三段壁を見学する
翌朝は7時過ぎに目覚ましで起床するが、体がズシッと重い。昨日の山城巡りは思いの外ハードすぎたようだ。
朝風呂を浴びて体を目覚めさせると、レストランで朝食。どことなく研修所のようなメニューである。
9時前ぐらいにはチェックアウトをして、三段壁に立ち寄ることにする。まだ遠くから観光客がやってくる前なので駐車場も空いている。町営駐車場に車を置くと海岸までプラプラと散策。もう既に土産物屋も営業を開始していて団体客などもやってきている。
三段壁の一番の見所は洞窟。ここは船隠しの洞窟とも言われ、熊野水軍などの隠れ軍港だったらしい。ここを見学するには入場料を払ってエレベータで降りることになる。入場料は1300円と少々高い。
三段壁洞窟は波の浸食によって出来たものらしい。太平洋の荒波の破壊力と言うことか。洞窟内には弁財天の像も鎮座しているが、これは腕が八本のタイプの弁財天で、インドの原型に近い方のようである。熊野水軍の軍港なら、腕が二本の財産や芸事の神よりも、八本の腕に武器を携えた軍神としての弁財天の方が合っているだろう。
険しい山上の岩室城を訪問
三段壁の見学を終えたところで白浜を後にすることにする。今日は和歌山に立ち寄って帰るだけだが、その前に最後に一カ所だけ山城に立ち寄ることにする。目的地は岩室城。築城年代は不明であるが、平安末期には既に歴史に登場する。平重盛の末子の平忠房が屋島の戦いで敗れて湯浅の地頭である湯浅宗重のもとに身を隠していたが、それを聞いた源頼朝が阿波成長に命じて攻めさせ、湯浅氏はこの城に五百余人で立て籠もって三ヶ月も激しい戦いを続けたという。その後、畠山氏の元で修築されるが、1585年に秀吉の南征で壊滅したとのこと。
湯浅御坊道路を有田ICで降りると北上する。有田川を渡ると北側には高い山が並んでいる。この山の一つに岩室城があるらしい。上まで車で登れるとのことなので住宅街を抜けて進んでいく。随所に案内看板が立っているので道を迷うことはないのだが、その道がミカン畑の農作業車用の道なので基本的に軽トラ仕様。大きな車だと入るのは不可能だし、私のノートでも道幅は一杯。しかもノートで登れるのか心配になるような急斜面も何カ所か。ガードレールなどはないのでもし道を踏み外せば山上から真っ逆さまで確実に死ねるというルート。しかし一旦入ってしまったら引き返せるポイントもないので行けるところまで突き進むしかない。ギアをローに入れて冷や冷やでゆっくりと進んでいく。かなり高い山上まで登っていったところ、獣除けフェンスに突き当たってその前に車を置けそうなスペースがあったので、そこに車を置いてここから歩いて進むことにする。
歩いてしばらく進むと農作業中の人に出くわしたので尋ねたところ、さっきのゲートを開けてさらに先に車で進めたとのこと。確かに道はまだ続いており、徒歩で数分登った終点には登山者用の駐車場もしっかり整備されていた。しかしこの辺りは事情を知らない余所者には恐くてなかなかそこまで進めないところ。
城自体は非常に整備されている
ここからは山道になるのだが、その距離は大したことはない。通常なら5分もかからない。ただ計算違いは私の膝が全く上がらなくなっていたこと。昨日のダメージが確実に足腰に来ているようで、一向に足が前に出ない。ヨロヨロしながら何とか山上にたどり着く。
下草は刈っているようだし、看板まで整備されているということは地元の有志などがキチンと整備しているのだろう。そういう意味では先ほどのアクセス道路の怖ささえなければ訪問するのには良い城郭である。
岩室城自体は非常にシンプルな作り。小さな曲輪がいくつか連なっているだけである。そもそも中世の城郭であるので、構造で防御するのではなく地形で守る仕組みになっている。大体こんな高い山の上まで誰が攻め上るんだろうという印象である(阿波氏はここを攻め上がったんだろうが)。
城跡の見学を終えると慎重に山を下りてくる。傾斜が結構ある上に落ち葉が積もっているところがあるのが嫌なところ。もしズルッといったら命取りである。下まで降りてきた時にはホッとする。
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