想像を絶した大渋滞のせいで悲惨なことに・・・
今日は読響の第九の公演があることから大阪まで車で繰り出した。毎度このルートは渋滞で動かなくなる部分があることから、仕事を早めに終えて早めに繰り出したのであるが、今回の渋滞は想像を絶していた。
まずは通常は神戸の京橋前後で一旦渋滞にはまるのだが、今回は神戸の手前から大渋滞。神戸市内ではほとんど動けない。トロトロ運転はそのまま西宮まで続き、この時点で18時を越えてしまった。そしてようやく西宮から動き始めたと思えば大阪でまたも渋滞。しかもいつもは中之島西出口の辺りから始まる渋滞が、今回は2つ手前の大和田出口から続く事態。大和田出口から出てやろうかと思ったら、大和田出口は大渋滞で塞がっている状態。やむなく次の海老江出口までなんとか到着してそこから出るが、そこの出口も渋滞でしばらく動けず、しかも勝負をかけた下道も大渋滞で、フェスティバルホール周辺は全く車が流れていない状態。これで完全に万事休す、駐車場にようやくたどり着いた時点で既に10分以上遅刻という惨憺たる状況になってしまった。
最初から渋滞を見越してかなり早めに仕事場を出たのだが、実際の渋滞はその私の予測をもはるかに越えていた。常に最悪の事態というのは想定を凌駕して登場するものであるということを痛感した(というか、そもそも想定内なら最悪の事態にはならないか)。クリスマスのせいか、年末のせいか、あるいはその両方か。通常よりも1時間以上到着所要時間が増していた。
慌てて駐車場に車を放り込むとホールまで走って行くが既に遅刻は確定。前回のコバケンの公演の時のように新幹線の事故で開演が30分遅れるなどというようなことでもない限り無理だが、当然のようにそんな奇跡が起こるほど私の運の持ち合わせはない(むしろ逆の奇跡的に不運なパターンはよくあるが)。ホールに到着した時には第一楽章の最中、結局は第一楽章が終わるまでホールの外でモニターを見ながら漏れ聞こえてくる音声に耳を澄ませて待機する状態に。なお今回は私と同様に遅刻した者が多く(大渋滞の影響を受けた人が多いとのスタッフの話だった)、数十人がホール外に控えている状態だった。
全員、第一楽章が終了した時に係員の案内に従ってゾロゾロと入場、最後列に確保してある席に通されることとなった。もしかして最後列はこのために事前に確保してあったのだろうか?
読売日本交響楽団 第31回大阪定期演奏会
指揮/ジョン・アクセルロッド
ソプラノ/中村恵理
アルト/藤木大地
テノール/小堀勇介
バス/妻屋秀和
合唱/新国立劇場合唱団
アクセルロッドについては前回の京都市響の公演で非常に色彩的でメリハリの強い演奏をするという印象を持っていたが、本公演でもその特徴はそのまま現れていたようである。恐らく第一楽章にその特徴はもっとも明確に現れたはずだが、そこは私は聞けていないので判断しかねる。ただかすかに漏れ聞こえていた音声だけでも、相当にメリハリのついた演奏をしていたようであることは覗えた。
さて第二楽章なのだが、メリハリが強い演奏と言うよりはかなりアップテンポですっ飛ばす演奏であった。快速なスケルッツオにやけにティンパニの音がドンガンと響くなという印象。時世柄か、アクセルロッドの意図かは定かではないが、合唱人数が抑え目なのでそれに合わせてかオケの編成も12型とやや抑え目だから、相対的にパーカッションが強めになることはあり得るが、そのレベル以上に強調していたような気がする。
しっとりと謳わせてくる第三楽章であるが、これも普通に謳わせるという雰囲気とはやや違う。各旋律を正面に引きだして脚光を当てるという相変わらずな明快な演奏である。ただ美しくはあるがいわゆる叙情的な部分はやや薄い感はある。
最終楽章だが、一番驚いたのは最初の時点ではステージ上にソリストが全くおらず、どうするんだと思っていたらバスの妻屋が出番直前に小走りにステージ上に現れたこと。第四楽章はまず今までの旋律を振り返り、そこから歓喜の旋律が現れてきた後、再び突然に現れた悲劇が歓喜をかき消そうとする。その時にバスが「このような旋律ではなく!」と訴えて再び歓喜の旋律へと音楽を引き戻すという構成になっている。今回はまさにいきなりバスが乱入して音楽が悲劇に落ちるのを制するという印象であり、まるで正義のヒーローが「ちょっと待った!!」と突然現れるみたいなもので、演出としてはなかなか面白い。正直なところあの状態で妻屋がキチンと歌えるのかが一番気になったのだが、さすがにそこのところは全く問題がなかったようで(よくよく考えると、歌手はオペラの時などは演技しながら歌ったりする)、堂々たる声量でピシッとオケを制している。
その間にソロリソロリと他の歌手が入場して合唱が盛り上がっていくのだが、ここでもアルトではなくてカウンターテナーを起用しているというところにこれまた特徴がある。これが音楽バランスにも微妙に影響を与え、単独女声であるソプラノが従来以上に目立つと共に地味に終始するアルトと違い、カウンターテナーは時々キラキラと浮上してくることがあるので、結果としては声楽陣が通常よりは色彩的になるという印象。これもアクセルロッドの目指したところか。
合唱は新国立劇場合唱団というプロ団体。よく年末第九に起用される素人合唱団と違い、さすがに各人の歌唱スキルが高いようで少人数の閑散配置でも声量的には全く不足がない。統制については一糸乱れぬというほどの完璧さは感じなかったのだが、やはり音的には非常に美しい。
これらの声楽陣が一体となってキラキラとした感じの歓喜の歌となる。これにアクセルロッド率いるオケの明快かつ色彩的な演奏が絡んでのクライマックスである。何だかんだで最後までアクセルロッドがかなり自分の持ち味を強烈に出したなという演奏であった。やや変化球なところはあるが、興味深いものではあった。
それにしても第一楽章をまともに聞けなかったのは痛恨の極みである。東京公演とかの分をテレビ放送でもしてくれないだろうか・・・。
コンサートは1時間半ほどで終わるので、帰途でようやく深夜営業を再開したラーメン屋に立ち寄って今日食いっぱぐれた夕食を摂ると、夕方とは比較にならないほどスムーズに流れる夜の阪神高速を突っ走って帰宅したのである。しかし無駄に疲れた。なお今日で既に仕事納めの結構な身分の方もいるようだが、私は残念ながらもっとギリギリまで仕事があるという立場なので、まだ安心して年末を迎えるというところにはなかなかいけないのである。