翌朝は7時過ぎまで爆睡。目が覚めるとまずはサゴーロイヤルに朝風呂を浴びに行き、ついでに朝食を摂ってくる。朝食はバイキングで和洋両対応だが、昨晩に食い過ぎたのかあまり食は進まない。
帰りに山喜の風呂にも立ち寄っておく。このホテルの風呂は向かいの建物の一階にある小さなもの。狭いし、閉塞感もあり、それでいて特別に湯が良いというわけでもないので、これはサゴーロイヤルのものを使う方が正解である。
遊覧船で浜名湖を見学
朝食を終えてしばしマッタリすると、この日は9時頃にチェックアウトすることにする。今日の予定だが、浜名湖周辺地域の城郭を巡るつもり。ただその前にホテルで浜名湖遊覧船のチケットをもらっているので、どうせだから乗っていくことにする。1時間コースと30分コースがあるらしいが、湖を1時間もウロウロしても退屈するだろうと思ったので、30分コースに乗ることにする。
遊覧船の舘山寺港はホテルのすぐ向かい。すぐに船が入ってくるが、そう大きな船ではないのですぐに一杯になる。眺望は上の階の方が良いのだろうが、今日も茹だるような暑さなので、冷房の効いた室内に留まることにする。ところで舘山寺港や船内のあちこちで妙なイケメン侍の看板を多数見たが、これはまた何かのアニメだろうか? いわゆる美少年ワラワラの腐女子向け逆ハーレムものを昔に置いたような雰囲気の作品と思われるが、いくらなんでも眼鏡の忍者はありえないだろう・・・(しかも今風の四角の縁の眼鏡なんて)。
港を出た船はまずはかんざんじロープウェイの下を通って内浦を進み、フラワーパーク港に立ち寄る。海沿いに建ち並ぶホテルや遊園地を海側から眺めることになる。フラワーパーク港からはさらに大勢が乗り込んできて、船内は完全に満員状態である。
フラワーパーク港でUターンした船は浜名湖に出て行く。まずは東名高速道路の下をくぐる。船内放送によると、湖北には姫街道と呼ばれる街道があるらしく、それは「入鉄砲に出女」で東海道では女性へのチェックが厳しかったことから、それを嫌って大名の妻女などがこちらの街道を通ったことからそう呼ばれたとか。
遊覧船は再び東名高速道路をくぐると、舘山寺の南の方まで回って一周してから舘山寺港に戻ってくる。以上で30分の遊覧コース。特に何があるというようなものでもないが、それでもなかなかに面白かった。
遊覧船を下りるといよいよ城郭巡りに入ることにする。一番最初に立ち寄ったのはかんざんじ温泉から北に向かった先にある刑部城。
刑部城 徳川家康に落城させられた今川の悲劇の城
「刑部城」は先に登場した姫街道沿いの要衝を守る今川配下の城郭であったが、勢力を伸ばしてきた徳川家康に攻められ、ひとたまりもなく落城したとのこと。その際に、城主の姫が近くの金襴の池に身を投げたという伝説がある。
今は金襴の池も埋め立てられて痕跡もなく、城跡は小さな神社となっているのみ。この神社があるのが本丸でその一段下が二の丸だと考えると、規模からしてせいぜい100人程度も籠もれれば良い方だし、地形もさして険阻とは言えず、徳川の大軍に攻められるとひとたまりもなかったろうことは想像に難くない。
堀川城 同じく家康に攻められた城
次に訪ねたのはこの西にある「堀川城跡」。今日では田んぼの中の道沿いに城跡碑があるのみで遺構と言えるものは全くないが、ここは地形的に見て水城だったと推測される。この城には一揆勢が立て籠もったらしいが、やはり徳川勢の前に落城、この際に徳川勢による撫で切りが行われたとの記録もあるらしい。なお先の堀江城の大澤氏は、ここが落城したのを受けて降伏したとのこと。
気賀関所 姫街道を監視する関所
近くに姫街道の気賀関所が復元されているのでついでに立ち寄る。雰囲気は箱根関所をこじんまりさせたようなところ。役所内にはお役人様も鎮座している。結構気合いの入った復元だと思うが、入場料は無料と太っ腹。なおあまりに暑いので、隣の売店でソフトクリームを購入して一服。
井伊谷城 直虎ブームで有名なった井伊家の居城
関所の次は井伊谷城に立ち寄ることにする。言わずと知れた井伊直虎ゆかりの城で、大河ドラマにも散々出てきている城。今回の大河ブームで急遽整備された模様である。まあ今回の城郭巡りではここが一番メインである。
現地に到着すると見学者用の駐車場も用意されている。ただこの駐車場から登山口までが若干の距離がある。通常ならなんということもない距離だが、もう昼時で暑さもさらに増してきている状態であり、登山口手前まで来ただけで熱中症になりそう。このまま登るのは危険だと感じたので、近くの図書館に飛び込み体を冷やしてから登りに挑むことにする。
山頂までは通常なら10分もかからない程度の距離。道も急ではあるが完璧に整備されており、普通なら鼻歌でも歌いながら一気に上まで登れるもの。しかし今は暑さが普通ではない。この暑さの中で体を動かすだけでもかなりの重労働。途中で2カ所ほど休憩ベンチがあるので、そこにたどり着くごとに一休みして給水。体はフラフラ、頭はチカチカになりながらようやく山頂に到着する。
井伊谷城自体は単郭の単純な城。いざという時のためのお籠もり用の城だったのだろう。ただ小さい城なのでそう大軍は籠もれない(そもそも井伊家はそんなに大軍を持っていないが)。高さはそこそこあるので見晴らしは抜群である。
なおここの東方にさらに堅固な城である三岳城がある。実はここの次はそちらに立ち寄るつもりだったのだが、このコンディションではとても不可能であると判断せざるを得ない。この時点で今日の城郭訪問のうち、山城はすべて除外せざるを得ないという結論に至る。
山上で十分に水分を補給してから、ほとんどグロッキー状態で車まで戻ってくる。さてこれからの予定から山城をすべて除外したことでこれからの立ち寄り先がほとんどなくなった。そこでこういう時のための予備プランを発動することにする。山が駄目なら洞窟である。この近くに竜ヶ岩洞なる鍾乳洞があるらしいのでそこに立ち寄ることにする。
竜ヶ岩洞で鍾乳洞探検
竜ヶ岩洞まで車を走らせるが、私と同じことを考えたものが多かったのか、現地に到着すると駐車場はほぼ満車で止める場所を探して車が行列しているぐらいの大混雑である。ようやくスペースを見つけて車を停めると、とりあえず大混雑の売店内で体を冷やしつつ、三ヶ日みかんサイダーで一服。みかんの酸味がなかなかに美味。
体が冷えたところで洞窟に潜ることにする。しかしながら洞窟の中も満員。ゾロゾロと連なって見学する状態。鍾乳洞は鍾乳石自体はそこそこだが、バリエーションがあるのと、洞窟の全長がそれなりにあることから見応えは十分。ただ途中で一カ所、鳳凰の間はコースから引き返して見る形になっているのだが、そこでは100人ぐらいの行列が出来ていてとんでもないことになっており、その部分だけは見学をパスすることに。一応ここがこの洞窟の一番の見所らしいのだが・・・。
さてこれからどうするかだが、山城を除外した結果としてこれから訪問するべき城郭は野地城と佐久城だけになってしまったので、そちらに向けて移動しつつ、もう昼時なので昼食を摂る店を物色することにする。
竜ヶ岩洞から東に少し走ったところに「そば処雅楽之助」なる店を見かける。今の気分として何となく和そばを食べたくなっていたし、この店からはどことなくビビッと来るものがあったのでここに入店することにする。
とろろ付きのざるそばを注文する。しばし待った後に登場したのは細めのしっかりと腰の強いそば。つゆの味もまずまず。なかなかの美味である。まさに今、私が食べたいとイメージしていたタイプのそばである。ボリュームもまあ十分だし、これは大正解。
野地城で思わぬトラブル
満足して昼食を終えると目的地に向かうことにする。浜名湖岸を走って最初は「野地城」。しかしカーナビに誘導されたのは別荘地のような界隈の中の狭い道。そこからさらに細い道がつながっている。間口を見たところキューブならどうにか通れそうと判断して先に進んだ・・・のだが、これが結果としてはとんでもない大失敗だった。道は先に行くほど細くなり、ついには蜜柑畑の中のあぜ道のような道に。もう左右がギリギリで走る度に左右で生け垣がこすれるような音が。しかし転回スペースはないし、バックするのもほぼ不可能。直進するしかないと諦めて路地を抜けきるところまで進んだが、ようやく路地地獄を抜けてから車から降りて確認すると、見事に車のサイドが細かい傷だらけになってしまっている。これが自分の車だったら仕方ないで済ますかもしれないが、レンタカーだけにそういうわけにもいかない。結局はレンタカー屋に電話したり、保険屋に電話したり、最後は事故証明を取るために警察に連絡したりで1時間以上を費やす羽目に。幸いにして今回に限ってNOCチャージなどの保険までフルでかけていたので(普段はかけないんだが、なぜか今回に限ってはかけていた)金銭的な負担は一銭もなかったが、時間ロスと何より精神的ダメージが甚大。一気に意気消沈である。自身の判断の甘さを責める気持ちばかりが湧き上がってきて感情に収拾をつけるのに苦労する。
とりあえず野地城は車でのアクセスは不可能だし、この炎天下を歩いて行く気もしないし、そもそもほとんど遺構はないと聞いているので、ここは飛ばして佐久城に行くことにする。
佐久城 室町時代の浜名氏の居城
「佐久城」は野地城から直線距離で500メートルぐらい南にある。現地にはホテルなどが建っていてそのために城の半分ぐらいは破壊されてしまっているが、今でも本丸などが残っているようだ。リゾートホテルの合間を縫って現地まで走って行くと、一応城見学者用の駐車スペースもあり、案内看板までキチンと立っている。
佐久城は室町時代に三ヶ日町一帯を支配した浜名氏の居城であるとのこと。1348年に浜名左近大夫清政がこの地に築城し、その子孫は足利幕府で将軍の側近として活躍したという。1583年12月の徳川家康の侵攻に際して、九代目の肥前守頼広が今川氏配下として籠城戦を行ったが、翌年2月に力尽きて降伏、その後は家康配下の本多百助信俊がこの城を守備したが、1583年に野地城を構築したことによって廃城となったとのこと。
本丸は公園整備されている模様。まむし注意の看板が嫌だが、とりあえず先に進むことにする。通路はちょうど空堀になっており、そこを登ると馬出がそのまま残っている。
そこから土橋で本丸とつながっており、虎口を経由して本丸に入ることが出来る。本丸は土塁なども残存しており、石碑や屋敷跡の看板があり、井戸跡も見ることが出来る。ただ辺りがかなり下草が茂っており、先ほど「まむし注意」の看板を見た直後とあっては、不用意に分け入ることは慎まれる。とりあえず進む先を杖でバンバンと派手に叩きながら大きな足音を立てて慎重に進むことにする。
ホテルまで建っていると言うからろくに遺構はないのではと思っていたのだが、思いの外立派な遺構が残っていた。先ほどどん底まで落ち込んでいた気持ちが、これでようやくわずかに持ち直す。
宇津山城は断念・・・
最後に宇津山城に立ち寄ろうと近くまで行ったのだが、現地は思いの外高い山だったことと、もう時間に全く余裕がなくなったことにより諦めて引き返す。
車を5時には返却する必要があるので浜松駅まで急ぐ。途中で東名高速道路を経由して浜名湖SAで一休み。ここは浜名湖を望む風光明媚なSAだが、ちょっとした公園になっていて遊覧船なども出ている模様。
一休みを終えると浜松まで車を急がせる。浜松駅近くまで来てから立ち寄る予定だったガソリンスタンドが休業していたりなどのドタバタはあったが、無事に車を返却する。
やはり浜松といえばうなぎを食べないと・・・
後は帰るだけだが、夕食を摂ってからにしたい。やはり最後はうなぎを食べて帰るべきか。駅前のうなぎ屋「八百徳」に立ち寄って「鰻重」を頂く。
東海地域は関西風と関東風のうなぎが入り交じっているが、ここのは関東風の柔らかい鰻の模様。私は関西人だが、これはこれでうまい。またタレの味がなかなか良い。さすがに浜松のうなぎは侮れないか。もっとも税込み3456円という支払いは、やはり昨今の状況のせいか高い。
夕食も終えて新幹線で家路についたのである。ただ異常な熱波の影響は帰宅してから現れ、しばらくは熱中症のようなだるさが続く羽目になったのであった。遠征するならもう少し時期を選ぶ必要があったと後悔することしきりだが、昨年はこの時期でもこんなことはなかったはずなのだが・・・。