徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

先週に続いて今回は姫路北東部のマイナー山城攻略

リハビリ登山第2弾

 先週は西播磨地域の「整備の行き届いたマイナー山城」をターゲットにリハビリ登山を実行したが、今週はもっと手前の姫路北部のマイナー山城を訪問することにした。やはり私の体力低下はひどいようで、最近はさらにヤバいことに「特別にダイエットをしていないのに、体重が微減する」という症状が現れていた。これはもろに「筋肉が落ちて軟弱化しつつある」という証明である(これが体重が激減なら、いわゆる糖尿末期)。またそれを物語るように、一昨日に弱い腰の違和感が現れた。そのために昨日の土曜日は一日安静を保ったのだが、幸いにして腰の痛みはそこから強まることはなかった。

 しかしこれは様子を見ながら全身の筋肉を鍛えないとまた腰痛で寝込むことになりかねない。というわけで腰の案配をみながら体力増強の必要に迫られた次第。今回ターゲットにしたのは姫路北部地域の山城。例によって現地の状況によっては撤退も視野に入れてのトライである。

 

 

庄山城にトライするが・・・

 最初にトライを試みたのは山陽姫路東ICのすぐそばにある庄山城跡。ここはふもとの谷外小学校脇から登山道があるとの情報を入手している。登山道に地元有志によるものと考えられる案内標識もあるとの話だが、これが数年前の情報でしかも張り紙程度のものであるらしいことから、現在どうなっているかは不明である。もし現地の状況が私の想定よりも悪いようならば撤退も選択肢である。

Googleの航空写真でも表面の険しさが分かる

 現地が見えてくると「うーん、これは撤退かも」という予感がこみ上げてくる。岩肌むき出しの山容が思いの外険しい。現在の腰にも不安のある状況で攻略が可能かは登山道の状況次第である。

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小学校背後の険しい山上が庄山城

 事前に聞いてはいたが、谷外小学校周辺の道路はかなり狭い。コンパクトカーのノートで幅がギリギリぐらい、大型車ならパスした方が無難だろう。さらに小学校周辺には車を置くスペースがない。結局はあちこち探し回って何とか無理やりに車を駐車する。

 とりあえず途中のマツモトキヨシで買い求めた虫除け薬をむき出しの手や顔や首筋に吹き付ける。強烈なリモネン臭がしており、どうやら柑橘系の臭いで虫を避けるという代物のようである。今回はさらに虫刺されの薬も用意している。

何らかの虫除けスプレーは必需です

 谷外小学校は何やら校舎の改修工事中。登山道は小学校東の脇の民家との間にある。ここから進んでみる。しかし状況はかなりマズい。道は下草が茂って藪化しており、しかもどっちが正規のコースか分からない。とりあえず時々藪をかき分けながら、道らしきところをどん詰まりまで進んでそこから直登したところ、何やら怪しい小屋のようなものの横を通ることになる。

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ここが登山口

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何か怪しい小屋のようなものが

 そこからかまだ藪が深いがさらに直登すると東西の通路のようなところに出て、そこに案内図のようなものがかかっている。どうやらコース自体は間違っていなかった模様。

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案内図がぶら下がっているのを見つけた

 しかし問題はそこからだった。下草はそれほどでもないが藪化は相当に進んでおり、とにかくひどいのが蜘蛛の巣。1メートルごとに1つはある様子で、枝を拾って払いながら進んだのだが、それでも何度かもろにツッコむことがあってそれだけで戦意喪失する。

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しかしこうなるともう進路が分からない

 さらにこの通路の東端と思えるところから斜面の直登に取りかかろうとしたのだが、これがコースが分からない上にかなり険しい。下から眺めてもコースが全く見えない。この時点で完全に意志が挫ける。今の体力を考えると、もし迷うようなことになったら致命的になりかねない。ここでいきなり断念することになる。

 一発目からいきなり撤退という実に幸先の悪いスタートとなってしまった。ああいう山は大抵は近くの小学生や中学生がフィールドワークに使って、その際に登山道などの整備をしてくれることが多いのだが、このコロナの影響でフィールドワークがほとんど停止しているのか。とにかく下草のひどさだけでもどうにかしたいので、改めて冬時にリターンマッチを考えると言うところか。それまでに体力の方も万全にしておきたい。体力に自信さえ出たら、道が怪しい直登コースでもチャレンジする意欲が出てくるようになる。

 

 

とりあえず近くの店で昼食を取ることに

 今日は家を出るのが遅かったせいもあって、昼時になってしまったので路地地獄から街道に出てくると、そこにあった「土岐」というレストランに入店する。

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土岐

 店内は多くの客で賑わっている。メニューを見ると和洋中すべて揃っているという道の駅的な内容。とりあえず寿司とてんぷらに釜揚げうどんがついたセット(税込み1540円)を注文する。

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これが意外とまともだった

 店の雰囲気から味はまず期待できないと踏んでいたが、うどんは腰もあり、天ぷらもカラッと揚がっていて存外悪くない。特に驚くような内容ではないが、とくにひどいと感じる内容でもない。これは想定外。

 ただ一つだけ気になったのは、隣のテーブルに座っていた一行の中の小学生らしい子供がやたらに咳き込んでいたこと。何か喉に詰まらせたと言うのなら良いが、コロナだったら大変だ。この店は一応は入店時にサーモチェックはしているようだが、あの機械は精度が悪い上に、店員が結果をチェックしている様子もなかった。また子供の無症状感染なら発熱がすぐには起こらない可能性がある。かつてはコロナは子供はかからないなど言われていた時もあったが、デルタ株登場後は子供の感染も多く、学校を通じての集団感染も発生していて今や児童はスーパースプレッダーとなっている。気をつけるに越したことはない。

 

 

次は太尾城を狙ったが、現地を見て断念

 とりあえず昼食を終えると播但道に乗って北上することにする。次に立ち寄ろうと考えたのは豊富町の太尾城跡。ここは山上に神社があって登るには苦労しないようだが、問題は近くに車を置く場所がないと聞いている。とりあえず現地の状況を視察してみようと考えた次第。

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この山上らしい

 現地に近づくと太尾キャンプ場の表示があるので、そこを右折して集落内に侵入する。しかし侵入してから面食らった。集落内の道路が確かにかなり狭い上にあちこちに路駐もあってさらに難易度が上がっている。しかもキャンプ場方面に向かうルート近傍にどこか車を置けるかもと読んでいたのだが、キャンプ場へ向かうルートは動物除けゲートらしき先に未舗装の山道が続いている状態で、どうも侵入者を拒む空気がプンプン。

手前の集落内の道路が問題点

 恐らくどこかの道路脇の通行の邪魔にならなそうなポイントに路駐して徒歩で向かうしかないのだが、ゲートの前からバックで戻ってきた時点で戦意喪失した。とりあえず今回は断念することにする。もし庄山城に捲土重来することがあったら、その時に合わせ技にするか。

 

 

三度目の正直で今度は山下城を訪問する

 いきなり二連チャンで敗走というとんでもない事態になり、今回の遠征は負け戦の雰囲気が濃厚に漂い始めた。しかしこのまま退くわけにはいかない。実はこういう時のためのBプランも用意してある。ここから山を回り込む形で東の加西市に向かうと、そこの山下城を見学することにする。ここは遊歩道が整備されていることが分かっており、登山者用駐車場もある。さらには整備のために木を伐採したようで、Googleの航空写真を見ると、はげ山になっている。これで撤退になるようなら問題外である。

Googleマップだと完全にはげ山になっている

 田んぼのあぜ道や集落の間の狭い道を縫いながら常行院を目指す。常行院前に案内看板が建っており、その向かいに登山者用の駐車場も整備されている。後は遊歩道の案内に従って進む。

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案内看板あり

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常行院に到着

 山下城は浦上久松の居城として1532年に築城されたという。1566年には別所氏の兵站拠点として改修されて1578年まで使用されたとのこと。

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現地案内看板

 

 

最初に進路を間違えてしまう

 遊歩道の西側に見える山体が山下城のようである。ただ問題は遊歩道のどこから入れるのかが良く分からない。私はハッキリとした轍に引かれて結構手前から山体に取り次いだのだが、結果としてはこれは失敗だった。恐らくシイタケの栽培をしてると思える畑にたどりついてしまった。後で縄張図を見ると、ここは現地政所だったのではと思われる。

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遊歩道の入口は分かりやすいが

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この轍に引かれて進んでみたが

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シイタケの栽培所になっている雰囲気

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本郭にあった縄張図

 そのまま進むとかなり大きな堀切に突き当たる。その向こうに見える山上が本郭のようだ。登り口を探して回り込むがその内に左手に下り階段が見える。どうやらここが正規の遊歩道の模様。さらにその先に進んでみたが、ここは完全に藪漕ぎになってしまう上に山上に取り付く手がかりもなくハズレ。

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堀切に突き当たる

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本郭はその向こうの山上

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回り込んでいったら遊歩道の入口の階段に出た

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直進は藪のために不可

 結局は通路を戻ってみると、途中に分岐があってそこから登れるようになっていた。私が最初通った時にはそこは手前の畑の方に向かう道だと思ったのだが、正解はそっちだった模様。そこを進んでいくと、左手に二郭に登る階段が見える。

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結局は途中のここを登るのが正解

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登った先は多用広場

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反対側に二郭に登る階段が

 

 

二郭を経てようやく本郭へ

 二郭は結構広い曲輪。恐らく畑化されていたであろう痕跡が見られる。回りは切り立っており、かなり守備力の高い曲輪。

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二郭に到着

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かなり広く畑化されていたらしき痕跡が

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多用広場方向を振り返る

 本郭はその上だが、ここもかなり広い。立派な屋敷などを建てられたと思われる。比高は30メートルほどなのでそれほど高くないが、それでも周囲は切り立っており、天然の堀である賀茂川も存在する。辺りを見下ろす要地である。守備力はそれなりに高い。

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本郭はさらに上

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本郭に到着

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案内板あり

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二郭及び多用広場方向を振り返って

 

 

西本郭方面を見学する

 本郭の見学を終えると西本郭の見学に回る。こちらは大手口があるので、それを脇から守る曲輪ということになる。西側の曲輪は複数段で麓まで連なっており、西本郭はその最上段となる。

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西本郭方向に回る

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右手の竹林は元々は池だった模様

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数段の曲輪に到達する

 とりあえず登ってみたところ、しばらく手入れがされていない状態で鬱蒼としている。ただここもそれなりの面積のある曲輪であり、結構な兵を配備できたと考えられる。

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背後の小高い上が西本郭

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西本郭上は鬱蒼としている

 そのまま西の曲輪を下ってくると住宅地のところに出てくる。ここから再び回り込むことにする。

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西曲輪群の先端は住宅地近傍に迫っている

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大手口方向に降りる

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ここが大手口か

 

 

中央曲輪群を見て回る

 住宅地の間を抜けていくと多用広場につながる複数の曲輪に到着するが、ここは畑化しており現在でも耕作が行われている模様。

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住宅の間から入り直すと

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西曲輪群が向こうに見える

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正面に削平地が見えてくる

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右手下にも曲輪

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畑化している曲輪跡に出る

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奥が多用広場でさらにその奥が本郭

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左手下が私が最初に入った現地政所

 それだけ確認すると降りてくる。謂われが今ひとつ不明な城郭であったが、全山を要塞化したなかなかの規模の城郭で見応えがあった。よく整備されており、構造も明確であるので初心者向きである。

 

 

最後に小谷城を訪問する

 全山規模なので高さはそれほどではないのが結構歩いた。しかしまだもう一カ所ぐらい登る余裕がある。次はもう少し本格的な山城に挑むことにする。ここから北東に向かって走ると目指すは北条町の小谷城。ところでGoogleマップで小谷城で検索すると、なぜか山陽道の真上というとんでもない場所を示すのであるが、実際は北側背後の山上にある。遊歩道は整備されていると聞いている。その手前の小谷区公民館に案内看板から駐車場まで整備されているから至れり尽くせりである。

Googleマップだととんでもない位置に表示があるが、本当は奥の山上

 小谷城は嘉吉の乱で滅亡した赤松直操の居城だという。直操は長男の赤松満祐や実弟の赤松則茂と共に山名・細川・新田勢と戦ったが敗れて滅んでいる。後に赤松政則が赤松家を再興して領地を取り戻す。そして赤松祐尚が小谷城を再建して麓に陽松寺を建立して嘉吉の乱で討ち死にした一族及び家臣を供養したとのこと。

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この山上が小谷城

 山上を見あげたところ、山頂が整備されている様子がある。山容や高度的にも現在の体力で攻略可能と判断、少し遠くで鈍い痛みが出かかっている腰が不吉だが、途中で爆発することもなかろうと推測する。なお登山道は複数あるが、とりあえず一番近道そうである陽松寺脇を抜けていくコースを取ることにする。陽松寺の背後には赤松氏や家臣の墓があり、その奥の動物除けフェンスの先が登山道となっている。

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小谷公民館駐車場に車を置いて進む

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コース案内図

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陽松寺が見えてくる

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背後の池を墓地の方に回り込む

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奥の動物除けフェンスの先が登山道

 

 

ヘロヘロになりながら山上に到着

 そこからは足下はかなり整備されていて極めて良好であり、蜘蛛の巣などもそう多くはない。山道としてはかなり整備されており、道路でたとえるなら片側二車線のハイウェイ並と極めて快適。体力さえあればスイスイと登れるはずであるが、ここで問題となるのは私の体力。今回は足が上がらなくなるということはなかったのだが、心肺が付いてこなくなった。途中で息が上がって心拍は上昇、胃がひっくり返ったみたいになって吐き気がこみ上げてくる。

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登山道は非常に整備されている

 さらに閉口するのが飛ぶ虫の多さ。ブンブンと言いながら近寄ってくる。虫除けスプレーが効いているのか身体に止まることはないのだが、息がかなり上がっているのでそれを感じるのか口元にブンブンと寄ってきて、口に飛びこもうとしたりひどいやつは耳の穴に飛びこんでくる。これをいちいち追っ払うのが結構鬱陶しい。

 息も絶え絶えで、ピーク時体力比で3倍ぐらいの途中休憩を取りながらヨタヨタと登ることに。ただ幸いにして腰の様子が悪化する気配はない。その内にようやく「小谷城」と書いた巨大看板が目に飛びこんでくる。

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死にかけた頃にようやく巨大看板が

 下から登って到着したのは第四郭で看板が立っているのは第三郭の模様。これらの曲輪はそう大きくないが、その上の第二郭は数段連なって本郭へと続いている。

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第四郭にたどり着く

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看板が立っているのは第三郭

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上の第二郭はダラダラと本郭に続く

 本郭には展望室が作られており、そこになぜか木彫りの三猿がある。「見猿、岩猿、着飾る」・・・でなくて「見ざる、言わざる、聞かざる」である。

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本郭の展望室

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城の縄張図が貼ってある

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なぜか三猿

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看板もあり

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眺望は非常に良い

 本丸の東端からは東のコースへ続いているようだが、そちらには意味はないので西に降りることにする。最初に登ってきた第四郭からやや下がった第五郭までが小谷城本体。

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第四郭の下が第五郭

 

 

西小丸を経て尾根ルートで降りてくる

 そこから深い堀切を経て下がったところが西小丸になる。こちらも複数段の曲輪で構成されているが、南側の堀や土塁の跡が本体よりも明瞭である。また一番西端には虎口の跡も残っている。

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第五郭の先は堀切になっている

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登った先が西小丸

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南側の土塁がかなり明確

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第五郭との高度さはこれだけある

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複数段の曲輪になっている

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西の奥に虎口跡が

 ここから尾根筋にはかなり降りることになる上に堀切の跡がある。。西側の尾根筋からの攻撃に対してはこの西小丸が最前線で撃退することになるのでかなり堅固である。

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西小丸先端から尾根筋を見下ろす

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降りた先には堀切跡

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振り返るとこの高度差

 その先にもまた深い堀切があってここを橋で越えると跡は尾根筋ルートで西の林道まで続くことになる。戻って最短コースで降りるのが最も効率的だが、あのルート自体には面白味が全くなく、またあの階段を降りていくのも腰に負担がありそうと思ったことから、帰りはこの尾根筋ルートを経由することにする。

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その先の深い堀切を木橋で越える

 ただこの選択は正解とは言い難かった。やたらにダラダラと道が続く上に最後には心臓破りの丘があって足が終わってしまいそうになった。散々疲れ切った頃にようやく林道に合流する。周辺を見回すと、林道脇に強引に車を駐車できなくもないような感じであり、ここに車を置いて進んだら距離はともかく一番起伏の少ないコースになりそうだ。もっとも正規には小谷城公民館に車を置くことになっているので、あまり大きな声で勧めるわけにも行かないが。

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尾根筋をダラダラと進んでいく

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ようやく林道との合流点が見えてくる

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西入口

 ここからは林道を下っていくことになるが、凸凹の舗装の上に砂利が転がる道は疲れ切った足裏にはかなりキツい。特に私は靴底が厚い登山靴でなくて、靴底があまり厚くないスニーカーなのでもろに足に負担が来る。長い林道を下ってきてようやく文明の雰囲気が漂いだしたら足下は綺麗な舗装道路になるが、こうなったらなったで今度は腰に負担が来る。つくづく難儀なものだ。

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意外と足にキツい林道

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ようやく下に降りてくる

 ヘトヘトになって公民館駐車場に戻ってきた。結局はこの小谷城がかなり効いて、本日は1万1千歩越えの上に上がった階数45階という久しぶりにハードな行程となったのである。この後、車で自宅に直行したのだが、正直なところ長時間座っての運転がむしろ腰に来た。明日腰が変なことにならないことを祈るのみ。

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結構な運動になっていた