徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

岐阜県内山城巡り(美濃金山城、明知城、久々利城、大森城、今城)

 翌朝は8時手前まで寝ていた。一度6時頃に目が覚めたが二度寝。かなり疲れも残っている。シャッキリしないまま、とりあえず朝食へ。朝食はドーミー名物の地元食も含んだ和洋両対応のなかなかのもの。

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ドーミー朝食は現地食の和洋両対応、みそカツに小倉トーストもあります

 朝食後は入浴して血の巡りをよくする。今日は本格的に山城巡りをする予定なので、とにかく体を動くようにしておかないと。

 

 9時過ぎにホテルをチェックアウトすると東に走る。まず最初の目的地は「美濃金山城(兼山城)」。この度、続100名城に選定された城郭であり、本遠征の城方面での主目的である。そもそも続100名城が選定された時、その時点で私の未訪問城郭は三春城、品川台場、鮫ヶ尾城、美濃金山城、水城の5カ所で、美濃金山城以外の4つは順次視察終了で最後に残ったのがここだった次第。

 美濃金山城に向かう前に、兼山町の戦国山城ミュージアム(旧兼山歴史民俗資料館)に立ち寄る。どうやらここは兼山城の続100名城選定に合わせての観光整備の一環でリニューアルされた模様。内部は兼山町の歴史にまつわる展示もあるが、より戦国関係の展示を増やして、しかもミーハー色を増している。何やら怪しいイケメン明智光秀の幟も。民俗資料館らしいのは一階の方で、かつて木曽川水運で栄えた兼山の歴史、かつてここを走っていた名鉄八百津線の兼山駅に関する資料などもある。なおこのコーナーは悪質な鉄オタ(別名盗鉄)による盗難を警戒してか、防犯カメラ装備になっている。

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民俗資料館

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兼山城模型

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兼山駅関連展示

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謎のイケメン明智光秀

 ここで兼山城に関する資料を集める。なお可児市自体が今回を機に山城観光誘致を目指しているようで、各山城の資料の配付なども積極的に行っている模様。

美濃金山城(兼山城) 斉藤氏ゆかりの続日本100名城

 資料が揃ったところで兼山城に向かうが、その前に町から見られるという米蔵跡の石垣を見に行く。ここはそもそもは屋敷跡で、それが江戸時代には年貢を貯蔵する米蔵、さらに明治以降には製氷池として使われていたとか。なかなかに立派な石垣である。なおここから兼山城に登るルートもあるらしいが、そもそも山登りが目的ではない私はもっと楽なルートを取ることにする。

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米蔵跡の石垣

 さて兼山城に出向くことにする。出城まで車で上ることが出来、そこから10分ほどで本丸にたどり着けるとか。かなり便利な山城である。出城までの道は急ではあるが舗装された道路であり、余程変なタイミングで変な対向車(運転が下手なくせに無駄に大きな車を運転している輩とか)に出くわさない限り全く問題のない山道である。

 

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金山城案内資料

 出城には駐車場も設置されている。もうここの時点でかなりの標高。遠く可児市街を見渡せるし、下には蘭丸広場も見える。

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広い出城跡

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見晴らしは抜群

 本丸方面への登り口は出丸の入口の近くにある。案内看板から杖、パンフレットまで装備されていて万全の構え。今回の続100名城選定を機に観光開発につなげようという可児市の意気込みが伝わってくる体制である。

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登城口も万全の体制

 兼山城は1573年に斎藤道三の名で猶子の斉藤正義が築城、しかし正義は久々利城主の土岐三河守に謀殺されてしばし城主不在になる。なお正義の謀殺についてはこの後に土岐三河守が道三から処罰されていないことから、正義の力が強くなったことを警戒する道三による陰謀との説もあるとか。後に美濃を織田信長が支配すると、金山城には家臣の森可成が入り、可成の戦死後は長可が城主となった。1600年に森氏が信州に移封されたことで廃城となったとのこと。なお森可成の三男・成利がジャニーズ系の森蘭丸であり、森蘭丸ゆかりの城ということで蘭丸広場ということらしい。
 登城口から整備された山道を登り始めると10分もかからずに三の丸に到着。ここには大規模な虎口があり、先ほどの米蔵からつながる道がここに通じていて、これが本来の登城ルートであるようだ。

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三の丸

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破城の跡が残る石垣

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虎口跡

 ここから一段上がると二の丸。ここには物見櫓なども建っていたらしいが、現在は木が茂っていて視界がない。

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二の丸

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二の丸物見櫓跡

 二の丸からはかなり大規模な大手枡形を経て南腰曲輪。ここから天守台の西南を回り込んでいよいよ本丸に到着する。

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非常に大規模な大手枡形虎口

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天守台西南隅石

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本丸に到着

 本丸はなかなかに広大なスペースがあり、発掘調査の結果の礎石跡も残っている。見晴らし抜群で、兼山の町や木曽川を見下ろすことが出来る。この地を支配する拠点としては格好の立地であることがよく分かる。 

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城跡碑

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抜群の眺望

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本丸裏手虎口

 本丸から裏手に降りたところにあるのが東腰曲輪。ここには立派な石垣があるが、自然岩盤と石垣を利用した集水枡跡がある。城郭において重要な水の確保は当然ながら万全を期している。

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本丸下集水枡跡

 ここからさらに降りたところに東部曲輪があり、また左近屋敷に通じる道もあったようだが、この辺りは斜面崩落などもあって左近屋敷には現在は行けなくなっているようだ。自己責任で強引に進んでみようかとも思ったが、途中がグチャグチャで進むのは不可能と判断。

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この下が東部曲輪

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左近屋敷方面は大崩落で進行不可

 一回りして見たが、さすがに続100名城に選ばれるだけあって立派な城郭である。なお非常に保存状態が良いのは、明治時代に皇室の御料林になっていて民間に払い下げされていなかったかららしい。これが結果として遺構の保存につながったとか。とかく古代史解明などに際して妨害することが多い宮内庁だが、たまには逆に貢献することもあるらしい。

 これで続100名城も含めての視察完了。一段落である。今後また大々的に私が動くとしたら続々100名城が選定された時か(笑)。しかしまあ現実にはもう不可能だろう。選定に値する城を全国で100選ぶことが困難だし、特に現在の原則となっている一県最低一件というのは間違いなく不可能。そこで無理すると「?」って城郭ばかりが並ぶ羽目になるし。まあ一県最低一件の原則を崩せば、後50ぐらいだったら選べなくもないが。

 

 美濃金山城の見学の後は、ここから南方にある「明智城」を見学に行く。明智光秀ゆかりの城郭とも言われている。なお恵那にある明知城も明智光秀ゆかりを名乗っているが、歴史的に見て本命は明智城の方だろうと言われている。

明知城 明智光秀生誕の地と言われる城郭

 明智城は天龍寺南方の東西に長い山地上にある。大手口から登る方法もあるが、私は住宅地の中にある西出丸曲輪の方から見学することにした。入口前に車を置いて見学するが、西出丸曲輪は曲輪と言うにはあまりに削平されていない。自然地形そのままであって建物などは建てられないだろう。

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現地案内看板より

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西出丸曲輪はほとんど削平されていない

 そこから東に進むと馬場や本丸などの表示があり、模擬馬防柵などが建てられて整備されている箇所があるが、スペースがあまり広くないので、大きな建物は建てられなかったであろう。なお本丸奥の展望デッキは立ち木のために眺望皆無。

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模擬馬防柵と馬場

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二の丸

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さらに本丸

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城跡碑

 さらに東に進むと大手道を守る形で中の丸があるが、スペースが狭いことはともかく、切り岸などの加工がしていないので、大手側からの斜面が緩くて直接に取り付くことが可能なように見えることが気になるところ。どうも城郭全体的に自然地形にあまり手を加えていないように感じられる。

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大手道を守る中の丸

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大手道、左の中の丸との傾斜が緩すぎる

 なお西大手曲輪方面に向かう道は山崩れでもあったのか閉鎖されていた。どうも全体的に曲輪と言われれば曲輪なのかもしれないが、あまり手が入っていない様子であり、ここを城郭として使用していたとすれば、やはり明智氏はかなりの小勢力だったのだろうなという印象を受けた。

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西大手曲輪方面への道は閉鎖中

 明智城の次は久々利城を目指すが、その途中で「かつ円」なるとんかつ屋を見つけたのでここで昼食を摂ることにする。牡蠣フライやヘレカツのセットを注文。まあ可もなく不可もなしの普通のとんかつ。

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かつ円

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可もなく不可もなし

 昼食を終えると久々利城最寄りの可児市郷土歴史館へ。こちらでは陶器の展示中。志野や織部などなかなかに面白い茶碗の展示があった。 

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この手の茶碗が多数

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黒茶碗

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これは志野

久々利城 土岐氏の堅固な居城

  こちらで久々利城の地図をもらってから「久々利城」の攻略に挑む。登城口から登り始めると、5分もせずに最初の枡形虎口に到着する。久々利城は先ほどの斉藤正義を謀殺した土岐三河守・悪五郎の居城だったが、彼は1565年に信長の侵攻の際に降伏し、森長可の家臣として仕えた。しかし1583年に長可に謀殺され、久々利城も夜襲を受けて落城となったらしい。まさに生き馬の目を抜く戦国時代らしいエピソードである。

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久々利城縄張図

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登城口

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すぐに枡形虎口にたどり着く

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枡形虎口内部、左手が三の丸

 この立派な枡形虎口から一段上が三の丸。広い曲輪であり、ここから虎口に攻めてくる敵を狙い撃ちできるような構造になっている。

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三の丸の背後には二の丸、本丸が続く

 ここからは二の丸、本丸が階段状に続くようになっている。この辺りは尾根筋に設けられた城郭ではお約束の構造。最高所の本丸からはかなり見晴らしが良くなっており、ここは防御の拠点でもある。 

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横手から本丸に回り込む

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本丸

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本丸から二の丸、三の丸を見下ろす

 この城郭の特徴は、ここから土橋を経てさらに奥にも曲輪があることである。先ほどの本丸は戦闘指揮所であり、実際の城主はこちらにいたのではないかと感じられる。側面から本丸に迫ろうとする敵があっても、ここからなら狙い撃ちできるだろう。

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本丸の奥は土橋を経て奥の曲輪につながる

 さらにこの奥にはこの城の最大の見所とも言われている。二重堀切がある。これは背後の尾根筋から攻められることを防ぐためにかなり深く掘削されており、しかもそれを越えてきた敵は上の曲輪から狙い撃ちできるようになっている。尾根筋に設けられた城郭は背後からの攻撃が弱点であるだけに、こちらの防御は万全を期しているようだ。

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背後の尾根を断ち切る二重堀切

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二重堀切を上から

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奥の曲輪

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奥の曲輪から本丸方面

 先ほどの明智城などと比べるとかなり大規模な加工が施してあり、かなりの大勢力による築城であることが覗える。城内にも多数の兵が籠もることが出来、土岐氏(久々利氏)がかなりの力を持っていたことが覗える。だからこそ森長可は正面からの攻略でなくて謀殺という方法を用いたか。

 かなり見応えのある城郭であり、先ほどの兼山城にも準じる。これこそ続々名城に選ばれても良い城郭か(笑)。

大森城 土岐氏家老の城

 久々利城の次はここの南西にある「大森城」へ向かう。大森城は先ほどの土岐氏(久々利氏)家老奥村氏の城であり、1583年に森長可に攻められて落城したとある。

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大森城遠景


 城郭は大森神社の背後の山上にある。大森神社の駐車場に車を置いて見学。ここも今までの城郭と同様にパンフレットが完備、可児市の観光に対する意気込みが見える。

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パンフレットより大森城復元図

 城へは大森神社の手水舎の奥に山に分け入るルートがあり、入口は不明瞭だがその奥にはキチンと案内看板もある。そこから竹林の中に入っていくことになる。 

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大森神社

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手水舎脇のここから分け入る

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すぐに案内が見つかる

 案内に従って登っていくと、本丸と南の曲輪の間の堀切に登ることになる。なおここを北に進むとこの城郭全体にわたって築かれている東側の横堀になっている。

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本丸への登り口、右手が横堀

 本丸に登ると整備の後はあるが下草が茂って鬱蒼としている。南には土塁に囲われた曲輪があるが、こちらはさらに鬱蒼としている。また本丸上では何本かの巨木が根こそぎひっくり返ってたまま放置されている。台風か何かでやられたのだろう。背丈の割に細すぎることから、この山もしばらく手が入れられていなかったようであることが覗える。

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鬱蒼とした本丸

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大変なことになっている

 ここの先には虎口のような構造が見られて、その先には北側の曲輪がある。ここは手元の資料によるとかなり複雑な構造になっているようだが、なだらかな地形になってしまっていて私の目では構造の詳細はよく分からない。

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本丸虎口らしき構造

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その先の曲輪は詳細が不明瞭

 ここの先には大規模な枡形虎口が見られる。そこを抜けると例の横堀。それを突っ切って下に向かって降りてきたら、大森神社の北側に出てきた。

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曲輪周辺に土塁らしきものの痕跡は見える

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大規模な枡形虎口

 なかなかに凝った構造の城郭であったが、このような凝った構造は大森城が落城の後に森長可によって美濃金山城防御の支城として改修された時のものと思われるとのこと。なるほどそれなら納得である。規模的には元々家老の城としてはこんなもんだろう。もっとシンプルな構造だったとしたら、土岐三河守を謀殺した森長可の大軍に急襲されたらひとたまりもなかったろうと思われる。

今城 地元土豪小池氏の城

 かなり疲れてきたし、時刻もそれなりの時刻になってきた。次の目的地で最後だろう。次は「今城」に向かうことにする。今城は地元の土豪である小池家継が築いた城郭で、小池氏は美濃金山城に森長可が入場した後にはここを退去して農民になったとか。

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今城復元図

 今公民館に車を置けるのでそこに車を置くと、徒歩で今の集落に向かう。老人憩いの家の奥に今城への登城路があり、案内看板等もある。なおここは私有地であるので所有者に迷惑をかけないように注意とのことだが、そんなことは私有地であろうと公共用地であろうと同じことである。

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今公民館

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一見分かりにくいが、ここを入る

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今城入口

 立ち入り可能領域はロープで区切られている。まず最初に屋敷のあった三の丸に出て、ここには今でも水がある井戸が残っている。ここの北側に枡形虎口があることから、現在大手門の表示のあるところは本来の入口でなく、こちらが本来の入口だろうと思われる。この虎口は三の丸と現在五輪塔のある曲輪で守られるようになっている。

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三の丸井戸

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三の丸虎口

 ここから一段登ったところにある小曲輪が二の丸。土橋で本丸とつながっている。

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小さい二の丸

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二の丸と本丸の間の土橋

 最高所に本丸があり、東側と南側はそのまま外と接する形になるので土塁で守られている。戦いの時にはこの上から斜面に取り付く敵兵を狙い撃ちすることになるだろう。

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土塁に囲まれた本丸

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本丸奥の食い違い虎口

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その奥の構造は不明

 背後は南側の山地につながる部分であり、明らかにこの城の防御の弱点。そちらがわには食い違い虎口があり、土塁上には櫓なども建てられていたようである。なおその虎口の先に出丸の表記も案内板の図面にはあったが、それは明確ではない。

 

 これで今日予定していた城郭は大体押さえた。まだ体力的にはもう一つ二つ回ることも不可能ではない余裕はあるが、明日に帰宅する体力のことと、これから宿泊地に移動する時間のことを考えると無理はやめてもう移動することにする。今日宿泊するのは養老温泉ゆせんの里ホテルなでしこ。昔なら今から長駆して帰宅するところだが、さすがに今はその体力は覚束ないので無理はせずに一泊することにした次第。

養老温泉ゆせんの里

 中央道から名神道を経由、大垣ICで降りると養老温泉に向かう。養老温泉周辺の道は背後にまるで壁のような鈴鹿山脈を控える大田んぼ地帯。すごい風景に思わず笑ってしまう。ホテルは妙な雰囲気の建物。イメージは南仏のリゾートだろうか。本館が日帰り温泉で、隣接している療養棟に宿泊者専用の浴場と宿泊棟がある。宿泊棟は中庭がある妙な開放感の構成。やはり南仏のリゾートだろうか。部屋の装備は一般的なビジネスホテルと同様。

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南仏のリゾートイメージの建物

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室内はややゴージャスなビジネスホテル

 ホテルにチェックインするとまずは入浴。最初は宿泊者専用の内風呂へ。養老温泉はナトリウム・カルシウム-塩化物泉。源泉温度は40度くらいなので熱湯を加水して温度を上げている模様。薄い白褐色に着色した温泉で金気臭がある。鉄分を含んでいるようである。色が真っ赤でないということは湯の鮮度が良い証拠。実際に肌当たりの良い湯である。

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宿泊者専用浴場

 内風呂の次は本館の大浴場に入浴に行く。こちらは内風呂・露天風呂・サウナと一渡り揃っている。こちらには内風呂に加温していない源泉浴槽があるのが特徴。39度程度のやや温めの湯だが、元々温まるタイプの泉質なのでそうぬるいとは感じない。

 風呂から上がると養老山麓サイダーを頂いて一服。さっぱりしたサイダーである。

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養老山麓サイダー

 風呂から出ても体がポカポカするのがこの泉質の特徴。入浴を終えると部屋に戻って一休みする。

 夕食は館内のレストランで。メニューは予約当初は会席膳の予定だったが、数日前にホテルから電話がかかってきて、今月になってからの新メニューのステーキ膳がお得だからと勧められたのでそちらに変更している。

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サラダ

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ステーキ膳

 前菜のカルパッチョから始まって、メインは飛騨牛のステーキ。このカルパッチョもなかなか味が良かったが、飛騨牛が脂の入り方といい実に良質で柔らかくて美味。これはなかなか。最後のデザートまで含めて非常に堪能した。これは当たり。

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美味そうに焼けてきた

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デザート

 夕食後はしばしテレビなどを見てくつろいでから再び入浴に行く。ここの湯は実に快適。実はこのホテルの湯にはあまり期待していなかったので、それを良い意味で裏切られた。すっかりくつろいでから、本館の食堂に行って醤油ラーメンで小腹を満たす。

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ラーメンで小腹を満たす

 後は本館でしばしくつろぐ。休憩室でチェアに横たわりながら西郷どんなんかを少し見ていたが、やはりこのドラマはどうしようもなくつまらない。

 部屋に戻るとかなり疲れが出てくる。しばしBDを見ていたが、その内に眠気が強烈にこみ上げてきたのでこの日は明日に備えて早めに眠る。