする。多度大社の前には駐車場があるが、ここは土日だけは有料らしい。まあ200円なので今までのボッタクリ駐車場に比べたらマシか。なおその200円も嫌だという者には、先ほどのだるまうなぎの隣に観光用無料駐車場がある。
多度大社は天照大神の第3皇子である天津彦根命を祀った神社で、伊勢神宮とも非常に関わりが深い由緒正しい神社である。5月に行われる上げ馬神事(境内の絶壁を馬で駆け上がる)、流鏑馬神事などの馬絡みの神事で知られる神社であり、境内に馬小屋もある。
奥の本宮までは距離は大してないが、高低差が結構ある。奥の本宮まで行くと参拝をしておく。なお多度大社の御利益としては馬にちなんで交通安全とか(昔は戦勝祈願だったと聞くが)。
多度の町並みを見学しようとするが
多度大社の見学を済ませると、そのまま多度の町並みを見学・・・と思ったのだが、どうも見渡す限りごく普通の民家が並ぶだけの何の変哲もない町並みである。これはもう少し先まで行かないといけないようだということで車で通り抜けることにするが、その前に駐車場の南にある「丸繁」で夜食用の和菓子を買い求める。
多度の町並みはほとんどは何の変哲もない普通の民家ばかり。ただ大黒屋といううなぎ料理屋がある周辺の一角に古い商家作りの建物が数軒残っているだけである。これはやや寂しい。
采女城を攻略する
多度を後にするといよいよ采女城に立ち寄ることにする。桑名東ICで東名阪道に乗ると、今日の宿泊予定地である桑名を通過して四日市ICで降りて南下する。采女城は内部川北側の丘陵上にある。内部川北岸の道路沿いに采女城の案内石碑があり、その辺りの路肩に車を置いておけるだけの幅があるのでそこに車を置く。
采女城は藤原氏を祖とする後藤氏の後藤伊勢守基秀が、1260年にこの地の地頭となって一族郎党を引き連れて移住した際に築いた城郭だという。その後300年に渡って後藤氏が治めてきたが、後藤采女正藤勝の時に織田信長の侵略に合い、蒲生氏と共に戦ったが1568年に落城したとのこと。言い伝えでは、その時に城主の藤勝は討ち死にし、千奈美姫は主郭の井戸に身を投げて父の後を追ったと言われているとか。これらの経緯を伝える現地看板は「哀れなり」の言葉で解説を閉めている。
場内は地元有志の手によって整備されているらしく、非常に状態が良くて見学しやすい。これは実にありがたいことである。
五の郭から本丸へ
見学路に沿って進むと虎口を抜けて最初にたどり着くのが五の郭である。ここは本丸である一の郭の手前を固める重要な曲輪であり、それなりの面積がある。ここから本丸へは木橋が架けてある。
本丸はかなり大きな曲輪で、奥にはハッキリとした土塁も見られる。曲輪内には件の姫が身を投げたという井戸もある。この井戸は「夜な夜な女のすすり泣きが聞こえてくる」などとオカルトスポット扱いになっているようだが、例によって霊感皆無の私には全く何も感じられない。まさにここで一族郎党討ち死にした城郭なので、その手の気配が何か感じられても良さそうなものだが、なぜかそのような空気は全くなかった。
二の郭を経て三の郭へ
本丸の先には巨大な空堀を隔てて二の郭がある。二の郭は本丸よりは小さな曲輪で奥に土塁があるが、その一角が櫓跡らしい。
土塁と空堀を越えた先にあるのが三の郭。ここは城域の一番北端を固める重要な曲輪であり、規模も大きい。
四の郭を見学してから八の郭へ
三の郭の西にあるのが四の郭で、ここはそう大きくない曲輪。ここの奥には土塁があり、その先を降りた先に九の郭があるらしいが、そちらは整備されてないようだ。
四の郭から二の郭や本丸を見上げながらグルリと五の郭に戻ってくる。ここを進む敵は周囲の郭から弓矢鉄砲を雨あられと撃ちかけられることになるだろう。
五の郭から八の郭に回り込む。ここは本丸の南東を固める最前線の曲輪になる。本丸とはかなりの高低差があり、万一この郭が落ちても本丸がすぐに攻撃されることはないようになっている。
土塁と空堀で厳重に守った平山城であるが、残念ながら所詮は地方領主レベルの城であり難攻不落の要塞とまでは言いがたい。地方領主同士の小競り合いならともかく、織田の大軍に攻められたらひとたまりもなかったであろうことは容易に想像が付く。天下統一が進んでいく過程で、この手の悲劇は各地で繰り広げられていたのだろう。平和な今の時代の人間だからこそ「戦国ロマン」などと言うが、実際には当時の人々にとってはひたすら血生臭い現実の連続だったのだろうと思われる。いつかはアラブなどにも平和が訪れて、今のイスラム国などのゴタゴタも乱世のロマンのように語られる時代が来るんだろうか。
桑名で宿泊する
もう既に日は西に傾いている。今日の予定はこれで終わりにしてホテルに向かうことにする。今日の宿泊地は桑名である。四日市から国道1号を北上。しかしこの道路はかなり混雑する道路であり、走るのが非常に疲れる。
日が沈みかけた頃にようやく桑名のホテルに到着する。宿泊ホテルはステーションホテル桑名。駅前の大浴場付きのホテルである。ホテルの駐車場に車を入れると荷物を部屋に置いて夕食のために外出する。
日没後の桑名の駅前をプラプラ。最初に向かったのは以前に訪問したことのあるはまぐり食道。しかしなぜかもう店が閉まっている。仕方ないので他の店を探すが、表通りにはこれという店がない。そこで裏通りに入ってみることにする。裏通りにはいかがわしげな店も。なかなか良い雰囲気になってきた。と言っても歩く道徳教科書と言われている私であるから、何もお姉ちゃんと遊ぼうと言うわけではない。経験則から、こういういかがわしい店のある地域の周辺においしい店があることを知っているからである。
ちょうど「清寿司」なる店を見つけたので入店することにする。寿司屋だが定食類もあるよう。そこで「牡蠣フライ定食」とやはり桑名で「焼蛤」を注文。
焼蛤はまあこんなもの。あさりの大きいのという感じである。牡蠣フライ定食はボリュームもある上に味も良い。たっぷり堪能して合計2050円。この店は正解だ。
夕食を堪能して帰ると、ホテルの大浴場でマッタリとくつろぐ。入浴後は多度で仕入れてきた和菓子が夜食。こうしてこの夜は更けていく。
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