徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

福島周辺の城郭を見学してから、スカイマークで帰還する

大森城に立ち寄る

 高速を突っ走ること1時間ちょっとで福島西ICに到着。ここで高速を降りるとレンタカー返却の前に寄り道。そもそもわざわざレンタカーの返却を福島にしたのは、福島周辺の山城に寄ろうと考えていたから。当初予定では数カ所目標があったのだが、喜多方で予定以上に時間を費やしたので立ち寄り先を絞ることにする。立ち寄ったのは福島西ICの南東にある大森城跡。

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大森城遠景

 現在は公園化しているようだ。現地に到着すると頂上が平な独立丘陵であり、城を築くには格好の地形である。大森城がいつ建造されたかは定かではないが、この辺りを治めている者だったら誰でも「ここに城を築こう」と考える地形であるので、かなり古くから城郭が建造されたのは間違いなかろう。歴史に残るところでは伊達家14代の稙宗と15代の晴宗の争いの際に晴宗の弟の実元がここに入ったという。その後、嫡男の成実に大森城は譲られ、後に成実の二本松城移転に伴って片倉景綱が城主となるが、一貫して伊達氏の重要戦略拠点であったらしい。政宗が秀吉によって会津を没収された後は、蒲生氏郷配下の木村義清がこの地を支配するが、彼は居城を福島城に移して大森城は廃城になった。しかし氏郷の死後に上杉景勝が会津領主となったことで大森城には再び上杉家臣の栗田国時が入って復活、栗田国時が徳川に付こうとして討たれた後には芋川正親が城主となって以降、芋川氏に受け継がれることとなり江戸時代を迎える。しかし上杉綱勝急死後の騒動で上杉家は領地半減され、この地は幕府直轄領とされることになって大森城は廃城となったとのこと。

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ようやく登り口に到着する

 登り口が分からないので丘の回りを一周してみる。南の方に狭い道路があったが、これはハズレで麓にある墓地に行くための道。散々な思いをしてようやくまともな道路に抜けてから東側を回ると、こちらにキチンとした登山道が整備されていた。狭くて急な道ではあるが、積雪していたり対向車がやって来たりしない限りは走行に不安のない道路となっている。

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山頂はかなり広い公園

 

 山頂は公園化でかなり加工されているようであるが、それでもかなり規模の大きい城郭であったことは覗える。伊達氏が拠点としていたことも頷ける。最高所が本丸であり、それを挟んで南北に曲輪らしき構造が覗える。本丸南側には今でもそれと分かる空堀跡が残っている。

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本丸南側

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かなり明瞭な空堀跡

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本丸

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ここにもかつては段があったように思われる

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城跡碑

 

 北側の曲輪は特に公園整備がされていて、一番北端には展望台まで建っている。この曲輪だけでもかなりの規模である。本丸との間は今はなだらかな斜面となっているが、かつては切岸などの防御機構が完備していたはずである。

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本丸北の曲輪

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完全に遊園地化

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何やら展望台も建っている(冬期閉鎖中)

 南側は今は駐車場にもなっている広場だが、これはかなり地形改変がされているとみられ、曲輪がどういう構造になっていたかは想像できない。ただしこの南側に大きな曲輪があったとすれば、優に数千人規模の兵を収容できる規模の城郭である(逆に言うとその規模の兵がいないと守りにくくもある)。恐らく本丸南側には現在も残っている空堀を始めとして、厳重な防御機構が幾重にも完備されていたと推測される。この城郭は東西はかなり切り立った地形をしているので、防御のポイントとしては南北方向になる。北側が城の大手だとすると、防御の弱点となりそうなのはこの南側である。

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本丸東部に移設された古墳

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本丸南は地形改変が激しくて往時の姿は分からない

 

福島城の痕跡を辿る

 大森城の見学を終えると福島県庁に向かう。といっても県庁に用事があるわけではない。この県庁のある場所こそがかつでの福島城跡。ここには最初に杉妻城という城郭があったが、伊達時代にはあくまでこの地の中心は大森城であった。蒲生時代に木村義清が大森城からここに拠点を移して福島城と改称、その後この地域の拠点城郭として機能し、幕末までは福島藩板倉氏の居城となったという。阿武隈川流域の水城であり、城下町の発展などを考えると木村義清がここを拠点にしたのは頷ける。明治以降はそのまま政庁となり、遺構は完全に破壊されることとなってしまったが、現在でも往時の土塁の一部が県庁の南に残っているとのこと・・・なので、県庁の駐車場に車を置くとその土塁を見学に行く。

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福島県庁

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裏手のこの土盛が土塁跡

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土塁跡

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土塁の一番端

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すぐそこに阿武隈川が見えている

 確かに土塁であることが分かる土盛があるが、経緯を知らなければ「なぜこんなところにこんな土盛があるんだ?」で終わってしまうところだろう。城跡は大抵はその後は神社になるか、学校になるか、政庁になるかのパターンが多いが、特に幕末まで残った城郭は大抵はそのまま市役所や県庁になるパターンが多い。そして大抵一番遺構の破壊度合いが大きいのはこのパターンである(政庁は時代に合わせての建て直しが多いので、その度に遺構が破壊される)。

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これを見ると遺構はほぼ破壊されているのが分かる

 

仙台で夕食を摂ってからスカイマークで帰る

 これでもうそろそろタイムアップなので車を返却することにする。車の返却手続きを終えると福島駅まで送ってもらって、そこから新幹線で仙台に移動する。

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福島駅は何やら工事中

 仙台に移動すると空港に行く前に夕食を摂ることにする。が、仙台駅前にはあまりあてがないこともあって、結局は仙台駅の中のエスパルの飲食店をブラリ、「センダイエキ天海」に入店することにする。地元料理を食べさせる海鮮系居酒屋と言ったところ。「牡蠣フライ定食」に「寒ブリの刺身」を追加する。

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センダイエキ天海

 やはりこのシーズンは牡蠣フライが美味い。疲れた時に精をつけるにはこれが一番。そして厚切りの寒ブリ刺身も美味。駅の飲食店としてはまあ上々なのでは(この2点で2400円ほどなのは、やはり場所柄CPはその程度になってしまうが)。

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牡蠣フライの定食

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寒ブリの刺身(かなり厚切り)

 夕食を終えた後は仙台駅で土産物を買い求めてから空港線で仙台空港に移動する。そしてスカイマーク便で帰宅と相成ったのである。

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仙台空港へ移動

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帰りのスカイマーク便

 前半は東京でのコンサートと展覧会を押さえてから、後半は福島地区の温泉保養ツアーに山城を絡めた遠征となった。まだまだ未訪問の見所のある城郭は意外に有るものだと感じると共に、福島地域の温泉のポテンシャルの高さを感じた遠征でもあった。郡山市街にあんな良質な温泉があることも驚きだったし、岳温泉の泉質の良さも記憶に残った。まあ芦ノ牧温泉は今後会津若松地域訪問の際の選択肢の一つとなることだろう。福島は良いところである。つくづくあの愚かな事故が恨めしい。