徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

諏訪湖周辺城郭(武居城、大熊城)攻略

名古屋飯朝食を摂ってから諏訪湖へ

 翌朝は7時に起床する。やや体が重い。しかし今日は諏訪まで長駆する必要がある。シャワーを浴びて気合いを入れる。

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キャッスルイン小牧の名の由来でもある小牧城

 朝食はお約束通りのバイキング。品数はイマイチだが、名古屋名物小倉トーストなど奇妙なご当地食がおもしろい。

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朝食バイキング

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名古屋と言えばやっぱりこれ

 8時過ぎにはホテルをチェックアウト、中央道を突っ走って諏訪湖を目指す。中央道は勾配がキツいのでそういう点での運転はしんどいが、道路の混雑はそれほどではない。ただ休憩を取ろうにも途中のSAは軒並み混雑警告が出ている。また調子よく走っているとトラップもある。走行中に怪しげな雰囲気の黒い車を見かけたので様子を見ていたら、私の横を一台のバンが抜いていった途端にその車から赤色灯が。やっぱり覆面だったようだ。こういうところでも彼らは小遣い稼ぎに余念がない。

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ようやく諏訪湖に到着した

 

武居城を攻略する

 結局は2時間ほどをかけて諏訪まで一気に突っ走ることになる。ようやく諏訪に到着するとここから山城巡り。本命は有賀城だが、位置的な関係からその前に二カ所ほど立ち寄るところがある。まず最初に立ち寄るのは武居城。諏訪湖の南岸にある中世の城郭である。1330年に執権北条高時の婿となった諏訪五郎時重がここに居城として築いたが、その3年後に北条氏滅亡の際に時重は高時と共に自害する。その後、諏訪惣領家の打倒をもくろんだ諏訪継満がここを修築して本陣にし、干沢城の諏訪勢と対峙したことが歴史に残っている。1542年に武田信玄が諏訪に侵攻した際には、諏訪頼重の家臣の篠原弥三郎が城代だったが落城、以降は諏訪大祝が預かることになるが、1585年に諏訪頼忠が諏訪一円を回復した後に廃城となったという。

 武居城は現在は森林公園になっているという。案内に従って車で進むとゲートがあるのでその前に車を置いてそこからは徒歩で進む。ところでこのゲート、車両進入禁止の表示はよいのだが、反対側には「動物進入禁止」の表示があった。どうやらこの辺りの鹿は表示を読めるぐらい知的レベルが高いらしい。もっとも表示に従う遵法精神を有しているかは不明だが。

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動物除けゲートを抜ける

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どうやらこの地の野生動物はかなり知能が高いようだ

 ゲートを過ぎて山道をしばらく進むと遊歩道があるのでそれを進む。この道はいわゆる堀底道なのだが、足下は整備されているので進むのに不安はない・・・のだが、歩き始めて数分もせずに息が上がってしまう現在の私の体力の情けなさ。太股は大丈夫なのだが、ふくらはぎがつりそうな状態。相当に脚力が衰えている。

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入口の案内が出ている

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堀底道を進む

 ヘロヘロになった頃に案内看板のところに出てくる。どうやらこの脇の尾根上が本丸らしい。尾根筋に沿って複数の曲輪が連なっている構造になっている。

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ようやく看板が見えてくる

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通路の右手が本丸

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斜面に沿って数段の曲輪が

 こういう尾根筋上にある城郭は背後からの攻撃がもっとも弱点なのだが、そちら側はかなり深い竪堀を掘って土橋状にしているので、一気に攻めるのは無理になっている。当然の防御である。難攻不落の堅城というほどではないが、中世の城郭としては防御は堅い方だろう。

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背後の尾根筋は土橋になっている

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両側はかなり切り立っている

 

諏訪博物館を見学してから大熊城へ

 武居城の次は大熊城を目指す。ただその途中で諏訪博物館の近くを通ったので立ち寄ることにする。博物館の展示は御柱祭に関する特別展示とこの周辺の考古学的な展示。やはりこの辺りもかなり早くから人間が住んでいたようで、石器やら土器の類はかなり出土しているようだ。

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諏訪博物館

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御柱が置かれている

 軽く博物館を見学してから改めて大熊城を目指す。大熊城が歴史に登場するのは先の武居城で出てきた諏訪大祝と惣領家の対立に関連して。大熊城は諏訪惣領家側の城として戦いに参加しているという。

 地図で見た時には「本当にこんなところに城を造ったのか?」と疑問を感じていたのだが、実際に現地を訪れると狭い道をかなり登っていく必要があり、結構な高さの台地上になる。確かにここは城を造るには格好の場所である。

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かなり狭い道を登っていくことになる

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本丸の一部が残っている

 もっとも現在は高速道路がかつての城域の真上を通っているので、残念ながら残存する遺構はほとんどない。その中で往時の姿を想像するしかない。

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かつては高速道路の向こうまでが城域だったらしい

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