「遙かなる山-発見された風景美」松本市美術館で9/4まで
山を描いた絵画を展示と言うことで、明治時代辺りの日本画から、大正以降の洋画まで幅広い展示。なかには「山ガール」(と言うよりも当時は「モガ」)の絵画まで。
あまりピンとこない作品も多かったのであるが、展示作の中には山本春挙の作品なんかまで含まれていたのが興味深い。同じ山の絵でも画家が変われば描き方が根本的に変わることがよく分かる。
なお松本市美術館は草間彌生関連の常設展もある。松本は草間彌生関連が多い。
犬甘城 松本城西の城郭
もうとっくに昼を過ぎているので昼食を摂りたいのだが、松本市の中心まで来てしまうと車が邪魔で入店できる店がない。これはさっさと車を返却してしまった方が得策だと感じたが、その前に犬甘城だけ見学しておくことにする。ここは今では公園化していると聞いている。
犬甘城は松本城から北西方向にある山上にある。今では城山公園になっているので随分となだらかな印象があるが、高度は高くて松本市街を見下ろす位置になる。
犬甘城は奈良井川岸の崖上にある連郭式の城郭である。各曲輪は堀切で分断してあり、西側は自然の断崖でこちら側の防御力はかなり高い。しかし東側にはゆるやかな斜面になっており一見したところ防御力は皆無である。こちらは現在は公園化されているが、恐らく往時には何らかの防御機構を備えていたことは間違いないだろう。多分、複数の土塁や大規模な堀などが巡らされていただろうと推測する。そうでないとここは城郭として成立しない。
一番南側の曲輪には展望台が立っている。ここからは松本市街や背後の山々が一望できるのだが、板子一枚下は地獄感が強い今ひとつ頼りなげなタワーのために、私の高所恐怖症が発動して落ち着いて風景を見るどころではなくてさっさと降りてくる。
松本で昼食を摂ってから帰る
これで松本での予定はほぼ終了。早めだが車を返却してしまうと、駅前で昼食を摂る店を物色。しかし平日の昼過ぎのしかも昼食時を外してしまっているために開いている店自体が少ない。結局は駅近くのそば屋で昼食としたが、これが完全なハズレ。何とも残念な結果に。
とりあえずの昼食を終えると、後は駅の売店で土産物を物色してから4時のワイドビューしなので名古屋に向かう。結局は最後まで松本では雨は降らずじまいだった。なおこの頃、関東では大雨で各地で浸水被害などが出ていたということを知ったのは帰宅してからである。あえてここで東京の放送局的な言い方をしておこうか。「台風は幸いに関東にそれたので、警戒していた割には松本では大したことがなかった。」(以前に東京のテレビ番組でもろにこういうような発言をしたコメンテーターがいるのである。その時の台風は後に東北で甚大な被害をもたらし、特にリンゴなどが壊滅して件の発言は大顰蹙を買うことになるのだが。放送局の東京中心主義を象徴するような一件だった。)
名古屋で夕食を摂ってから帰宅
松本は晴天だったのだが、塩尻辺りから雨が降り出し、木曽福島辺りでは豪雨となっていた。しかしそこを過ぎるとまた晴天。とにかく目まぐるしく天候が変わり、局地的には豪雨になっていた模様。その内にしなのの長旅の途中で私はウツラウツラと意識を失い、次に気がついたら中津川までやって来ていた。名古屋方面は台風なんか全く無関係の晴天というか灼熱地獄。この頃の西日本はカンカン照りでとんでもないことになっていたのを知ったのも帰宅してからである。
名古屋駅から一旦出ると夕食を摂ることにする。往路での名古屋ではひつまむしを食っていないので、ここでこれを食べて帰るつもり。立ち寄ったのは名古屋タカシマヤの上にある「竹葉亭」。以前にここで江戸風ひつまぶしを食べたことがあるので、今回は名古屋風ひつまぶしを注文。
江戸風と名古屋風の違いはうなぎの焼き方。江戸風は蒸してふわっと、名古屋風は蒸さずにパリッと焼く関西風。こちらの方がうなぎの香ばしさは出る。しっかりとうな茶まで堪能して夕食を終える。
幸いにして懸念していた新幹線ダイヤの乱れはなく、定刻通りにのぞみに乗車することが出来、予定よりも早く帰宅することになったのである。帰り着いた我が家では、丸四日間冷房を切ったままになっていた私の部屋が40度越えの灼熱地獄となっていて、さながらサウナルームと化していたのであった・・・。
小沢フェスティバルをメインに据え、往路で京都、名古屋とライブを拾っていったのが今回の遠征だが、どのライブもそれなりに充実したものであった。また浅間温泉もなかなか良かったし、松本で立ち寄った山城も特に桐原城が非常に良かった。ちょうど台風に出くわしてしまったのでそれが気がかりだったが、台風が東寄りの進路を取ったおかげで結果的には松本では適度に曇って暑すぎない格好の山城日和になっていた。これも私の日頃の行いの良さの賜物というものだろうか(笑)。