上山城を見学する
翌朝は7時頃に目覚める。とりあえず目覚ましのために大浴場に。大浴場は昨日と男女が入れ替わっているが、基本的に似たような構造の浴場である。朝の冷たい空気の中を露天でしっかりと身体を温めるが、朝からお湯が身体に染みる。老化によって変温動物化してきた私は、今では一日活発に活動するためには、こうやって体温を意図的に上げてやる必要があるようになっている。
風呂からあがってくると朝食に行くことにする。朝食は時間内に食堂に行けば良いというパターンで、既に料理がテーブル上に置いてある。オーソドックスな和食であるが、そこになぜかソーセージがあるのは謎。もっともやはり朝は和食が一番である。今日も朝から食欲が出る。
9時頃にホテルをチェックアウトすると、まずは一番近くの上山城を見学しておく。上山城は現在天守が立っているが、あれは鉄筋コンクリートの典型的なインチキ天守。そもそも上山城の本来の本丸は隣の月岡神社のところだという。確かにそこが最高所となっており、天守が建っている位置は一段低い。また月岡神社の西側には当時の水堀が一部だけ残っている。なおこの堀、水がどこから来ているのかが不明(多分どこかで湧いているんだろうが)という謎のある堀だとか。
月岡神社といい月岡公園といい、とにかく桜が大量に咲いているので辺りに桜の甘い匂いが立ちこめている。何やら濃厚な桜餅の中に頭を突っ込んだ感じ。今まで桜の匂いというものを強烈に意識したことはなかったので、これは今回初めて感じたところ。
名物のだんごを頂いてから天守に入場
以前にここに来たのはかれこれ10年前なので、久しぶりに天守に入城しようと思うが、その前に天守の向かいにある「かかし茶屋」で名物というだんごを頂く。朝についたものを販売しているのだとか。餡団子を頂いたが、これがなかなかに美味い。団子がとにかく美味い。
朝のおやつを摂ったところで10年ぶり以上に天守に入城。ちなみに過去のバックナンバーをチェックしてみると「結構気合いの入った展示に驚いた」と書いてあるのだが、確かに驚いた。地域の歴史や風土などについて展示した本格的な地域博物館となっている。こりゃ若干高めだなと感じた入場料も納得。
内部は近代天守らしくエレベーター装備(笑)。最上階はお約束の展望台である。城の周囲をグルリと見渡せるが、遠くは蔵王が見える。また現在の月岡公園はかつての二の丸だったとのことである。
さらに温泉街の奥に見える小高い山は高盾城であり、ここでもかつて攻防戦が繰り広げられたらしい。なお上山城内に地元歴史家によるとものと思われる高盾城調査報告も展示されている。私も興味をそそられたところだが、残念ながら今日は立ち寄っている時間的余裕がない。
蔵王温泉に立ち寄り入浴
上山城の見学を終えたところで次の目的地だが、蔵王温泉に立ち寄ろうと考えている。そもそも今回の宿泊候補地の中に蔵王温泉は入ってたんだが、とにかくホテル代の相場が高すぎて私には手が出なかったというのが本音。そういうわけだからせめて日帰り入浴をしてやろうと考えている。
蔵王温泉は山の上なのでしばしワインディング道路を延々と登っていくことになる。パワー不足のヤリスでウォンウォンとエンジン音を鳴り響かせながら山道を登ること30分ほど、蔵王温泉に到着。辺りはそもそもスキー場で賑わっている地域なので、いかにものちょっとお洒落な観光地。何となくホテルの価格相場が高かった理由が覗える。やっぱり私にはもっと鄙びた温泉地の方が合っているようだ。
立ち寄ったのは日帰り入浴施設の源七露天の湯。月曜の午前なんだが結構客は来ているようだ。入浴料は550円、銭湯以上スパ銭未満というところか。
浴場に近づいただけで強い硫黄の匂いがしているが、泉質は酸性・含硫黄-マグネシウム-硫酸塩・塩化物泉とのこと。青白いpH2.1という強酸性の湯である。いわゆる別府の明礬温泉と同系統の湯でかなりキャラクターの強い湯であり、肌当たりも強め。青い着色は硫黄泉の特徴であり、いわゆる海地獄系の湯である。入浴直後は肌がキシキシとする感触があるが、それが再生してくることでしっとりとしてくる。とりあえずたっぷりと入浴してから、私は肌が弱いので湯上がりにシャワーで洗い流しておく。
なるほど蔵王温泉はかなりキャラクターが強いとは聞いていたが、このタイプの濁り湯ならそれもさりなん。確かにこれだけ強い湯はそうあちこちにあるものではない。
宮城地域山城巡り開始、最初は川崎要害
蔵王温泉を体験すると山形道に向けて蔵王山を北に降りていく。この道路もかなり長いワインディング道路。私も若い頃ならブイブイぶっ飛ばすところだが、かつて一度死にかけて(ガードレールがなかったら谷底真っ逆さまだった)、それ以来は己の腕を悟って安全運転である。とは言っても、さすがに制限速度以下運転のジジイの軽トラは何台かぶち抜いたが。
山形蔵王ICまで降りてくるとここからしばし山形道を東へ。宮城県西部の山城をいくつか回るつもりである。とりあえず宮城川崎ICで高速を降りる。今回はこの周辺の山城をまとめて回ることになっている。
まず最初に立ち寄ったのは川崎町の城山公園。ここは元々川崎城(前川城)、もしくは川崎要害と呼ばれる城であった。砂金実常が築城し、後に仙台藩の制度で川崎要害と呼ばれるようになったという。最上領に対する最前線として、伊達氏の一門が入ったという。
山上は完全に公園整備されていて城の遺構らしきものは見えない。現在公園となっている部分が城主の館のあった本丸で、その東の一段低く現在は小学校となっているあたりが家臣の屋敷のある二の丸だったという。なお二の丸の東の尾根筋を堀切で断ち切っているとのことだが、小学校があるので確認できず。車を駐車したところの背後の土のうねりがなんとなく土塁の類いに思えたのだが、場所的にこの辺りは搦め手口だったようなので、その由来のものかもしれない。
前川本城を見学
川崎要塞の次はそこから南下して山形道を潜った先にある前川本城を見学することにする。前川本城は先ほどの川崎要塞で登場した砂金氏の居城だったという。砂金実常が伊達一族となって川崎城に移ったことで廃城となったという。
麓の集落を抜けた分岐のところに案内看板が立っており、その辺りに車を置くスペースがあるので駐車する。案内看板の記述に従って進んでいけば本丸にたどり着けるはず・・・なのだが、実はこの案内看板がトラップなのである。この看板によると現在地のすぐ近くに二の丸に上がるルートがあるように思うが、実はそれはハズレ。正解はもっと西に歩いて行った先なのである。注意ポイントは登り口の西に東屋の記述があるが、この周辺を見渡しても東屋が存在しないこと。登り口は実はここの脇ではなく、東屋の隣なのである。このことはこの近くに置いてある川崎町教育委員会による城の縄張り地図があるので、それを見れば良く分かる。この資料実によく出来ているので必ずもらっておくように。実際に裏を見ると、今日私がこれから訪問する予定の山城がすべて記載してある。
この東屋はここから西に50メートルほど進んだ民家の手前にある。この横をすり抜けていくのが正解ルート。進むとすぐに二の丸搦め手口の土塁構造やら見事な空堀に遭遇する。この時点でこの城郭が半端な城郭でないことがすぐに分かる。
見事な二重の空堀を越えて搦め手口を抜けると土塁に囲われた広大な曲輪に出る。これが二の丸。広大な曲輪を土塁でグルリと囲んでいる。もうこれだけで興奮絶好調。
正面にまた見える別の土塁が本丸土塁である。本丸周囲には土塁と堀切が巡らせてある。入口は二の丸搦め手口の正面よりやや東にある。
本丸に入るとそこは周囲を土塁に囲われた広大な曲輪となっている。また北側には土塁がないが、その先は断崖となっていて下の川が見えている。まずこの方角からの攻撃は不可能である。
本丸東側には土塁と堀を隔てて一段低い馬出曲輪がある。
その先には虎口があって周辺には石積みなども見られる。この辺りは土塁もかなり高くて以下にも守りの要所という雰囲気がする。
虎口を抜けた先は数段の曲輪となっていて、これを右に左に進まないと降りていけないようになっている。大手口の鉄壁防御である。
ようやく下に降りてくると廃屋となった民家の脇に出てくる。実はここで最初に出くわした集落が大手口だったと言うことが判明するという仕掛けになっている。
正直なところ知名度皆無に近い城郭なので全く期待していなかったのだが、予想に反しての見事な城郭に驚かされた。特に大規模な土塁や堀には唸らせられる。また曲輪内も木を切って整備されているので非常に地形がつかみやすくてそういう点でも実に素晴らしい。これは私の準100名城のBクラスに優に適合する城郭であると判断する。
小野城の見学
実に素晴らしい城郭であった。これでテンションが一気に上がったが、次は配付資料にも掲載されている小野城を目指す。
小野城は1500年代中頃、小野雅楽之允が追い道を見下ろす要衝に築いた山城である。小野氏はその後も伊達氏の最上氏に対する最前線として、先ほどの砂金氏や支倉氏と共に小野城から何度か伊達軍として出陣したとのこと。
川崎城の北東のダム湖の胞に向かって走って行くと、笹平山麓の集落の中に小野城の標柱が立っている。そこから中腹の熊野神社まで車で上がれるのだが、これがかなり狭い道の上に傾斜が「ヤリスで上がれるのか」と疑問になるぐらいの登り坂なので恐怖まで感じるが、そこは意を決して一気に登る(実際に途中でヤヌスのタイヤが空滑りしたポイントもあった)。するとようやく熊野神社に出る。ここは車3台ほどは止められるスペースがあり、またここに例の川崎町教育委員会による資料の小野城版があるので、これもありがたく頂いておく。
資料によるとこの熊野神社がある平地から西にかけての一帯が二の丸のようだが、鬱蒼としていて分け入る気にはならない。右手を見ると竪堀があるので、それを伝って一気に尾根筋まで登ることにする。竪堀の上の方はかなり急になっているが、何とか這い上ると尾根筋の大手道に出る。
大手道を進むと南から回り込む形で本丸虎口にたどり着く。
本丸はかなり広大な削平地である。途中でフェンスがあって上に入ることは出来ないが、フェンス越しに搦め手口なども見える。
本丸の一番西は土塁となっていて、その先には堀切を隔てて西郭が存在するが、そちらはかなり藪化がひどいので立ち入るのは不可能である。
なおここから土塁沿いにフェンスを回り込んで北郭に行くことは可能。北郭の周囲はかなり切り立っていて出丸として北側の防御(搦め手口側)を行うもののためと思われる。
これもなかなか想定外に立派な城郭であった。なおフェンスの意味が不明だが、フェンスを隔てて南側は木が全面的に伐採されているのに対し、北側は木が放置されているところから見ると、地権者の境界ではないかという気がした。北側の地権者はここの材木を資産として活用するつもりがあるのではというように感じる。だから南側が全面伐採されることになった時に、境界を明瞭にするためにフェンスを立てたのではというところが私の推測だが、真相は知らない。
支倉氏の居城・上盾城の見学
小野城の見学を終えると今日の山城巡り最後の目的地である上盾城を目指す。上盾城は支倉氏の巨城であり、支倉常長の祖父である常正が1545年に築いた城であるという。
一帯は宮城県によって整備されているとのことで、アクセス道路から駐車場まで完備しているのでそこに車を置く。
ここからは一般車は立ち入り禁止となっているが、明らかに整備用の軽トラが走行することを想定した舗装道路が本丸の手前まで続いている。進みきった先が本丸と二の丸の分岐。正面には本丸が見え、その手前には幅の広い見事な堀切が備わっている。まずは二の丸を見学する。
二の丸は杉林になっているが、そもそもは土塁で囲われた堅固な曲輪で、土塁の外にはかなり深い堀が取り囲んでいる。その先は切り立っているようであり、本丸の西側を守る独立曲輪となっている。
本丸はかなり広大な曲輪で周囲は土塁で囲われ、その外は堀切でしっかりと守られている。なお本丸の中央には東屋が建てられており、城跡碑はその近くにある。なおその後にある大銀杏は蛇塚物語がある大銀杏の二代目とのこと。
この本丸の南に降り口があるが、そこから進んでいった先が三の丸になる。この三の丸もなかなかに大きな曲輪で土塁も備えている。なおこの先に大手道があるようだからの、ここが最前線の防御拠点となるのだろう。
なかなかに大規模かつ見所の多い城郭で、これも私の準100名城Bクラス該当である。今回は実にラッキーというか、非常に見所の多い城郭に出くわしてお腹いっぱいというところである。
村田で遅めの昼食を
もっとも山城には満腹したが、リアルの私の胃袋の方は既に空腹を訴えている。もう既に当の昔にお昼時は過ぎているので、かなり遅れたが昼食を摂りたい。ではどこで昼食をと考えた時に、この近くの村田城の辺りに飲食店があったのを思い出す。また以前に村田城を訪問した時に、そこにあった村田町歴史みらい館が既に閉館時刻で見学できなかったことを思い出したので、ついでにそこに立ち寄ろうと考える。
村田まではすぐである。道の駅村田に向かうと、まずはその手前にある「森の芽ぶき たまご舎 ファームファクトリー」に入店する。玉子専門店で、玉子を使ったスイーツなどを販売している店で、卵料理のレストランも併設している。レストランに入店すると「炭火焼き鳥と産みたて玉子の親子丼」を注文。さらにこれにコーラと玉子プリンを付ける。
最初にコーラと玉子プリンが出てくる(私が最初にと言った)。玉子プリンはまさに玉子の風味がするプリンで実に美味い。私好みのプリンである。
しばらく後に親子丼がサラダと共に登場する。なるほど確かに玉子が美味い。また炭火焼き鳥も美味い。もっともこれが親子丼かと言えば少々疑問で、玉子丼の上に焼き鳥を散りばめたと言う方が正しい。鶏肉を玉子と共に煮ていないので鶏には玉子の味が付いていない。これはこれで美味いが、私はオーソドックスに普通の親子丼を頼んだ方が正解だったかなという気もする。
玉子ランチを堪能するとpomeraを取り出してきてしばし執筆作業に勤しむ。今日は午後7時半の神戸空港行きの飛行機に乗るので、それに間に合うように空港に向かおうとすると5時頃に車を返却したら夕食を摂ってから空港に向かうぐらいの余裕は十分にある。現在は3時過ぎ、ここから高速経由で仙台に帰るとしたら30分ちょっとと言うところ。仙台市内での渋滞を計算に入れても1時間もかかることはまずなかろう。そう考えると時間がしばし余っているのである。
原稿執筆で頭を使っているとだんだんと甘物が欲しいという欲求が持ち上がってくる。先ほどからまたスイーツメニューも気になっている。エイ、なるようになれと「たまごの王様パフェ」を追加注文。
このパフェがカステララスクに玉子クッキー、玉子アイスに玉子プリン玉子尽くし。しかしそれがまた美味い。「ああ、美味い、美味い」と呟きながらほとんどやけくそのようにパフェを貪り食う私。どうも食欲が暴走してしまった。結局は何だかんだでこの店で2500円ほど食うことに。
食事を終えると村田町歴史みらい館に立ち寄るが、何やら門が閉まっている。頭の中が「?」で一杯になるが、次の瞬間に「ああ、今日は月曜日か」と思わず声が出る。この手の施設は月曜日休みのところが多く、いわゆる月曜トラップという奴である。私の遠征は週末を挟んで実行して、帰宅は混雑を避けて月曜日になるパターンが多いのだが、そうすると最終日は立ち寄るべきところが休館でどこにも行くところがなくなるという月曜トラップに引っかかることが実に多いのである。
いわゆる美術館遠征だったらこの月曜トラップは意識するのだが、今回はコンサート+山城+温泉遠征だったので、月曜トラップのことは頭から消えていた。これは大失敗。
やや早めだがこれで全予定終了
結局ここで30分はつぶせると踏んでいたのでこれは大きな計算違い。これならさっきの店でもっと執筆活動をしておけばよかったと思ったがもう後の祭りである。かと言ってこれから30分という時間をつぶせる場所もなく、予定よりは早くなってしまったがもう仙台に戻ることにする。
予定よりも早めにレンタカーを返却する。こうなったらどこかでゆっくり夕食を摂ってと言いたいところだが、かなり遅めの昼食をついさっき、しかもしっかりデザート付きで摂っているので、正直なところ全く腹が減っていない(まあ当然だ)。仙台周辺で30分~1時間という中途半端な時間を潰す手段も思いつかず、結局はかなり早い時間だが空港に移動してしまうことにする。
というわけでかなり早め空港にチェックイン(出発時刻の2時間近く前)してしまってから、搭乗ゲート前のシートでpomeraで原稿を入力することに。全く何をやっているんだか・・・。
そしてようやく到着したスカイマークの神戸便に乗り込んで帰宅と相成ったのである。帰路の便もやはり搭乗率は6割ぐらいだった。
こうして私の久々の大遠征は終了したのだが、目的である仙台フィルと山形交響楽団は堪能できたし、さらに本拠のホールで聴くことでこれらのオケの本来のポテンシャルを感じることもできた。これで後は本拠で聞いていない地方オケは群馬交響楽団ぐらいか。ただ現在のコロナの状況を見ると、私が東京方面に出向くのは相当先になることが予測される。まあ群馬交響楽団は当面お預けだろう。
さらに今回は山形の温泉を堪能したのだが、山形の温泉のポテンシャルは侮りがたいことを感じた。正直なところ肘折温泉もかみのやま温泉も再訪したい気持ちはある。また何だかんだ言いながらも、蔵王温泉も一泊してゆっくりと湯を堪能したいところである。そう考えるといずれ山形を再訪したいところなんだが、今のところ山形交響楽団以外に目的となるものが存在しないのである。仙台も行くべきところは行き尽くした感があるし、東北遠征となったらまだほとんど回っていない秋田などに比べるとこの地域は優先度が落ちることは否定できない。まあこの辺りも今後の課題だが、実のところは何よりも、既に老後が見えつつある私には、現在の自民党政権による官製不況の元では遠征資金の捻出も困難になって来つつある。ということを考え合わせると、やはり仙台・山形は今度で最後だろうか・・・。
この遠征の前の記事