徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

羽黒城跡に立ち寄ってから中部フィルのコンサートへ

ホールの手前に城跡が

 昼食を終えたところでそろそろホールに移動することにする。ホールがあるのはこの周辺ではなくて、一駅隣の羽黒駅。名鉄小牧線で移動だが、結構距離がある上に途中で単線のすれ違い待ちがあったりで意外と時間がかかる。

 羽黒駅を降りると市民文化会館を目指す。案内によると徒歩7分とのことだが、実際はもう少しかかりそうな気がする。町はどことなく微妙な風情のあるところで、細い水路が通っているところがある。それを過ぎて進んだところで突然にビビッと感じるものがある。建設中の薬店の裏に小山のような竹林があるのだが、もしかしてそこは城跡ではないだろうかという直感である。あの辺りが城跡で、先ほどの水路が外堀のなれの果てという気がしてならない。そこで直ちにスマホで調査したところ、やはり私の直感通りそこの竹林が羽黒城跡らしいことが判明。まだ開演時間までに余裕があるし、行きがけの駄賃とばかりに立ち寄ることにする。それにしても最近私は地形を見ただけで城のありそうな場所が推測つくようになってきた。各地の城跡を回りすぎた成果か。

 南側に回り込むと入口があり、そこに説明看板が置いてある。これによると羽黒城は1201年に梶原景親が築城したという。梶原景親は頼朝の信望深い御家人であった梶原景時の孫である。権勢を誇った梶原景時だが、頼朝の死後に滅ぼされ、一部の遺族がその孫(景親)を囲んでその乳母である隅の方のゆかりのこの地にのがれて来て住み着いたとのこと。景親から17代目の景義は信長に仕えたが、本能寺の変で討ち死にして梶原家は絶えたという。1584年には小牧山合戦に際して秀吉がこの城を修復して城塞を築くが、その城塞も焼けて廃城となったとのこと。

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入口の案内看板は落ちている

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土塁を進んでみる

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石碑があるのはかつての櫓台跡か

 現在残っているのは南側の土塁。その一角の小高くなった部分に石碑が建っているが、ここは櫓台というところか。土塁の北側には堀跡ではないかと思われる窪みがある。土塁の北側の竹林になっているところが城郭だったとのことだが、それなら土塁の北側にあるのが堀だとしたら、曲輪の中に堀があるのはどうも奇妙である。城の本丸が土塁の南側で土塁の北側が二の丸だというなら分かるが。なおこの竹林の北側の道路沿いにもわずかに土塁のような痕跡がある。どうも城域の全体像が描きにくい。西にある興禅寺が城郭の一部だったとの情報もあるようだし、やはり本丸は土塁の南側の今は完全に住宅地になってしまっている辺りだったのだろう。

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土塁の向こうに降りてみる

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土塁の手前に堀があったような痕跡が

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曲輪跡は完全に竹林

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北の道路の手前に土塁の痕跡のようなものが

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そこを越えると市民会館

 

 

お城の先が目的のホール

 ここの北にある公園に景親が所有していた名馬「磨墨」を葬った塚があるが、この中に先ほど登場した隅の方の墓所もある。ここは史跡公園ということらしい。目的の犬山市民文化会館はこの北である。

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名馬を葬った磨墨塚

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そこに隅の方の墓所もある

 会館に到着すると入口前に大行列が出来ている。今日のコンサートは全席指定ではなく、半分ほどは自由席になっているので自由席の客が行列を作っているようだ。指定席券を有していると見られる連中は行列には並ばずにその辺りをウロウロしている。なお私もその内の一人。

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犬山市民会館

 まもなく開場時刻になり、行列がゾロゾロと入場。私は別に急がないので、行列がはけてからその後に付いていく。会場は一階席だけだが結構な広さがある。なおホールの中央付近が特別席で、その周辺が指定席、さらに周辺が自由席である。私は特別席を押さえている。

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客席は結構広い

 典型的な地方の文化会館と言うべきホール。いわゆる携帯無効化装置を装備していないようで、ホール内で普通に3G接続で携帯がつながる。この時に私は今日発売のPACのコンサートのチケットを予約し忘れていたことに気づき、開演前にホール内から予約。山頂やらホール内やら、一体私はいつもどこからチケット予約をしてるんだ。

 

 

中部フィルハーモニー交響楽団 第48回定期演奏会 (犬山公演第8回)

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指揮/堀 俊輔
ヴァイオリン/漆原 啓子

チャイコフスキー/幻想的序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35
チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」

 非常に頑張っているなという印象を受ける演奏。しかしこれは技術的にはあまりうまくないことも意味する。各楽器の音色、アンサンブルの精度などの点で国内でも一流のオケよりは劣ることは明らかである。そのためにロミジュリなどはかなりゴチャゴチャした印象の演奏になったが、金管などの頑張りもあって演奏自体はまとまっている。

 バイオリン協奏曲はソリストの演奏テンポが微妙に揺れるため、バックのオケがそれに合わせるのに苦労している感があり、全体のまとまりが怪しい箇所がいくつかあった。

 悲愴についてはなかなかの熱演。最初のロミジュリよりも演奏の精度が上がったように感じられるのは練習量の問題か。技術的には決して高いとは言えないオケだが、堀の指揮に従って緊張感のある演奏を行っていた。

 堀は全身を使ってオケを誘導しようとしているのが伺える。テンポなどにメリハリをつけた指揮だが、その意志は十分にオケに伝わって熱演につながっていた。

 悲愴についてはなかなかの名演だった。耳が腐ってるんじゃないかと言われることを覚悟してあえて言えば、先日に聴いたコンセルトヘボウの悲愴よりもむしろ満足度の高い演奏であった。個々の奏者の技量は勝負にもならないが、全体を統制する意志のようなものが見えた演奏で、それが面白さにつながった。一匹の狼が率いる羊の群は一頭の羊が率いる狼の群を駆逐するなどと言うが、まさにそのような印象であった。

 バイオリン協奏曲の第一楽章終了後に拍手が起きることはなかったが、悲愴の第三楽章終了後の拍手はあった。あまり客層が良いようには感じなかったのだが、それでも先日のフランクフルトの客層よりは良いということになるのか。あのコンサートは明らかに日頃はクラシックのコンサートに顔を出さないと思われる連中がゾロゾロといた。

 

 

夕食は今日も名古屋飯

 公演時間は2時間半ほどとやや長めであった。来しなにはぱらつく程度だった雨がホールを出た時には大雨になっていた。しかも最近は日没時刻が早くなっているようでまだ6時前なのに真っ暗だ。その中を駅まで急ぐ。

 名古屋まで戻ってくると、夕食を摂るために名鉄百貨店のレストラン街を覗く。うなぎもチラリと頭をよぎったが、相も変わらずここのうなぎ屋は大行列の模様。1時間~1時間半待ちとの表示が出ている。うなぎは昨日食べているので、今日はもう一つの名古屋名物にしておくことにする。隣の山本屋総本家に入店する。親子煮込みうどんにご飯を付ける名古屋式メニューを注文。

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名鉄百貨店の山本屋総本家

 赤味噌の渋味や酸味まで感じられるぐらいの濃厚な出汁にガチガチの固いうどん。これがまさしく総本店の味。あまりの濃厚さに最初に来たときには違和感が強かったが、もはやずいぶん慣れた感があり、最近は出汁をすすったりもする。私も大分名古屋に染まってきたようである。

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味噌煮込みうどんにご飯を添えて

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熱々でガチガチのうどん

 濃厚な名古屋飯夕食を終えると送迎バスでホテルまで。それにしても疲れたと思ったら、今日は昨日以上の1万4千歩も歩いていた。疲れが溜まるはずである。大浴場で体をほぐしてからマッサージチェアで疲れを抜き、早めに就寝する。

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