翌朝は7時に起床。なかなかよく寝た。やはり私はベッドよりも畳に布団の方が相性が良いのだろうか。
目が覚めると朝食前に朝風呂。最高の湯ですっかり小原庄助さんである。
風呂で体を温めたところで広間で朝食。朝から和食がうまい。
青井阿蘇神社の参拝
10時前にチェックアウトすると、とりあえず車は置いたまま近くの青井阿蘇神社の見学に出向く。藁葺きの社殿や門が趣のある神社で、国宝に指定されている。境内には多くの観光客がひしめき、団体客なども来ているようだ。
永里城(花牟礼城) 上村城から尾根続きの山城
神社の見学を終えると車に乗り込み次の目的地へ。今日の予定だが、昨日時間不足で見学できなかった永里城(花牟礼城)を見学するつもり。昨日訪問した上村城に隣接しており、ハイキングコースでつながっているとか。今日はそのハイキングコースを逆からたどることになる。
永里城への登り口は、ビハ公園ハイキング場に向かう道の途中にある。案内看板が出ているので、入口前に車を置くとハイキングコースを徒歩で進む。最初は林道だったのが途中で山道が分岐し、こちらがハイキングコースになる。
ハイキングコースは木で段が作ってあるが、数年前に整備してそのまま放置されているのか半分朽ちてしまっている。こういう点ではコンクリート丸太の方にメリットがあるか。丸太がなくても斜面を登るのには問題ないがコースが分からなくなってしまう。丸太の残骸を追いながらの登山だが、困ったことにコース上に何本も巨大な倒木が転がっていて進行を妨げる。かなり前にハイキングコースが設置されたものの、その後に定期的にメンテナンスされている様子がない。後5年も放置されたら、丸太も完全に朽ちてしまって、もうコース自体が全く分からなくなるのではなかろうか。
山頂まで25分とのことだったが、息を切らせながら15分ほどで上村城(麓城)との分岐点にさしかかる。山頂はここから5分とのこと。
最後の一踏ん張りでようやく城内らしき削平地にたどり着く。ただ内部はかなり藪化していて全貌がつかみにくい。三の丸とでもいうところか。ここを進むと奥に崖があるのだが、本丸はこの上のようだ。
一番の最高所が本丸だが、ここも鬱蒼として先に進むのをためらうぐらい。その鬱蒼とした中に城跡碑が埋もれている。やはりこれは数年単位で放置されているようだ。今では山頂に登る者がほとんどいないのだろうか。登る者がいれば少なくとも道ぐらいは残るものだが。
本丸から西に降りたところに曲輪がある。ここが二の丸というところか、この曲輪の先端は、先の尾根と堀切で断ち切っているようである。
永里城はそこそこの規模のある山城だが、縄張りにあまり個性はない。ただそれよりも、もう少しキチンと整備して欲しいところ。
鍋城 農地化と藪化で遺構はつかめず
永里城を後にすると鍋城に向かう。鍋城は小集落に隣接する丘の上にある。この丘に沿って車を走らせると登城口を示す看板が立っている。この看板の辺りから登れそうな雰囲気があるので進みかけるが、よく見ると登城口は北に300メートルとの表記がある。結局は先ほど通過した集落の中に登るための道がある。この道は農作業用の軽トラなどが登るための道のようである。おかげで周辺もかなり加工されていてかつての遺構は不明。
丘の上も梅畑にかなり農地改変されているようで、かつての城の遺構はサッパリ分からない。丘の上はかなりの面積があるのでそれなりの城郭を築けただろうことは分かるが、それ以上は構造をつかめない。また丘の南の方には朽ち果てた畜舎の残骸があるが、その周辺までがかなり竹林化しており、進むことも地形を確認することも不可能。梅林の方はまだ手が入っている様子があったが、ここが放棄されたらほどなく丘が丸ごと竹林に埋もれてしまうだろう。竹というのはかなり侵略性の強い生物であり、各地で繁殖が問題になっている。昔のように日用品などに竹を使用したら良いのだが、今は効率一辺倒でそれらがすべてプラスチックに置き換えられてしまったので、放置される竹林が増えている。
えびすの湯で汗を流す
永里城の見学を終えたところで、一汗流していきたいと考える。ここに来る途中で多良木駅の近くでえびすの湯という入浴施設を見かけたので立ち寄ることにする。
多良木町ふれあい交流センターとあるが、確かに典型的な地方のスパセン付き交流センター。浴場は内風呂と露天風呂に歩行風呂などという変わったものが付いている。ただ露天風呂は温度が低すぎて寒くて入れず。炭酸水素塩泉との情報もあるのだが、現地には温泉との表記はどこにもなく、浴感もただの新湯。球磨盆地はあちこちに温泉が湧くイメージがあったが、そうでもないのか。
昼食のために人吉に戻るが・・・
入浴して汗を流したところで、昼食のために人吉に戻ることにする。昨日は上村でうなぎを食べたので、今日はしらいしにでも立ち寄ろうかと考えていたのだが、いざ戻ってみるとしらいしは今日は休み。おかげで上村には昨日以上の大行列。完全に無駄足になってしまった。どこか他の店をと思ったのだが、思いの外人吉は飲食店が少ない。
高山城 現在は公園整備されている高山上の城
結局は昼食を食いそびれたまま次の目的地へと向かうことにする。次の目的地はここに来る途中で見かけた高山。ここの山上には遠目でも分かるぐらい明らかに山城の跡があり、やはりここは立ち寄る必要があるだろうと判断した次第。
山頂近くまで車で登れるとの情報があったので、運動公園の案内看板を目印に入り、そこから未舗装の登山路に車で乗り入れたのだが、それは結果としては失敗だった。凸凹の狭くて急な道を散々遠回りさせられて何度も恐い思いをする羽目になってからようやく山頂にたどり着いたが、山頂にたどり着いてみるともっと広くて整備された道があることに気づいた。どうやら南から来て一つ目の看板で曲がったのが間違いで、二つ目の看板で曲がってから、運動公園から左に上がる舗装道路を進むのが正解コースだったようだ(しかも後で調べてみたら、グーグルマップのストリートビューまであった・・・)。
行き止まりに小さな駐車場があるので、そこに車を置くと徒歩で山頂に向かう。山道は完全に整備されているので足下に全く不安はないが、急斜面につけてある道なので、よろめいて転落したら命取りではある。実はこの時、既に足下はこれまでのダメージでふらついてきていた上に、昼食抜きで若干の目眩も起こっていたので、実はこの行程が意外に危なかったりする。
山頂までは5分もかからない。通常の状態なら鼻歌でも歌いながら楽勝である。山上は展望台として整備されており、一応は城跡碑が立っている。それによると文治建久の頃に深田の地頭平河太郎盛高が築いた城がここにあったらしい。確かに山頂から見下ろすと曲輪の跡らしき削平地も見える。ただもう既に足が終わってしまっている上に、先ほどの山道走行で精神もすり切れており、そこまで降りる気力と体力がない。
もう体力も精神力もほとんど切れてきたので早々に山を降りてくる。しかしここで問題となったのは「さてこれからどうするか」。正直なところもう予定が全くなくなってしまった。余剰時間は2時間ほど。どこか立ち寄るところでもあるかどうかを探しながら人吉方面に戻ってくる。
おかどめ幸福駅に立ち寄る
途中で「幸福駅」という表示を見たところで思いついて立ち寄ることにする。くまがわ鉄道におかどめ幸福駅なる駅があり、それがいわゆる開運スポットなのだとか。駅の隣の売店では定番の「幸福行き切符」なんかも発売されている。
この駅名、そもそも適当につけたわけでなく、この近くに開運にまつわる神社があるからとのこと。伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀った岡留熊野座神社なる神社が開運の神社としての御利益があるらしい。と言うわけで、どうも人生の幸福から見放されている私も、今後の幸福を祈ってその神社を参拝しておく。しかし試しに引いたおみくじは「仕事:一から出直すことも考えよ。恋愛:誰にも言えない悲しみがある。縁談はまとまりにくい。健康:健康状態の立て直しを図ろう。病気は警戒を要する。学業:基礎になる部分がどこかかけていないか。」といった惨憺たるもの。しかしまさに現状そのものだわ・・・。
フラッと立ち寄った駅で予想外に時間をつぶしてしまい、もう時間の余裕が少なくなってきたので、人吉に戻るとかなり遅めの昼食を摂ることにする。町のはずれで見つけた「松田うなぎ屋」なる店でうなぎを頂く。しかし時勢柄ボリュームが少な目。
遅めの昼食を終えたところでそろそろ時間。高速に乗って鹿児島空港まで移動する。
鹿児島空港でレンタカーを返すと帰り便の出発待ち。まだ時間の余裕があるので、かなり早めの夕食にする(さっき昼食を食ったばかりの気もするが・・・)。空港内のレストランで軽く(?)夕食。きびなごがうまいな・・・。
この日はこの後、ANA便で帰宅することになったのである。機体が小さいのに振り替えられたらしく、3名溢れたから誰か翌朝便に振り替えて欲しいとアナウンスしていた。補償金が出るみたいだから私も暇なら名乗り出てもよかったが、明日は仕事だし・・・。ちなみにANAは補償金を出して振り替え志願者を募ったが、ユナイテッドの場合は問答無用でアジア人乗客を指名して、抵抗すれば暴力で強制的に引きずり下ろすとのこと。さすがにアメリカンクオリティである。大統領にあのような人種差別推進派が当選したことで、こういう事件はこれからさらに増えるだろう。アメリカも明らかに落ち目になった。