徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

大和三大中世山城の椿尾上城を攻略する

ホテルで朝食を済ませると出かける

 翌朝は7時半前に自動的に目が覚める。どうもサラリーマンの習性が身に染みついているようだ。シャワーを浴びて身支度すると朝食に行くが、もう既にほとんどの品がなくなっていて、スーパーホテルの簡易朝食が簡易を通り越して粗食になってしまっている。元よりスーパーホテルに朝食は期待していなかったが、それにしてもこれはあまりにお粗末すぎる。やはりこのホテルはルートインよりも一段劣る。

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残り物のようなスーパーホテル粗食

 朝食を終えるとチェックアウト。と言ってもこのホテルは何の手続きもないので勝手に出て行くだけである。今日の予定だが奈良地区の未訪問城郭を巡るつもり。まず最初は椿尾上城。筒井氏の城郭だったようだが、築城年代などは明らかではないらしい。ただし大規模な城郭であり、信貴山城、龍王山城と共に大和三大中世山城と言われているとか。ただ場所は名阪国道のΩループの上ぐらいということは知っているが、現地には案内看板もないとの話なので、出たとこ勝負に近い。

 

 

椿尾上城へ

 名阪国道を五ヶ谷ICで降りると、そこから路地沿いに北上する。Ωループの北にある城山と表示されているところが目的地で、これはグーグルマップにも掲載されている。集落を抜けて舗装された山道を走っていくと、この道路は唐突に終わっていて横に舗装された林道があるので、ここから車を置いて歩いて行くことになる。

今はGoogleマップにも表示がされている模様

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この山道の行き止まりから左の林道を進む

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出典 余湖くんのお城のページ

 道はあるのだが、難儀なのは何カ所か分岐があって道を迷わせる仕掛けがあることだ。私が認識した分岐は4カ所で、これを左右左右と行くのが正解(昔のゲームの裏コマンドのようだ)。基本的に登っている道を進めば良い。最後の分岐を登った道には車止めのためか鎖が張ってあるので、これをくぐって少し歩くとすぐに城内にたどり着く。

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ここを左

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ここは右

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ここを左

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ここの右を登る

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鎖が張ってある

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鬱蒼とした城内にたどり着く

 

 

迷路を抜けた先は鬱蒼とした森林

 内部は鬱蒼とした森林で「昼なお暗い」という状況である。薄暗い上に樹木が多すぎるせいで全体の構造を把握しにくいが、大規模な複数の曲輪からなる城郭であることは把握できる。

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数段の曲輪があるようだ

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下の方まで曲輪が続く

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部分的に石垣が残存

 土塁を巡らせた大きな曲輪が2つあり、一方には見張り台のような高所がある。ここに立って見渡すと、城はかなり先まで続いているらしきことが分かる。ただあまりにも薄暗い。少し太陽に雲がかかると真っ暗になって不気味なぐらい。その中を単独行で探査するのは孤独感が半端でない。

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見張り台のような高所

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裏手はかなり急

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土塁を巡らせているのが分かる

 本丸に当たるのは裏手の山頂らしい。ここはあまり人が立ち入らないのか鬱蒼としていて道が消えかけている。そこを意を決して進んでいくと、一番奥に土塁に囲まれた曲輪があり、そこには神社が建っている。ここが主郭だろう。なおこの主郭の手前にも同規模程度の曲輪があり、その先には大きな堀切が切られている。

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鬱蒼とした主郭

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祠が建っている

 なかなかの規模の城郭であり、続100名城Bクラス相当というところか。ただ惜しむらくは全く何の案内看板等もなく、素人が入り込んでも全貌を把握しにくいことである。私も余湖氏の縄張り図と首っ引きでようやく自分がいる位置が把握できた状態。せめて本丸の表示ぐらいは欲しいところだが、地元では史跡として扱われていないのだろうか? それともここは林業用の山のようだから(やけに細い木が密集しているのが気になるが、明らかに下枝は払われている)、所有者の意向か? まあ山の所有者にしたら、観光客がドカドカ入ってきても山が荒れるだけで何のメリットもないが。

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