久しぶりの山城攻略に向かう
翌朝は目覚ましがかかる7時まで爆睡していた。今日はアウトドアスケジュールなので天候が気になっていたが、朝から晴れている。もっとも雲の動きが激しそうなので波乱含みではある。
朝食はバイキング。まあビジネスホテル標準タイプだが内容的には悪くない。和食を軽くいただいてから、パンをつまみつつコーヒーで一服する。
さて昨日は夕方からとんでもない豪雨にされされたが、今日は現在のところは極めて天気が良い。ところで今日の予定であるが、観音寺城を見学しようというもの。観音寺城は六角氏の城郭で100名城にも選定されている。なお私はここは2009年に安土城を見学したついでに訪問しているのだが、それが実は結構中途半端な状態。まず事前情報が不十分だったために佐々木城跡の方は訪問したのだが、本丸の場所が分からずに訪問せず、しかもその挙げ句に途中で足を捻挫して満足に動けなくなったので撤退をしたという状況。
いつかはリターンマッチをと思いつつ、なかなかその機会がないままにズルズルとここまで来てしまった。そこで今回、本丸の場所なども事前に十分に調べた上で改めて見学に出向こうと考えた次第。
当初予定では併せてこの近くの山城も攻略することを考えていたが、そうこうしているうちに昨日のような夕立が来たら万事休すである。実際、上空の雲の変化が大きく、またいついきなり積乱雲が湧き上がるか分からない。まず天候が良い内に最初に観音寺城を攻略、その後に時間や体力と相談してその後の行動を決定するということして、9時頃に荷物をまとめるとチェックアウトする。
観音寺城を攻略する
観音寺城は六角氏の居城として知られる大要塞である。中世には既にこの山上に城郭が構えられ、南北朝期には六角氏の内乱などもあり、数度にわたって攻防戦が繰り広げられている。ただこの戦いの過程において、これだけの大要塞にもかかわらず何度も落城している。どうも城郭は時代と共に随時拡大されていったものと思われる。最後は織田信長の攻撃で六角義賢・義治親子が逃走、しばし織田氏の城となっていたが、六角氏は再びこの地に戻ることができないまま廃城となっている。
攻略拠点は前回の時と同様に上の駐車場からにする。こちらの方が水平移動で観音正寺のところに出られるので楽である。入場料500円を払って林道へ。途中で車のすれ違い不可の箇所がほとんどの狭い林道なのだが、朝から参拝客が多いのか途中でタクシーと3回ぐらいすれ違うことになり、その度に四苦八苦である。
十数台が駐車できる駐車場の奥に観音正寺の入口がある。ここから徒歩で進むが、途中の斜面の上には石垣の見える箇所もある。この山全体が要塞化しているようである。佐々木城方向の案内看板もあるが、前回の時にはこちらに向かって山を登り、佐々木城跡まで行ったものの、そこから戻る時に険しい道で足を捻挫してしまったのである。今回はこちらには向かわずに真っ直ぐに観音正寺の方向を目指す。
観音正寺の拝観料は500円。これを払って先に進むと巨大な杉の木の脇に本丸方向へのルートがある。拝観券売り場で聞いたところ、本丸及び平井丸までのルートは大丈夫であることが確認してあるが、池田丸から大石垣に降りるルートは未確認で、昨晩の豪雨による損傷などの可能性があり得るとの話。まあとりあえず自分の目で確認するしかない。
観音正寺の横にそって進むと、すぐに本丸と平井丸との分岐がある。まずは本丸に向かって登っていくことにする。道は整備されていて進むのに通常は何の苦労もなさそうだが、問題は私の体力低下が予想以上であること。本丸まで10分程度にも関わらず、登りで息が切れてヘロヘロ。ようやく本丸虎口の石組みが見えてくる。本丸に到着するととりあえず給水。キンキンに冷えた麦茶を魔法瓶に入れて持参したのは正解だった。
本丸は意外に面積があり、多数の兵が籠ることも可能。なお裏手にも虎口の石組みがあり、背後は高い土塁で守られている構造。全山が多数の曲輪からなる巨大城郭となっているのだから、搦め手側からも他の曲輪に通じる構造になっているのだろう。
南の急な石段を下りて行って進んだ先が平井丸となる。ここは入口の所にかなり立派な石垣に門の構造があるのでテンションが上がる。ここもなかなかの面積のある曲輪であり、やはり背後は石垣で守られている。どうやら背後の崖を登っていくと本丸に通じる模様。
ここから石田丸へはほぼ平面に近い移動で南下。左手は崖で右手には石垣やら小曲輪が連なる。石田丸の一段上にも明確に曲輪が存在するが、ここは未整備で内部が鬱蒼としているので進めず。
石田丸のその一段下の広大な曲輪。実に広大な曲輪で数百~千人ぐらいの兵を詰めることも可能だろう。南部の防御の拠点とも考えられる。西側は石垣で守られており、門らしき構造もある。
ここの南に下に降りる急なルートがあり、その先が大石垣となる。ここの下りは今までとは道の険しさが変わるので、サンダルなどは不可である。降りていくと巨石が転がる平地に出るが、これが大石垣の上。大石垣を観察するにはここから下に降りて回り込む必要がある。
これで観音寺城のメインステージはほぼ回ったと言える。後は今までのルートを逆に戻るだけ。ようやく長年の懸案だった観音寺城の見学終了である。予想に比してさほどハードでもない行程だったのだが、情けないことに脚力の衰えは私の想定以上。久しぶりの山城攻略に足腰のダメージが予想以上であり、途中で足下がよろめいてまた捻挫しかけるという情けないことも。さてこれからの予定であるが、これが私が30代の頃なら「よし、幸先は良いな。今日はこれから5つほど回るか」だし、40代の頃なら「ちょっと疲れたけどまだ余裕があるな。後2つぐらいは回れるか」というところ。しかし既にアラカンの今の私には「うーん、無理はやめて今日はこのぐらいにしとこう」と言わざるを得ない状況。それに実は明日から出張の予定であり、ここで体力を使い切ってしまうと明日以降の仕事に障るということで「大人の判断」である。まあ今回はリハビリ登山でもあるのでこんなものか。
温泉で汗を流す
後は山城以外で予定として考えているのはこの近辺の美術館巡り。ただその前にとにかくたっぷりと汗をかいたので、入浴してサッパリしたいところ。これからのルートも考えて「守山天然温泉ほたるの湯」に立ち寄ることにする。
ほたるの湯はパチンコ店の奥という分かりにくいところにあり、おかげで周囲の住宅地をグルリと回る羽目になってしまった。人気の施設なのかかなり大勢の客が訪れている。浴槽の構成は露天風呂に人工炭酸泉など典型的なスパ銭。露天の源泉風呂なる浴槽でしばしくつろぐ。泉質は美人の湯とのことだが、確かにいささかのぬめりはあるが、そう浴感は強くはない。ただそれ故に逆に万人ウケするタイプの湯。
入浴で汗を流すと、ついでに昼食もここで取ってしまう。カツ丼に冷やし蕎麦を付ける。ただ冷やし蕎麦はまあまあだったが、カツ丼の方はイマイチ。今後ここに来ることがあるとしたら、飲食は付近の飲食店を使った方が良さそうである。
汗を流したところで次の目的地へ。目指すは琵琶湖岸の佐川美術館である。美術館はここからさほど遠くないところだが、途中の道が混雑するのでやや時間を要する。現地に到着した時にはまだ晴天だが、南東の方向に巨大な積乱雲が発生しているのが見える。実際に美術館入館後も、常に遠くから断続的にゴロゴロゴロと雷鳴が聞こえてくる状態であった。
「高山辰雄展」佐川美術館で9/23まで
独特の幽玄な雰囲気の作風で知られる日本画家・高山辰雄の画業を振り返るという展覧会。
まずは最初期の画学生時代の作品から始まるが、この頃から帝展に入選するなどの才能を発揮していたのだが、この時期の作品は後の作品に比べると平凡と言わざるを得ない。色彩的にも普通で上手くてもまあ普通の日本画である。
それが大きな変化を遂げるのが、戦後にゴーギャンに傾倒してから。高山自身が画業の行き詰まりを感じ始めていた頃のようであり、その苦悩がゴーギャンの生き方と共鳴したらしい。この時期に原色を取り入れた色鮮やかで平板的な、あからさまにゴーギャンの影響を感じられる作品を登場させる。さらには作品が抽象性を帯び始め、その形態はかなり象徴的なものになっていく。
その後、作品はさらに精神性を深めていくことになり、1990年代の「聖家族」が一つの転機となる。モノクロームで淡いタッチで描かれたこれらの作品は、今日の高山辰雄の作品のイメージの元になるものである。
この後の彼の作品は精神的な象徴性を帯びた独特の人物像が中心となっていく。正直なところ、あまり好きとは言えないタイプの作品であるのだが、それにも関わらずなぜか不思議に惹かれるところがあったりもするのが彼の作品。今回の展覧会ではその彼の根底にあるものを感じられたような気がした。
なかなかに面白い展覧会であった。わざわざ滋賀まで出張ってきた価値はあったか。見学を終えて美術館から出てくると、空模様は一段と怪しくなってきており、いつ一雨来ても不思議でない状況。とりあえずびわ湖大橋を渡って次のラスト目的地へと急ぐことにする。最終目的地は比叡平にある木下美術館。
「京の美人画」木下美術館で9/9まで
京都にゆかりの美人画作品を集めた展覧会。展示作は梶原緋佐子の作品が最多。オーソドックスな美しい絵画である。
私的には収穫は伊藤小坡の作品が2点展示されていたこと。端正で品のある美人画はいかにも彼女らしいもの。
中山忠彦や木下孝則の洋画もあったが、それよりは北野恒富や中村大三郎の日本画の方が私には好ましい。そして面白かったのは「ノエビア」のCMで有名な鶴田一郎の作品。あのインパクトのある女性像が作品として展示されている。
そして今回、妙に印象に残ったのが高資婷の作品。和服美人でなく洋服美人を描いているのだが、そこになんか奇妙な艶めかしさと微妙な不気味さが感じられてインパクトが強い。
これで本遠征の目的はすべて終了、新名神を突っ走って帰宅する。明日のことを考えてやや余力を残しての帰還だが、結局はこれで正解だった模様。というのも、この時にはかなり余力を残していたつもりでも、帰宅するとやっぱり疲れがどっと出てダウン。この夜は爆睡して翌早朝から出張に出たが、出張先で内股の筋肉の張りで苦しめられることになったからである。調子に乗って山城ハシゴなんかしてたら、翌朝に動けなくなった可能性あり。とにかく体力の低下が著しいので、様子を見ながら徐々に回復を図るしかなさそう。
もっとも体の方はガタガタでも、久しぶりの山城成分の吸収は精神面には好影響があったの明らか。気が滅入るような仕事でも何とかモチベーションが維持できたのである。やっぱりたまには健康的な汗を流し、それを温泉でサッパリと流すというような心の洗濯も必要なようである。
この遠征の前日の記事