週末の今日はフェスティバルホールでの大阪フィルの定期公演と、周辺の美術館を回る予定。
肥後橋に移動すると、ここから最初に目指すのは中之島香雪美術館。現在ここで鳥獣人物戯画の公開がされている。以前に京都で公開があった時には3時間待ちなんてこともあったらしいから、既に前売り券は確保しているものの、現地の状況は行ってみないとどういう状況かは分からない。
到着した香雪美術館は、いつもと違って係員を大幅増員している上に、入口前の外にクロークまで設置して、行列対応に万全の体制で臨んでいた。しかし私が到着した11時前には全く待ち客がなくスムーズに入場できる状態。
やや拍子抜けの状態だが、始まったのが一昨日からでまだあまり宣伝されていないからだろう。しかし香雪美術館は朝日新聞系なので、これからかなり力を入れて宣伝が始まることが予想される。訪れるとしたら今のうちか。もっとも途中で展示替えがあるので、何回か来ることにならざるを得ないのだが。
「明恵の夢と高山寺」中之島香雪美術館で5/6まで
現在は鳥獣戯画の甲巻と乙巻の前半を公開中。非常に躍動感がある絵であり、いわゆる水墨画的なぼかしを使う絵ではなく、線画で勢いよく描いている絵。それでいて描き込みは結構緻密。こういうのを見ていると確かに今日の漫画の原点であるのを感じる。現物を目にするのは今回が初めてなのだが、絵の中から台詞が聞こえてくるような気がした。
後は明恵にゆかりの品々。明恵はしばしば仏の夢を見て、その内容を記録に残していたとのこと。それらの夢は弟子達の間などでも共有されていたらしく、その記録が今日にも残っている(明恵は死の際にすべて処分するように言い残したようだが、弟子達はそれが忍びなくてあえて残したらしい)。そのような夢日記や後は仏画の類いが展示されているが、日記に関してはただの書物なので私としては内容はともかく字を見ても仕方ないし、仏画の類いは何しろ劣化がひどくて何が描いてあるのかさえ明瞭でないものが多いのでいささかしんどい。
面白かったのは河鍋暁斎が所蔵していたという、狩野探幽の手になるのではないかと推測されている絵巻。張良に蝦蟇仙人に菅原道真などが競演しているという、日中天界人間界もごたまぜのオールスターがなぜか音楽で踊っているという絵巻。奇妙な品だが何となく楽しげで味があって面白い。
明恵に関しては、修行中に自ら耳を切って苦しさで呻いている時に仏の姿を見たとか、夜寝た時だけでなく白昼夢も見ていたとか、とかくエキセントリックなエピソードの多い人物。往々にして宗教家の宗教体験とはこの手が多いが、ハッキリ言ってこれは統合失調症という病名がつく状態ではないかと思われる。妄想が出た時に神仏が見えたら宗教体験で、魑魅魍魎が見えたら悪魔憑きということ。正直なところ、アンチ宗教の私からしたら「だから宗教は・・・」と言いたくなる。
香雪美術館の見学を終えると、次は国立国際美術館の見学に行くつもりだが、その前に昼食を摂っておきたい。この界隈はサラリーマンが昼食を摂るための店は比較的多いが、残念ながらその手の店は週末には大抵は休みである。そんな中で見つけたのは「陳麻家」という四川料理の店。四川料理と言うが、実際は陳麻飯(麻婆丼)と担々麺の店という雰囲気もある。私は担々麺にミニ陳麻飯がついたセットを注文する。
四川系ということで、陳麻飯はかなりピリッと辛い。私は麻婆豆腐は辛い四川系が好みだが、それにしても辛い。正直なところ私は麻婆丼というメニューはあまり肯定的ではないのだが、これだけ辛いとご飯が入っているがありがたくなる。これに比べると担々麺はむしろマイルドで甘口に感じられるぐらい。
比較的私の好みのタイプの味ではあったのだが、それにしてもいささか刺激が強かったのが気がかりなところ。疲労した胃腸をシャッキリさせる効果はありそうだが、現在のかなりくたばった胃腸に刺激が過剰だったのではないかという気もしないではない。以前に南千住で山椒たっぷりの麻婆豆腐を食べたせいで翌日に激しい下痢で苦しんだ経験があるので、明日が少々心配ではある。
昼食を食べ終えると国立国際美術館へと向かう。
「クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime」国立国際美術館で5/6まで
いきなり心臓の鼓動が響く喧しい会場に様々なイメージが展開している。そこから伺えるのは生と死の表現。人の気配がなく、衣服だけを積み上げた作品は嫌でもそこに不在の人間について想像させるし、写真にブリキ缶を並べた作品は骨壷や祭壇を連想させる。またシルクの布に様々な写真を転写した作品は、記憶の断片をぶちまけたようでありまさに生きていくことそのものである。
現代アートの常で例によって表現が個人的かつ独善的なので、そこからどのようなメッセージを受け取るかは人様々とも思うが、まだ比較的理解しやすい範疇だった気はする。
ついでに地下2階のコレクション展も覗くが感心する作品はなし。よくもこの程度の感性と技術でアーティストなどと名乗るものだと感心する作品ならあり。それにしても現代アート作家とは実に楽な仕事である。もっとも現実にそれで食うことはやはり難しいようで、そっちの世界に行ったジミー大西なんかも結局は食えなくて帰ってきたとのことだし。
大フィルのコンサートの開演までまだ2時間ほどあるので、喫茶店にでも入ろうとフェスティバルゲートのスカイラウンジまで行ったものの座席は一杯。仕方ないので地下まで降りてきてカフェでパンをつまみながらアイスコーヒーを頂いて時間をつぶしてから開演時間を待つことに。
大阪フィルハーモニー交響楽団 第526回定期演奏会
指揮 レナード・スラットキン
独唱 藤木大地(カウンター・テナー)
合唱 大阪フィルハーモニー合唱団
バーンスタイン:キャンディード序曲
コープランド:田舎道を下って
バーンスタイン:チチェスター詩篇
コープランド:交響曲第3番
スラットキンによるバーンスタインとコープランドというアメリカンプログラム。最初は小曲2曲だが、スラットキンが振ると大フィルの音が煌びやかなアメリカンオケの音色になるから驚きだ。もっともキャンディードに関してはもう一段の躍動感が欲しかったところ。
合唱と独唱を加えてのチチェスターは非常に美しい曲。バーンスタインの祈りがこもったような曲である。繊細な弱音の表現が多いのであるが、あのがさつな大フィルがそれに対応しているのにまた驚いた。
最後のコープランドはややまとまりに欠ける曲想なのだが、スラットキンはその曲をその場その場で各音を煌めかせて退屈させないよう演奏する。この辺りはさすがに自家薬籠中なのだろうか、非常に手慣れた感じを受ける。いつになく大フィルの音色にも冴えがあった。
さすがにこのクラスの指揮者が振ると、オケ自体が彼自身の音色に変化する。以前にフェドセーエフが振った時には大フィルがロシアオケの音色になったことを思い出した。
コンサートを終えると帰る前に少し早めだが新世界に立ち寄って夕食を摂っておくことにする。「串カツだるま新世界店」に立ち寄る。例によって店の前には数十人の行列。今は夜で客が酒を飲むためか若干回転が遅く、20分程度待たされることになる。
まずはどて焼きを頼む。考えてみるとここでどて焼きを注文したことはなかった。甘すぎずしつこすぎずで美味い。以前に八重勝で食べたものよりもここのものの方が私の好み。
串カツは野菜系を中心にチョイスする。やはり最近は胃腸がくたばり気味であまり重たいものを食べる気はしない。
最後にうずら玉子ときすと餅を追加して終了。これにコーラを飲んで支払いは2500円ほど。まあこんなものか。新世界ディナーを堪能してから戻ることにする。
こうして優雅?な週末は過ぎていくのである。