寺山城を攻略する
ここのところライブ中心の遠征が増えて、やや引きこもり気味の行動になっていた。これでは体が鈍ってしまうというわけで、今日は岡山方面の美術館に立ち寄るついでに山城を一カ所攻略してくることにした。目指したのは寺山城。去年末の玉造温泉訪問の際に目にして、ずっと気になっていたのだがなかなか訪問する機会がなかった山城である。
当初予定では日曜の早朝に出発するつもりだったのだが、昨日意外と歩いたのが響いたのか体が重い。結局はそのまま朝に起きられず、何だかんだでグダグダと昼前近くまでつぶれてしまったのである。しかし日程的に今日行かなければ次の機会がいつになるやら分からない。ようやく鈍った体を鼓舞して昼前に出発した。
山陽道から岡山自動車道に乗り継いで賀陽ICまで。ここから山道を西進、途中から伯備線沿いの新見往来を備中川面目指して走る。備中川面に近づくと、正面に見える山上に明らかに山城があるのが目に入る。最初の案内看板と縄張り図は、備中川面駅手前で右折して橋を渡ってから、さらに踏切を北に渡ったところに立っている。
迷路のような経路を経て本丸至近の駐車場へ
ここからは山の東側を回り込む形で進んでいくと、途中で寺山城の標識を見かけるようになる。少し行ったところに登山口の案内看板があり、ここを登ると東端の馬場に出られるようであるが、周辺に駐車スペースがあまりないのと、この先にもっと本丸に近い駐車スペースがあるという情報を得ているので先に進むことにする。
進むにつれて道は山道になり、寺山城からかなり離れてしまう。本当に道が合っているのかかなり不安になった頃にようやく寺山城の看板を見かける。しかしこの看板はかなり痛んでいて、矢印がどの方向を指しているのかさっぱり分からない。ただ寺山城の方向は左側なのは明らかなので左折する。
住宅の間を抜けてしばし進むと再び看板が現れるので道が間違っていなかったことが分かる。しかしこの看板に従って左折した道はかなり狭い山道。もっとも舗装はしてあるし、車一台分の幅はあるから対向車でも来ない限りはノートで走る分には全く不安はない。ただ山城慣れしてない者なら完全に戸惑うだろう。
狭い山道をかなり走行するとようやく駐車場まで1キロの看板が。その先をかなり進んだところに駐車場の看板と門のようなものがあるのでここに車を置いて歩いて先に進む。なお道路はこの門の先にも続いていて、備中川面駅にたどり着くようなことが書いてあるが、この先を車で進む勇気はない。
本丸へ向かう
駐車場から舗装道路を少し歩くと、すぐに登山道の案内看板があり、ここにも縄張り図と説明看板が立っている。ここから城域に入るとすぐに本丸・西の丸方面と東の丸・馬場方面の分岐があるので、まずは本丸方面に向かうことにする。
寺山城の歴史は明らかではないが、難波経俊を城主と伝える記録や三好尊春が居城したと伝える記録があるとのこと。1572年には杉三郎重知が入城し、1574年~1575年に三村元親が毛利軍と戦った「備中兵乱」で毛利の攻撃によって重知は備中松山城に撤退、毛利軍の小早川隆景が寺山城に移って、辺りの青麦を刈り取って元親軍を兵糧攻めにしたとのこと。
結構大規模な本格的な中世山城だが、下草や樹木を伐採する整備がなされており非常に状態が良くて見学しやすい。これは実にありがたいことだ。
山の尾根筋に沿って曲輪が連なる構造の城郭だが、本丸はその中の最高所に陣取っている。周辺にいくつもの曲輪を連ねており、かなり防御が厳重である。
西の丸に向かう
ここから堀切を隔てて尾根筋を西進すると城域の最西端の西の丸がある。この西の丸の周囲も複数の曲輪で厳重に守りを固めている。
最後に東の丸に
再び一番最初の分岐に戻ってきてそこから先に進むと尾根沿いに東の丸に出る。手前にはかなり深い堀切があり、その先に東の丸が切り立っている。ここはかなり大規模な曲輪であり、攻防の拠点と言える重要な曲輪である。ここのさらに東側の下の方に馬場が見えるが、そこまで降りていくと戻ってくるのがしんどいし、遠目に見たところ特に何かがあるという雰囲気でもなかったのでそこまで行くのは止めにする。
なかなかの規模の城郭であり、整備状況も良くて非常に見応えがある。久しぶりに山城を堪能した。しかしこれだけの素晴らしい城郭にもかかわらず、知名度はほぼ皆無なのはなぜなんだろう。私の続100名城には余裕で当選である。
山城を堪能した後は長駆して笠岡の美術館を目指す。再び長い山道を走行することになる。
「竹内栖鳳の系譜」笠岡市立竹喬美術館で5/17まで
京都画壇の巨匠・竹内栖鳳の画塾である竹杖会に集った土田麦僊、小野竹喬、金島桂花などの作品を中心に、現代に至る日本画の流れをたどる。
竹内栖鳳に関しては、雀を描いた絵ともう一点、さらにスケッチなどが展示されている。エジプトのスケッチなど、先の姫路市立美術館での竹内栖鳳展で展示されていた栖鳳の油絵を連想させる。また土田麦僊の作品が数点あるのが興味深い。金島桂花については華鴒大塚美術館所蔵品が数点。
本展と併せて所蔵品展で小野竹喬作品が多数展示されているが、初期の頃のいかにも京都円山派の流れを汲む精緻なタッチの作品が複数あるのが、いかにも竹喬らしくなくて逆に面白い。
そろそろ日が西に傾いてきたので帰宅することにする。やはり久しぶりの山城もなかなか良い。どうもアウトドアに偏ってもインドアに偏っても良くないようだ。要はバランスか。