いよいよ最終日だが、この日は朝まで爆睡していて目が覚めたら8時前になっていた。朝風呂の時刻が8時までなので慌てて大浴場に飛んでいって朝風呂をする。今日は昨日までと違って清々しく晴れているので、その中での入浴が気持ちよい。
その後は食堂で朝食。野菜中心のメニューだが、やはり野菜類が美味い。納豆以外は完食する。毎日こんな朝食を摂っていたら私も身体の中から健康になれそうな気がする。毎日キチンと朝食を作ってくれる女性に巡り会いたい気はあるが、そのチャンスもないまま気がつけば私の人生も黄昏れてきてしまった。
この後は例によってチェックアウト時刻の10時ギリギリまで原稿執筆で粘る。ここで10時まで粘ったのはもう一つ理由がある。それはこの近くにあるラムネ温泉館に寄っていきたいと考えており、そこの営業開始が10時からだから。
ラムネ温泉館で高濃度炭酸泉を堪能
ラムネ温泉館はすぐそこで、実際には歩いて行ける距離にある。長湯温泉には2タイプの湯があり、1つが私がかじか庵で堪能した湯温40度ぐらいで炭酸ガス濃度700ppmぐらいのもの。もう1つが湯温が30度程度と低いがおかげで炭酸ガス濃度が1400ppmと倍の濃度がある湯である。この2タイプの湯が楽しめるのがラムネ温泉館である。
入湯料を払って早速入場。営業開始間もない時刻だが、既に結構な客が来ている。内湯と露天があり、内湯が高温湯、露天が高濃度炭酸泉である。
露天の湯はまさにぬるま湯。今のシーズンは辛うじてまだいけるが、もう少し寒くなるとツラいだろう。その代わりもろに身体に泡が付きまくるという強烈な炭酸泉。自然噴出でこの濃度の炭酸泉が出ているのはかなり驚きである。からだが泡の感触で包まれる。
ここでしばしゆったりとくつろぎ、身体が冷えてきたのを感じたら内湯に移って温める。こうやって温冷交互浴が出来る仕掛け。なお身体を温めるにはサウナもあるのだが、現在はコロナの影響で閉鎖中の模様。
何だかんだでここで1時間以上入浴していた。これは大抵の入浴時間は10分以下という烏の行水以下の私としては異例のことである。長湯温泉、まさに最強。実際に今まであちこち行った全国の温泉の中でも間違いなくトップ10には入る実力である。温泉県大分侮りがたし。
別府ロープウェイで鶴見山に登る
長湯温泉を後にすると別府に向かうことにする。今日の帰りのフライトは夜の7時。まだまだ時間に余裕がある。山道を走行しつつ別府に向かう途中で別府ロープウェイの近くを通りかかる。正直なところもう既に昼時を越えているので早く別府で昼食を摂りたいのだが、その前に通りすがりの駄賃でこれに乗っていくことにする。
ロープウェイの駐車場に車を置いてチケットを購入しようとすると、乗り場には長蛇の列の三密状態。何か観光客が殺到するようなことがあったんだろうかと疑問を感じたのだが、どうやらそれは101人定員のゴンドラの乗客数を35人にまで絞っているのが原因と判明する。三密を避けるためなんだろうが、そのおかげで乗客は駅でロープウェイ乗車時間より長くを三密状態で待たされることになっているんだが・・・。
30分ほど待たされてからロープウェイに乗車。ロープウェイは一気に高度を上げ、乗車時間は10分ほど。見る見る風景が広がっていくのが圧巻。
山上はやや冷やっとしており、これを予測してダウンジャケットを羽織ってきた選択が正解であった。ここからの眺めはかなり良い。
鶴見山上参拝ツアー
鶴見山上駅に降り立ったすぐそこにあるのは鶴見山上権現。とりあえず参拝して家族の健康と私の今後の栄達を願う(もう既に遅すぎるとは思うが)。ここからは山頂まで続く遊歩道があり、途中には展望台とか、七福神像などいろいろとあるようである。そこで七福神巡りをしつつプラプラと山頂へ。
しかしそれほど厳しい山道でもないのですぐに足が前に出なくなる。コロナ禍での運動不足は私が思っている以上に身体を鈍らせていたようである。かつては全国の山城を駆け巡ったというのに、とてもそんなことはもう不可能ではないかと思わせる鈍りっぷりである。
福禄寿を通過した前の展望所からは別府の市街がよく見える。ちなみに日没後は100万ドルの夜景とのことだが、その頃はこの辺りは真っ暗なのではなかろうか? どうやって降りるんだろう。
七福神はそれぞれの御利益があるようなので、それぞれに家族と私の健康や私の栄達、さらにはこのブログの発展も願っておく(笑)。
山頂付近に最後の毘沙門天があり、毘沙門天は破邪の神であることから、この国を支配する邪悪な勢力の一掃を願っておく。
山頂を一回りして駅まで降りてくると、帰りの客でまたも三密状態になっていた。しばらく待たされた後にようやく降りてくる。
ちなみに下の駅の近くの休憩所になぜかラフレシアの標本が展示されていた。世界最大の花であるラフレシアであるが、とにかく臭い花として有名で、その臭いでハエを集めてそれを蜂の代わりに使用するなどと聞いたことがあるのだが、ここにあった説明によると「実はラフレシアの花は開花直後は臭くない」のだという。ラフレシアの花が臭いというのは、開花期間が短くて2~3日で腐ってしまうからだという。これは中央部のツボ状部分に雨水が溜まってしまうせいで、この状態のラフレシアを見たせいで「ラフレシアの花は臭い」となってしまったのだとか。なるほどこれは私は初めて知った。もっともハエなどを引き寄せるためにあえて腐りやすくしているという可能性はあり得ると思う。
昼食はやはり別府名物ボルシチ
ロープウェイを下りると別府を目指す。360度ターンなどの急な山道を降りていくうちに段々と別府市街地が近づいてきて、何やら既に別府については通い慣れたる町という気がし始めている。とにかく遅くなったが昼食を摂りたい。そして昼食に何を摂るかはもう決まっている。別府名物ボルシチである。「馬家溝」に直行する。
既に昼食時をはるかに過ぎたアイドルタイムに入っているので、駐車場も空いている上に店内の客の姿も少ない。おかげでボルシチも普段よりもかなり早めに出てくる。相変わらずの酸味が非常に心地よい。
今回はさらに「オムライス」を注文した。翌々考えてみるとこの店では「ボルシチ」と「自家製タンサンド」以外を注文したことがない。これではさすがに馬鹿の一つ覚えも過ぎるというものなので変化をつけてみたというところ。
出て来たオムライスはなかなか美味い。とは言うものの、あくまで「普通に美味い」というレベル。残念ながら料理の性質もあって「わざわざここで食べないといけない」という特別なレベルではない。やはり次からは再び「自家製タンサンド」だ。
デザートには栗のババロアを頼みたかったのだが、残念ながら売り切れ。そこでプリンを頼むことにする。ここのしっかりしたプリンも非常に私好みである。別府の最後の昼食を堪能したのであった。
杵築城と城下町に立ち寄る
これで大体3時過ぎぐらい。別府でどこかに寄るにも当てがないし、かといって空港直行だと時間が余る。これは困った。日出は比較的最近に行っているし、これ以外に立ち寄るような場所と言えば・・・ということで久しぶりに杵築に再訪することにする。杵築は台地の突端にある杵築城と、同じく台地上の築かれた城下町がある。
杵築にはそう時間を要せずに到着する。まずは台地上に車で上がると杵築城の見学。この地形を見るとここに城を築くのは必然と感じられるが、かつてはさらに海の中に突き出した半島という印象が強かったのだろうと想像できる。
杵築城は鉄筋コンクリートでのなんちゃって天守なので、天守自体には面白味はないが、展望台としては有効である。ことさらに絶景というものではないが見晴らしは良い。
杵築城を見学した後は武家屋敷街に回るが、この時点で5時前であり、見学可能な武家屋敷も既に店じまいを始めている状況。もっとも私は以前にこれらの屋敷は見学しているので、別に内部の見学をするつもりはあまりない。よく時代劇のロケに使用される酢屋の坂やら武家屋敷街の風情を見学してそれで終了にしておく。
さすがにそろそろタイムアップか。レンタカーを返却して大分空港から飛ぶことにする。帰り便の時刻は19時なので潮時である。大分空港手前のガソリンスタンドは私と同じ状況の者が多いらしく、わナンバーで大繁盛していた。レンタカーを返却すると空港まで送ってもらうが、そこでスマホを車内に置き忘れたことに気づいてそのまま送迎車でUターンするなんてドタバタもあったが、無事に時間内の空港にたどり着いた。後は九州土産のザビエルなどを買い求めて大阪に戻ることになる。
帰り便は機体変更があったようで往路と違って737になっている。どうやら乗客が少ない夕方便を中止して、夜便と一本化して機体を大型化した模様。何だかんだ言ってもまだ乗客は完全回復はしていないのだろう。まあ私は737の方が慣れているので楽だ。どっちにしろ飛行機の中は狭苦しいのは変わりないし。
大阪へは無事に帰り着いたのであるが、実はここから駐車場までの移動と夜遅くの高速道路走行が実は一番しんどかったりする。しかも何だかんだで夕食を摂っていなかったし(昼食が極端に遅かったせいで九州で夕食を摂らなかったせい)。遠のきそうになる意識を「無事に家に帰るところまでが遠征」と言い聞かせてつなぎながら(笑)、必死に正気を保って帰宅したのであった。